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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
3章 〜明滅/クランプ〜
10/24

3-2 heart(hurt)krump

 






―1―





 闇に沈んだ北嶺区のほぼ中心に位置する上座市の役所は、黒い箱のあだ名の通り夜と同化していた。

 壁との境目が分からぬよう偏執的なまでに黒で統一された中央入口が開く。その光景はまるで突然闇が割かれ、何も無い場所から音もなく市長が立ち現れたかのように見えた。


「お帰りかな、四条君」

 予想外に掛けられた声に四条巽(シジョウ・タツミ)は驚いて振り返った。そこにいたのは真っ暗な中で葉巻を吸う、体格の良い白髪の老人だった。

「これは博士(ドクトル)、貴方の方こそまだいらしたのですね」

「おかしなものだな。同じ建物で働いていても、1日顔も見ないとは」

「全くです。貴方もお帰りですか?」

「君が出てくるのを待っていた」

「こんな暗闇で?」

「私は暗闇が好きでね。自分の輪郭が曖昧になると、逆に私という個は際立って捉えることができるのだよ」

 そう言って四条巽を見るダヴィド・エンデは、面白がるような顔で尋ねる。

「ルカのプランを進めているそうだね?」

「ええ。苛烈なルカらしい遠慮のないプランですよ。結末など全く予想がつかないが、そこがいい」

「そう…〈助長〉(プロモート)の真価とはそこにある。我々は結末を作ってはいけない。あくまで状況の設定に留め、彼らそれぞれが新たな価値を創ることこそが大事なのだ。そして個々人に生まれた〈価値〉の顕現(インカーネイト)こそ、人類の新たなる段階の始まりとなる。やはりここ以上に、その始まりに相応しい場所はない」

「その時にはもう、人類という言葉は当てはまらないかも知れませんが」

 その言葉にエンデは優しげな笑みを返した。

「その通りだな。街の人口約300万、その全てに顕現能力の潜在可能性がある場所など、世界中でもここだけだ。もし彼らが元型(アーキタイプ)だとしたら、もはや人類という言葉は古代人と同義となるだろう」

「それは欲張りが過ぎます、御大」

 悪戯っぽく返す四条の言葉に、御大は声を上げて笑った。

「確かに。しかし現に他では有り得ない数の顕現能力者(インカーネイター)がここで生まれたのも事実だ。それを考えればあながち否定できるものでもないかもしれんぞ?」

「その彼らが互いに衝突する事案が発生しています。これも存在自体が稀な他ではまず起こり得ない事態ですね。己の本質(こころ)が表面化する顕現能力者(インカーネイター)の争いは、言い換えれば精神と精神のぶつかり合いです。おそらくどんなものも規模の大きい事件として扱われるでしょう。それは我々の抱える精神の偉大性を証明するものでもありますね」

「そこは意見の相違だな。私はみんなが本心剥き出しになれば、その我儘さゆえに泥沼と化すだけだと思っておるからな」

 その言葉に、今度は四条が笑った。


「私はまだ、そこまで悲観的になれるほど達観できていません。大人になりきれていないのでしょう」


「いや。君が正しいことを切に願うよ」


 2人の管理者(エグゼキュータ)はそう言って街の景観へと目を送った。2人が存在を信じる、“人類の後継”と成り得る者達が織り成す街の光をただ見つめた。


 無数の光は消えてはまた現れ、無限に続くような明滅を繰り返していた。






―2―




 


