第七話 決壊
「くそっ……」
封筒の中の紙は、思ったよりも軽かった。
けれど、視線を落とした瞬間。
胸の奥が、ぎしりと音を立てた。
文字が、滲んでいる。
整えようとした跡。
書き直そうとして、やめた跡。
力を入れすぎて、紙が少しだけ歪んでいる。
――泣いたんだ。
その事実が、言葉よりも先に理解として落ちてきた。
「……馬鹿だろ」
声が掠れた。
そこに書かれているのは、丁寧な言葉だった。
契約の終了。
感謝。
迷惑をかけたくなかったこと。
どれも、嘘じゃない。
でも、どれも――本音じゃない。
滲んだ行の端。
消しかけた文字。
そこに残った、わずかな筆圧。
――言えなかったんだ。
俺に。
喉が、ひどく詰まった。
「馬鹿は、俺だ」
三ヶ月の契約。
女避け。
演技。
全部、言い訳だった。
自分が踏み込まなかった理由も。
距離を取ったふりをしたのも。
優しくしないと決めたのも。
全部、怖かっただけだ。
手紙を握りしめる。
紙が皺になるほど、力が入る。
「……遅いんだよ」
言葉が、零れ落ちる。
気づくのが。
守ろうとしたふりをして、突き放したことも。
泣かせたことも。
ベッドから立ち上がると、カイルは迷わず扉へ向かった。
考えるより先に、体が動いていた。
――間に合え。
ただ、それだけだった。
寮の廊下は静まり返っている。
夜の灯りが、床に長い影を落としていた。
「セレーナ」
名前を呼ぶ声が、思ったより大きく響いた。
少し先で、足音が止まる。
ゆっくりと、振り返る気配。
その背中を見た瞬間、胸が締めつけられた。
――まだ、行ってない。
間に合った。
「……カイル?」
驚いた声。
赤くなった目。
必死に隠そうとして、隠しきれていない。
それだけで、確信してしまう。
「手紙、読んだ」
一歩、近づく。
セレーナが、反射的に半歩下がった。
それが、致命傷だった。
「……待て」
伸ばした手が、空を切る。
「契約、終わりなんでしょ」
震える声。
それでも、ちゃんと突き放そうとしている。
「だから、普通に戻らないと……」
「普通って何だよ」
思わず、声が荒くなった。
「泣きながら手紙書いて、俺の前から消えるのが“普通”か?」
セレーナが、はっと息を呑む。
視線が揺れて、逃げ場を探すみたいに彷徨った。
「……見たの?」
「見た」
嘘はつけなかった。
「滲んでた。消そうとしてた。……全部」
「でも、消されたくないと思ってしまった」
「お前に俺を忘れて欲しくない……馬鹿にしたっていい」
カイルは、セレーナを抱きしめた。
「契約なんて、最初から言い訳だった」
セレーナが、顔を上げる。
泣くのを堪えて、必死にこちらを見る目。
「俺が……近づくのが怖かっただけだ」
喉が痛む。
それでも、止まらなかった。
「お前が大事になった瞬間から、全部」
息を吸う。
「失うくらいなら言わない方がマシだって、思ってた」
自分の声が、こんなにも弱いことに驚く。
「お前は違うのか?」
覗き込まれて、セレーナの喉がひゅっとなる。
「俺はお前が好きだ。契約は終わりだ。けど、終わりじゃない。……本当にしよう」
セレーナはとうとう堪えきれなくなって、涙腺が決壊した。
「……うん。私も、大好き」




