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「あなたが創り出した世界を放棄し、まだ存在するものたちを見放した行為は、一国の主が国を見捨て亡命することと同じ。しかし、あなたに逃げ場は無く、囚われの身となれば、死刑は免れないでしょう」
「ちょっと待って!」
黙って聞いていられずに、思わず声を上げた。
「死刑なんて、どうしてそんな、死ななきゃいけないの。ただ現実の世界に帰ればいいだけのことじゃない」
「しかし鈴葉さん、彼女はそれを望んでいないのです。先ほど女王陛下の口から聞いたでしょう? 帰る場所なんかない、死にたい、と」
そんなの、自棄になってつい口をついたに違いない。
そう思って林田さんを見ると、彼女はどこか一点を見つめたまま、瞬きをしたと同時に、一粒ぽろりと音を立てるように涙が零れた。
「林田さん」
彼女の側にしゃがみ顔を覗き込んでも、表情を変えずに涙を流すだけで。
私の言葉を肯定することも、ゲーテの死刑宣告を否定することもない。
「冗談じゃねぇ……こいつが死んだら、この世界が終わったら、俺はどうなるんだよ」
「『神』の、仰せのままに」
慰めるようで蔑むように微笑んで、ゲーテが天井高く手を挙げ指を鳴らすと、一斉にこの狭い牢獄に使用人たちがなだれ込んできた。
結人は彼らに手足を押さえつけられ、喚く口も塞がれ……そう、私が捕らえられたときのように大勢に囲まれ、あっという間に姿が見えなくなる。
「結人!」
私の伸ばした手は、すぐさまゲーテに阻まれた。
「彼はいろいろと知りすぎました。特に不都合があるというわけではないのですが、ぼくが個人的に面倒ですので、適当に処理させていただきます」
「処理って……」
「残念ながら、彼は架空の人物です。さしずめTVスターに恋をしたとでも思って、潔く諦めなさい」
「処理って、どういうこと?」
処刑でも死刑でもない、処理。
想像したくない未来が、すぐそこにある。
「正確に言えば、消去、ということになりますが」
詰め寄り淡々と告げるゲーテに言葉を失い、同時に頭の中が真っ白になった。
思考回路と同時に運動機能も麻痺した身体は、ゲーテから手首を開放されてもカタカタと震えるだけで。
「ゆい…と……」
様々な思いを拭い去るために首を横に振り、声を絞り出す。
「結人!!」
叫ぶ私も、足元でうずくまったままの林田さんも、周りを囲まれ捕らえられる。
そして私は、再び鉄格子の中へ放り込まれた。
「ゲーテ、ここから出してっ!」
鉄柵にしがみつき、もう少しのところで届かないゲーテに手を伸ばす。
騒々しく結人を囲んだ連中は、すでに私の視界の届かない所に行ってしまった。
結人が持っていたはずのこの牢屋の鍵を男から受取ると、ゲーテは肩ごしに私を振り返る。
「『俺の代わりなら、ひとりいるだろ。見た目がまったく同じ人間が』」
ついさっき、結人が林田さんに言ったことを揶揄して笑い、伸ばした私の手を取ると、その甲に口付けた。
「だそうですよ、鈴葉さん。これを彼の最期の言葉とするならば、あなたはもうひとりの『彼』を仕方なく愛するしかない、ということになりますね」
咄嗟に振り上げた手を、いやらしく笑うその頬に叩きつけてやろうと思ったのに、手ごたえのないまま空を切り、勢い余った私は体のバランスを崩す。
いとも簡単にかわしたゲーテは、それでも腹が立つほど優しく微笑んでいた。
「それでは今夜は、懐かしいクラスメイトと、思い出話に花を咲かせてくださいね」
「待って! ゲーテ!!」
待つことも振り返ることもなく、彼の背中は見えなくなり、やがて足音も遠くなる。
再びやってきた静寂はひとりじゃなく、床にぺたりと座り込み、一点を見つめたまま動かない林田さんと一緒だった。
彼女は、本当に憎むべき相手じゃないのかもしれない。
だけど口を開けば彼女を責めてしまいそうで、彼女から離れた場所で背を向け座った。
しばらくの間は何か方法がないかと、何度も深呼吸しながら冷静考えようとした。
でも居ても立ってもいられずに、絶対に動くはずのない鉄柵を無暗に揺さぶってみたり、せわしなく歩き回って壁に八つ当たりしたり。