 上座中央区、繁華街とは少し離れた小さな個人経営の工場内に、大勢の男達の熱を帯びた歓声が響く。


 賭け試合(ピットファイト)の主役である観客(ギャラリー)の中心の2人の男、その一方の渾身の拳が相手の頭部にきれいに命中する。


 鮮血が飛び、床に点々と色を付ける。


 儀依航(ヨシイ・ワタル)にはその鮮やかな赤が、宮崎花菜(ミヤザキ・カナ)の流した血と重なって見えた。


 殴られた男がふらつきながらも反撃する。構えも何も無いその大振りのスイングは数発目で運良く決まり、攻勢に出かけた相手にカウンター気味に命中する。


 再び赤い色の血飛沫。


 今度はその赤が、背原真綾(ハイバラ・マアヤ)の血と重なる。儀依の頭の中では、背原真綾がキリミヤという顔も知らない男に蹂躙されるイメージが幾度も浮かんでいた。


『これは“しるし”だ』

 キリミヤの言葉だけが際立って聞こえる。イメージの中でそれを刻まれるのは、宮崎ではなく背原真綾だった。


 儀依の直感が、このままだとそうなると告げている。


「誘ったのは逆効果だったかな」

 顔を上げると伏が近くまで来ていた。いつもの飄々とした風情は無く、少し申し訳なさそうな顔で儀依を見ている。

「あんなもん見たあとじゃな。さすがに俺も食傷気味だ」

 そう言って溜め息をつくと儀依の隣に腰を下ろす。2人は工場の隅に座り込み、暫く無言で試合を見つめた。


 あの動画に比べれば微笑ましくさえある暴力に熱中する男達を眺めていると、質の違いを明白に感じる。自分達が行っているのは、いくら喧嘩とはいえ所詮スポーツ感覚の域を出ていない。動画の中で宮崎が受けた暴力とは、根本的に違うのだ。


 沈黙したまま眺めていると、伏が帽子を脱ぎ、髪のない頭を掻いて頭を抱えた。そして急に顔を上げたかと思うと、儀依に向かって一気に捲し立てた

「…ああ、駄目だやっぱり気持ち悪い!こんな罪悪感を覚えるくらいなら、いっそ言ってすっきりした方がマシだ」

「何をだよ?」

 伏はそれでも何か言いにくそうだったが、結局耐えられないという感じで話し出した。


「マヤちゃんな……あの子はもう戻らん、と思う」


「…それ、根拠あんの?」

 そう言いつつも、儀依も同じ思いに囚われていたのですんなりと受ける。しかしそれを確信できるだけの根拠は儀依にはなく、宙を掴むような曖昧な気分だった。

「…あの子の端末…ネットに繋がらないって言ってたろ。なんでだったと思う?」

 首を横に振る。儀依には分からない。そもそもそんな設定がQPDA端末でできるのかも知らない。だが背原がそう言っていたのは覚えている。

「そういえば伏さん、端末見てから態度が変わったよな。背原の端末に何かあったのか?」


「違う、なかった。彼女の端末は…個人IDが取り除かれていた。それはこの街で言えば財布と身分証全てをなくすのと一緒だ」


「IDを取り除くって…そんなことできるのか?」

「普通はできない。管理を命題とするこの上座市じゃ、IDは個人レベルでの記録(ログ)収集の要だ。正当な申請の下でないとIDカードを抜くことすらできないはずだが、彼女の端末は空っぽだった」

「それが良くない事だってのは分かる。けどそれがなんの根拠になるんだよ?」


「ありゃあ…覚悟だ、きっと」

「覚悟?」


「つまり彼女は、自分で退路を絶ったんだな」


 唐突に横から割り込んできた声に、伏と儀依はその主を見上げた。その姿に儀依が驚く。

「誰だあんた?一応ここは禁煙だぞ」

 煙草に火を点けようとする男を伏が注意し、男は渋々というように煙草を仕舞う。

「刑事さん…?なんでここに」

「は?け、刑事?」

 その男は以前会った強面の刑事だった。レザーのジャケットにジーンズという私服姿では全く刑事に見えず、むしろこの場所に誰より馴染んでいた。確か早鷹(ハヤタカ)という珍しい名前だったのを思い出す。

「儀依、お前に話が聞きたかったんだが、今の話で大体用は済んじまった」

 伏が動揺しているのが伝わる。目が泳いでいるのがサングラス越しにでも確認できた。早鷹はその様子に先読みして言う。

「あんたが伏健司(フセ・ケンジ)か?安心しろ、別にここをどうこうしようってわけじゃない」

 そう言って見せられた端末上の資格証(ライセンス)には、警察官である早鷹の身分を示す上を赤い斜線が明滅していた。

「ご覧の通り停職中だ。儀依、ついでに説明しといてやるが、背原真綾の端末は現在自分の存在を示す資格証(これ)がない。この都市のシステムからすればいるのにいない人間…幽霊みたいな状態だ」

「幽霊…」

「IDがないという事は日常生活に多大な不便を齎す。金の引き出しも買い物もまともに出来なくなるし、身分が無いから病院なんかも使えない。何より自分の存在証明ができない、ということが一番の問題だ。たまにそういう奴が犯罪者にいて、警察はそういうID未所有者のことをそのまま〈幽霊〉(ゴースト)と呼んでる」

「あいつ…背原は、それを自分から…捨てたって言ってた。もういらないから……って」

「それをお前らは黙って見送ったわけだ。で、彼女はどこに行ったと思う」

 責めるような早鷹の視線に下を向いて儀依は答える。


「多分スローターズの、誰かの居場所に…」

 儀依は半ば確信していた推測を初めて口に出した。そして一度口に出すと、ますますそれが間違いない気がした。


「おそらく樽馬(タルマ)って奴のところだ。そいつが一番居場所がはっきりしてるって…俺が教えたからな」

 伏も気まずそうに視線を下げる。やはり同じ予想をしていたのだろう。多分伏は、背原の覚悟を知った時から。

「どうやら決まりか…」

 目を瞑り、早鷹が呟く。そして再び目を開けた時、早鷹の顔は刑事のそれになっていた。

「伏、取り引きだ。お前の知ってるスローターズの情報を全部教えろ。それで違法賭博の件は見過ごす」

「…あんた、もしかしてマヤちゃんを?一体なんで…」

「早くしろ、時間が惜しい。俺は今から現場に行くが間に合うかどうか分からん」


「俺も行く!」

 儀依は立ち上がり、反射的に言っていた。


「あ?なんだと?」

 早鷹の凄味の効いた声が儀依に向けられる。その目は怒りに満ちていた。こっちに向かって来る早鷹に、儀依はもう一度繰り返した。

「俺も行…」

 言葉の途中で顔を思い切り殴られる。遠慮なしの一発は強烈で、儀依の体を試合場の円の中まで運んだ。対戦中の2人が驚いて手を止め、ざわめく観客を掻き分けて早鷹が儀依の前に立った。

「今さら何言ってやがる。お前らは背原真綾の行き先に気付いていながら放っといた。その憂さを晴らしに汗でも流そうとでも思ってここにいるんだろ。ふざけるな」

「背原は…俺がついて来るのを拒んでた…だから…」

 儀依は白濁する視界をこらえ立ち上がろうとする。そんな儀依の頭を、早鷹は容赦無く踏み付け再び地に這わせた。

「だからそれに従ったとでも言うつもりか根性無しが。お前には分からなかったか?あの子が背負わなくてもいい重荷を、1人で抱えてることに」

 早鷹の形相は悪魔のように恐ろしかった。14歳の子供に対し、早鷹は本気で怒っていた。

「お前にそれを少しでも肩代わりする気があればこんな状況にはならなかった。これであの子が宮崎花菜の二の舞になったとしたら、それは間違いなくお前のせいだ」

 早鷹は侮蔑するような眼でそう言い捨てると伏の元に戻る。伏は心配そうに儀依を見ていたが、早鷹に急かされスローターズの情報を話し出した。


 緩慢な動作で立ち上がり、儀依はまだ耳鳴りがする頭で考える。言われなくても自分が悪いのは分かっていた。儀依は背原の捨て身の姿勢に気付いていながら、彼女の拒絶を感じ取り、その無言の意志に負けたのだ。


 背原がどこからか取り出したナイフを思い出す。扱い慣れた様子で、グレイスの首輪を切った、あのナイフを。


 きっとあいつは、是が非でも聞き出すつもりなのだ。


 キリミヤイチロウに繋がる、その手掛かりを。



 早鷹の背中を見る。

 突然現れたこの刑事が、背原を追う最後の機会だった。


 逃すわけにはいかないのだ。

 たとえ背原がそれを望んでいなくとも。


 これは自分の我侭。


 そして一度逃げてしまった“責任”だ。

 

(大体お前も見かけによらず我侭だよ、背原)