まるで小さい頃に行ったきりの動物園で見た、檻に閉じ込められたゴリラみたいだ。
そう思ったら、急に笑えた。
笑えば、肩の力が抜けて、張りつめていたものが千切れそうになり、浮かびかけた結人を……彼の先のない未来を脳裏からかき消そうとする。
もはや深呼吸なんかじゃなく、深い溜息を吐いて、私は林田さんの様子を伺った。
どのくらい時間が経ったのかわからないけれど、彼女は人形のように固まったまま、瞬きだけを繰り返していた。
「本気で、このままここで死ぬつもりなの?」
あの言葉はきっと勢いだ。
そう思いたかったし、もし本当に死ぬことを考えているのなら、随分と自分勝手な気がして、私の口調は必然的にキツイものになってしまった。
彼女はびくりと身体を震わせて、怯えるようにゆっくりと私に目を向ける。
視線が合うと、驚いたようにその目を見開いて、また俯き黙ったまま。
「あの……私は別に、好きでここに来たわけじゃないの。音楽室に行って、気がついたら、ここにいて。だから林田さんの世界を終わらせたいとか、そんなの全く考えてないし、帰れるなら、今すぐにでも現実に戻りたいし」
林田さんから距離を置いて、鉄格子の近くに私はゆっくり座った。
結局水をかぶったまま、湿ったこの場所にいるせいか、とたんに二回もくしゃみが出る。
髪も身体もまだ濡れていて……そう、初めてここに来た日もそんな感じだったっけ。
林田さんから返事は無くて、私は膝を抱えて彼女をじっと見つめた。
「女の子って、ヘアスタイルとかメイクで変るっていうけど、林田さんがそんなに可愛くなるなんて、正直想像できなかったな」
もう女王陛下のオーラを失った彼女に、何気なく、思っていたことを口にした。
彼女は唇をきつく結びなおし、長い睫毛を瞬かせて私を睨む。
「有川さんが言うと、嫌味ね」
「あ、や、そういう意味じゃなくて」
「私みたいな人間の気持ちを知らない人は、平気でそういうことが言えるのよ」
どうやら気に触ってしまったらしい。
確かに私の言い方は、裏を返せばもともと地味で目立たなかったという意味が含まれてるように聞こえないでもない。
「……ごめん」
謝ったところで、林田さんは顔を赤らめたまま、ふいと顔を逸らされる。
私も一応女なのだけど、女の子って、難しい。
「ねぇ、さっきも聞いたけど、本当に帰らないの?」
私は彼女に聞きながら、教室にある主のいない斜め前の席を思い出していた。
「風邪、こじらせたとかって、担任が言ってたけど。あれからまた日も経つし、きっと家の人とか心配してるんじゃない?」
「平気。誰も私のことなんて、覚えてないから」
「そんなわけ、ないでしょ」
「じゃあ、私の捜索願、出されてた?」
そう言ってこっちを向いた林田さんは、表情を歪ませて自嘲した。
「そこまでは、わからないけど」
「大丈夫、みんな、私のことなんか、忘れちゃってるから」
「え……?」
何か様子がおかしいと、私は眉根を寄せた。
「みーんなチョコレートにして食べちゃったし、楽しかった記憶のほとんどはゲーテにあげちゃった。だから、私、今更帰っても、居場所がないの。どうせ死のうと思ってたんだし……ただ、こんなに楽しい世界で良い思いしちゃったから、死ぬのが惜しくなった。ゲーテの言うとおりなんだ」
気の抜けたように笑って、デコレーションされた長い爪をカチカチと鳴らす。
「ごめん、よくわかんないんだけど。どういうこと?」
林田さんは口を閉じ瞼を伏せ、両手で顔を覆い、大きく肩で息をした。
聞いては、いけなかったのかもしれない。
涙は見えなくても、その息遣いで泣いているのだとわかった。
「有川さん、まだ知らないのね」
顔を上げた彼女は、少しずつ化粧がはがれて目元が黒く滲んでいる。
「この世界を継続させるためには、その分の代償が要るの」
願いを叶えるために、非現実を生み出すためには、それと引き換えに「何か」を要求されるということ?
そんなの、ゲーテからひとことも聞いてない。
私はいつしか、林田さんに向かって身を乗り出していた。