 その思いを拳に握り締める。その手には力が戻り、儀依の心にも何かが吹っ切れたような固い意志があった。


「おい、お前邪魔しといて詫びもなしかよ」

 肩を掴まれる。興奮を削がれ苛立った男達の因縁。

 だが儀依からすれば、この男達こそ邪魔だった。

「おい、聞こえてんのか!」

 強く肩を引かれる。


 肩を引かれるままに儀依は拳を振り抜く。情けなく、女々しい自分を殴りつけるつもりで放った一撃は、身体に駆け巡った電流により加速し、男を勢いよく工場の壁に叩きつけた。


 その轟音と電流のショート音に早鷹が振り向く。その後ろには驚いて口が開いた伏の顔も見えた。儀依は早鷹の目を真っ直ぐに見返し、再度同じ言葉を口にした。



「俺も行く。あんたがなんと言おうと」



 同じ言葉の中には、さっきまで儀依にあった迷いが無く、生まれたばかりの確固たる決意があった。






―3―






「迷惑だ。助けはいらん」


 カマキリから掛かってきた援護の申し入れを狗井勇吾(イヌイ・ユウゴ)ははっきりと拒絶した。

『そう言うなや猟犬。俺らの敵のヤバさを考えりゃあ共闘して各個撃破すんのが一番賢いやり方だ』

 通話先のカマキリの諭すような声。

「知っているのか?あいつを」

『ったく、お前もチャットも何年ここの裏で生きてんだよ…本当に知らないか?非合法屋の“二匹の鴉”のこと』

 その言葉に狗井は眉を潜めた。

「非合法屋の使っていた伝言役(メッセンジャー)のことか?…いや、だがあいつはどう見ても15、6歳くらいだぞ。非合法屋の動いていた時期は3年も前だ」

『顔を知ってる俺が確認したんだ、間違いねえ。つまりそいつはガキの時分から裏の社会にずっぽり浸かった、怪物なんだよ』

「…たしか片割れの綽名が“宙を舞う者”(リーパー)だったな」

 確かにその渾名は、獲物の印象にぴったりと当てはまる。

『俺んとこに来たのが“死んだ眼の男”(デッドアイ)だった』

「…なるほどな」

 つまりはあいつも“同期”だということか。5年前の光災で生まれた顕現能力者(インカーネイター)、その1人だと。


 狗井は当時のこの街を思い出していた。

〈光災〉という、突然降って湧いたような災害の猛威から、まだ完全に立ち直れていない頃のこの街を。

 当時は楽しかった。急ピッチで進行する復興作業が街全体で展開されて、どこもかしこも工事をしていた。まるで大開拓の時代のように新しいものと古いものがごちゃ混ぜで、スラムとユートピアが不思議な調和の下に成り立っていた。

 人々はある程度の忍耐を強いられつつも、住居の無償提供に始まったユピテルの莫大な支援のお陰で、“普通”の被災地に比べれば恵まれた生活を送れていた。


 “再生”と“変化”の過渡期。


 その狭間の混沌とした街が狗井には性に合った。しかし何より喜ばしかったのは自らに起こった変化だ。光災による光の洪水に呑まれた時、狗井は一度分解され、ほんの少しだけ作り替えられた。それは狗井の感覚の中だけの真実だが、狗井にとって、自らの奥底に秘めていた欲望を解き放つ契機となったのだ。


〈本質〉を顕にする顕現能力(インカーネイト)の発現。


 それは狗井が物心つく頃からずっと抑えていた“狩り”の衝動を、〈猟犬〉(ガンドッグ)という人格として表面化させた。



 現在に意識を戻す。足早に帰路に着く群集に紛れて、狗井は距離を置いて獲物を追っていた。

 以来この猟犬の人格が顕れた時、獲物を逃したことは一度もない。何故なら猟犬の目は、相手が自分に狩れる獲物かどうかをも、その五感を拡張し、精確に見極めるからだ。


 つまり猟犬(ガンドッグ)が顕れた以上、あのマコトという少年は必ず仕留めることができる。例え彼がかつて悪名を轟かせた怪物であったとしても。この確信は今も狗井の中で揺らいでいない。


「よし、俺の位置を辿ってこい。お前の提案に乗ってやる。猟犬の勘がそれも手の一つと告げている。だが宙を舞う者(リーパー)を仕留めるのはあくまで俺だ」

『オーライだ、リーダー。俺は邪魔者が消せればそれでいい』


 5分で着くという言葉を残し、カマキリは通話を終えた。

 狗井は凡そ30m手前の少年を猟犬の目で眺める。向こうも通話中のようだ。


 それが終わったら再開しよう、同胞よ。


 猟犬は心の中で少年にそう告げ、最適な位置を求めて闇の中を移動した。





 時刻は21時の少し前。


 マコトは今の状況説明を端末の向こうにいるアオイとタチバナに伝え終わったところだった。

「どこかにある?そういう条件にあった場所」

『時間的に難しいかもな。待ってろ、探してみる』

 タチバナの返答。

『マコト、お前大丈夫なんだろうな。怪我したりしてないか?』

「大丈夫」

 返答と共にため息。アオイの心配症は相変わらずだ。彼は今遊南から、大急ぎでこの中央区に向かっているところらしい。

『相手も顕現能力者(インカーネイター)なのか?』

猟犬(ガンドッグ)だって。さっきちょっと話した時そんなこと言ってた」

『猟犬か…如何にもしつこそうな名前だ』

 通話の間もマコトは警戒を緩めていない。

 場所は開けたオフィス街の主通路だった。四車線の道路横の歩道は広く、多種多様な店舗が軒を連ねている。上には都市高速(フリーウェイ)の網上に広がる道路が見え、周囲には仕事帰りのスーツ姿でいっぱいだった。

 今のところ向こうが襲って来れるような状況ではない。だがさっきのような不意打ちがないとは言えなかった。

『たしか動きを予測するんだっけな。一対一でやり合うとすると厄介そうだ』

『マコト、お前は顕現能力(インカーネイト)を使ってないな?』

 タチバナの声が尋ねる。

「今のところ使わないで捌いてる。けどあいつ、強いよ。このままじゃ埒が明かないと思う」

『場所が見つかるか、アオイが行くまでなんとか凌げ。できればお前1人の時に使わせたいもんじゃない』

 また吐息が洩れる。

 遠回しな許可申請はあえなく却下。そうだろうとは思っていた。その言葉の意図を敏感に察知したタチバナが、もう何度となく聞いた説明を再び始めた。


『いいかマコト、お前の顕現能力(インカーネイト)は俺達と比べても扱いが難しいものだ。何故お前にだけその制御装置(ピアス)をずっと付けさせていたか、分かるな?』

「自分で制御できないから、でしょ」

『そうだ。正確には“原理的に制御できるようなものじゃない”からだ。お前の〈心象回路〉(サイコ・サーキット)は精神そのものが顕在化した、謂わば“物理的に影響する心”だ。それは顕現能力(インカーネイト)全てに当てはまることかもしれないが、お前の場合それがあまりに“そのまま”過ぎる。あの途切れた回路(サーキット)は、お前の精神そのものの“象徴”(シンボル)と言っていい』

「もう何度も聞いたよ」マコトはうんざりして、本気で通話を切ろうかと思った。

『それでももう一度聞け。他人に触れただけで相手の精神を破壊(クラック)する現象は、頑なに他を寄せ付けないお前の心の顕れだろう。だがそれはほんの一端に過ぎない。その能力の恐ろしいところは、お前の感情次第でどんなものにも、或いはどんな事でも起こし得るということだ』

「もう分かっ…」


『“あの日”の事を思い出せ』


 その一言だけで、マコトの心臓が跳ね上がった。


 頭の中で“あの日”という単語が勝手に検索され、ただひとつの記憶をヒットする。


『ナオ兄、よせ』アオイの制止する低い声。


『榊がお前達の前から去った日を思い出せ。その時自分に起きたことを忘れるな。あれは今もお前達2人を縛り続ける、榊の残した“呪縛”だ』


 身体の血が急に巡り出したように心臓が激しく脈打つ。息が切れ、口が勝手に開く。全身に汗が一気に噴き出す。


 封印したはずの、記憶の底のフォルダが開く。

 連続して蘇る、稲妻のような明滅する記憶の断片。(フリッカーピース)



 殺戮、虐殺、鏖殺の繰り返し(リフレイン)


 変転、暗転、そして辿りついた終点(ピリオド)


 自分の悲鳴と、哄笑の渦巻く螺旋の中の儀式(アンコール)



 記憶の深層の中に圧縮していた“悪夢”の復元。それが真琴のなかで表層に浮かび上がろうとしていた。心の中で幾重にも張った防壁を破り、意味を持つ事実に解読(デコード)していく。




『真琴』




 その現出を止めたのは、葵創祐(アオイ・ソウスケ)の声だった。




『大丈夫だ』




「…分かってる」

 真琴は壁に体を預け目を閉じる。そのまま深呼吸を繰り返し、その記憶をひとつずつ圧縮して収納(アーカイブ)していく。自分が意識しないようにバラバラに小さく、細かく、意味を為さないように。だが決して無くなることは無い。


 記憶はデータのように消去できないから厄介だ。


『落ち着いたか?…ナオ兄、勘弁しろよ。その話はマコトに…俺にも心臓によくない』

『すまない。だが確認しておきたかったんだ。何故ならその記憶が、本当の意味でのお前達の制御装置(ピアス)だからた。その過ちを忘れてなければ、たとえ発現させても無茶をしない。そうだろう?』


「…忘れてないよ」


 マコトの先程より真剣な答え。


『ならお前は大丈夫だ。もし、必要だと思うならお前の顕現能力(インカーネイト)を使うといい』

 タチバナの意外な解答。

『おいナオ兄、本気か!?』アオイの驚きの声。

『これから先は必要になってくる。向こうも俺達と同類で、これからそいつらとやり合うんだ。使わない方が危険だろ』

『…まあ、そりゃそうだけど』

『マコト。さっきも言ったが、その能力はお前次第で変化する精神の顕れだ。だったらお前が自分を見失わない限り、変なことになったりしないさ。俺はそう信じる。それを忘れないでくれ』


「…ん。分かった」

『一旦通話を切る。ずっと検索してるがなかなか条件に合う場所はないな。ちょっと気を入れて探してみよう、念の為インカムにしておけ』

『マコト、くれぐれも無茶はするなよ。すぐ行くから』


 通話を切った後、マコトは少しだけ端末を見つめた。

 本当にお節介だ。

 アオイも、タチバナも、結局2人とも心配症なのだ。歳の離れた口うるさい兄が2人。そう考えてまたひとつため息。



 しかし、まあ悪い気はしなかった。







―4―






 時刻は21時を回った。


 闇の中、アパートの急な階段を上がる。


 “C-A棟”


 中央区の外れにあるこのやたらと横に広い集合アパートは、災害後最初期に建てられた、住居を無くした人々への無償住居のひとつだった。公営団地のように広大な土地を使いながら、その高さは急拵えの2階までしかないこの建物は、現在の高層化による空間確保に対し真っ向から反目している。

 それでも未だに取り壊しが行われないのは、ここを出ていかない住民があまりに多いせいだ。“無償”という措置が、逆に経済的に安定した人々の転居を踏みとどまらせる要因となったのだ。


 “266”


 背原真綾(ハイバラ・マアヤ)の目的の部屋番号は、どうやらこの棟の真ん中あたりになるらしい。住所の書かれたメモを持ったまま、真綾は足音も無く歩を進めた。

 今、横のドアのプレートは“248”。人気を感じない細い通路を歩き続ける。“260”のプレートの部屋で丁度アパートの端に着いた。そこから垂直に、同じ間隔でまた部屋の並びが続く。長方形のアパートは、四方全てに部屋がある珍しい造りだった。

 部屋の前に着く。何の躊躇も無くインターホンを押した。


「開いてるよ。入って」


 くぐもった男の声。

 中にいる。

 真綾は一本だけダガーを抜いた。

 空いている手でドアノブを掴み、回した。


 その中は魔境だった。


 暗い1DKの室内、その入口から真正面に禿頭の男は鎮座していた。暗闇だというのにサングラスを掛けたままで、それが目元に食い込んでいる。黒いロングコートに包まれた体は真綾の3人分はありそうな肥満体で、低いテーブルの前に座る体躯は立ち上がると天井に届きそうだ。その男も充分異質だったが、問題はその男の周囲にあった。


 いくつも転がった仰向けの幼い体。据えたような臭いと干からびたように水気のない髪、そしてその顔にはどの子供にも生気のない虚ろな目。


 恐らく自分よりも年下の、手足を縛られた少女達。彼女達は無駄にフリルを多用した、カラフルなドレスを着せられていた。


「あれ、1人?珍しいなあ」

 禿頭の樽馬秀雄(タルマ・ヒデオ)、通称“風船男”(バルーン)が顔を上げる。


 事前に調べた情報で樽馬が幼女に偏愛傾向を持つ男だとは知っていた。しかし実物を見せられると、そのおぞましさは真綾の許容を簡単に越えた。


 やはりそうだ。“こいつら”はみんなこうなのだ。

 きっと狗井も、樽馬も、カマキリも、チャットも。


 そして切宮一狼(キリミヤ・イチロウ)も。


 みんな死んだ方がいい、屑ばかりだ。


「どうしたの?入んなよ」


 気付けば真綾は笑っていた。安心したのだ。こいつらになら、自分はなんの躊躇いもなく、どこまでも残酷になれる。


「なにがおかし…」

 言い終わる前にダガーを投げる。

 それは樽馬の肩口に命中し、驚いた樽馬の口がぽかんと開いた。


 喋るな。ただ、それだけで吐き気がする。


 もう1本ダガーを抜きながら一気に室内に突入し、樽馬の眼前のテーブルに逆手で突き刺す。最大値に設定したナイフの電流が金属を伝い、部屋の中に迸った。テレビのショート、パソコンのショート、生活家電の何かのショートが重なり、歪な音の重奏と共に全ての光源が消え去った。


「切宮一狼の居場所。それ以外口にするな。それ以外のことは、あんたと話したくない」


 暗闇に光る真綾の掛けた暗視ゴーグルの光点。それはその心を表すような冷たい青の光源。


 暗闇の中で樽馬の体が震える。


 ゴーグル越しの青い視界の中、真綾は樽馬の顔に怖気の走る好色な笑みを見た。



「その声。女の子だね?」



 樽馬は闇の中で真綾の間近に顔を寄せた。


 真綾はその声と至近距離の醜悪な顔に思わず身を引く。



 “風船男”(バルーン)樽馬秀雄は刺さったダガーに目もくれず、相手が嗜好に見合う“獲物”かどうかを確かめるように舌なめずりした。






―5―






 同時刻。


 通話を終えた直後、マコトは背筋に殺気を覚えた。


 振り向くと低い姿勢で突進してくる狗井の姿。マコトは側宙の要領で緊急回避し、上下逆さまの視点で狗井と顔を見合わせた。その顔はさっき見たときより、心なしか狂気の度合いを増しているように思えた。

 当然の如くマコトの回避を予測していた狗井は、伸び上がるように左手を振り上げる。マコトは空中で別軸の回転(スピン)を加え、それも躱した。着地して一旦距離を取る。


「さっき急に脈を乱したな…」

 尚も追撃に来る狗井。牽制のように足と手を繰り出しながら、ふいにまた話し掛けて来る。

「心拍数も一気に上がった。今は落ち着いてるようだが」

 フルスイングの右手を後方にスウェイして躱す。横の壁に噛み付いたような痕跡。それを躱したついでに振り上げた爪先が狗井の顎を蹴り上げたが、大したダメージには至らない。

「…まるで悪夢にうなされているようだった。なにか嫌なことでも思い出したか?」

 顎を擦りながら狗井が言う。

「そんなことまで分かるんだ。でも、余計なお世話だよ」

「たしかに」


 突然路上で格闘を始めた2人に周囲の人間がざわめく。

「“かくれんぼ”は終わり?」

 無表情で聞いてみる。その方がマコトにしてみれば好都合だった。

「もう飽きただろう?“九天の鴉”(クロウズ・ヘブン)

 その呼び名にマコトの眉が上がる。

「知ってたの?」

「名前だけはな。“九天の鴉”(クロウズ・ヘブン)、または“宙を舞う者”(ザ・リーパー)、そして“無法の使い魔”(ファミリア)の片割れ。3年前に暴れ回った裏社会の掃除屋(スイーパ)の1人。それがお前だと知ったのはついさっきだ…その時いくつだった?」

「小学校に行ってたかな。卒業してたかも」

 あっさりと言うマコトに狗井が破顔した。

「ハハッ!本当か!俺も大概狂ってると思っていたが、お前には負けたよ。全く世の中分からんものだ、いや、まだまだ捨てたもんじゃないってことか、この世界も」

 そんな狗井にマコトが呆れる。

「意味分かんない。続き、やるの?」


「もちろんやるさ、“鬼ごっこ”をな。俺が鬼だ」 

 戦意が剥き出しの野性的な顔、その目線が少しだけマコトから外れる。まるで何かが来るのを待つように。


 突然周囲から悲鳴。同時に全方位からの危険信号(シグナル)


 マコトを中心に周囲数mの範囲で血煙が上がる。

 鋭く、微細な駆動音が八方から迫るのに気付き、マコトは感覚で音の無い斜め後方に転がり逃げた。同時に自分のいた場所に小さな円形の物体が幾つも飛来し、喧しい金切り音を上げて衝突した。


 地に落ちたその物体は、円盤状の刃物だった。


「勘のいい奴だ。まさかこの数で当て損ねるとはな」


 その声は上方から聞こえた。

 見上げた先には、何かの店の低い屋上から身を乗り出した、重厚な手袋(グラブ)をこちらに向けた長髪の男がいた。眉のない顔にやたらと目が大きい男の顔は、どこか昆虫のような気味の悪さをマコトに与えた。


「紹介しておこう。スローターズの幹部、カマキリだ。変わった凶器収集が趣味の解体魔(スクラッパー)で、ウチの処理請負人だ」


 カマキリが何かを引くように両手を上げると、地に落ちた円盤が連動して動き、男の手に飛び戻る。それは何かを巻き上げる音を上げて、グラブの手の甲に軽い金属音と共に収まった。


 危ない“ヨーヨー”だと考えるマコトに狗井が迫る。周りの邪魔な人間を埃でも払うように弾き飛ばし、人混みなどお構い無しにその両手を振るった。


 マコトは躱した。だが運悪くその場にいた無関係多数が、狗井の鉤爪に引き裂かれた。


 再び鮮血が舞う。


 悲鳴、怒号の協奏曲(コンチェルト)


 それに加わるように襲い来る円盤の駆動音。目標であるマコトに向けて加速する為、カマキリの手から放たれた旋刃は悲鳴を上げる一般人を巻き込みながら弧を描いた。


 真っ赤な煙が再び舞う。


 マコトはその赤の軌道を見て刃を掻い潜った。そしてさらに増す悲鳴と絶叫。

 恐怖に駆られた人々が縦横無尽に逃げ惑い出した。車道に飛び出した女性が車に跳ねられる。それでも我を忘れた人々は止まらない。恐怖の重奏にクラクションの不協和音が加わる。


「こっちの方が楽しいだろう、マコト?」

 そう言った狗井の笑顔は益々常軌を逸していた。

 それは時間経過と共に猟犬が飢餓を覚え、理性のタガが外れたかのようだった。


「…趣味悪い」

 真剣な顔のマコトの抗議。


 更に迫る“ヨーヨー”を躱し、マコトは狂騒を抜けて跳躍した。店と店の間の壁をジグザグにを駆け上り、カマキリのいる屋上に出る。しかしカマキリは、それより早くどこかに姿を消していた。


「…なるほど、“鬼ごっこ”ね…」

 舌打ちしながら理解する。こちらの迎撃を潰す作戦だ。突撃役の狗井と、後方支援のカマキリの連携。あの遠距離武器は厄介だった。


 そう理解したマコトは一目散に離脱した。屋上から飛び降りて、人混みを避けて煩い悲鳴から遠ざかる。


 走りながらマコトはようやくインカムを付けた。



 そして逆に耳を飾る、ハート型のピアスを外した。

 


 

 

 

 

  


 


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