第六話 別れの夜
あれから、彼とはあまり話せていない。
必要最低限の言葉だけ。
目が合えば逸らして、触れそうになれば距離を取る。
――たぶん、好きなんだと思う。
その自覚は、遅すぎた。
気づいた瞬間から、全部が手遅れになった気がした。
だから、セレーナは手紙を書いている。
寮の部屋。
夜更けの机に向かい、便箋を整える。
三ヶ月の契約は、明日で終わる。
延ばす理由も、引き止める資格もない。
「……契約終了の件ですが――」
書いては、止める。
また書いて、消す。
感情を入れない。
そう決めていたのに。
ペン先が、震えた。
――普通に戻らなきゃ。
契約が終わったら、赤の他人。
それが正しい。
なのに。
「……っ」
一行、書き終えたところで、視界が歪んだ。
ぽたり、と。
紙の上に、雫が落ちる。
「……あ」
慌てて拭おうとして、余計に滲んだ。
インクが溶けて、文字が崩れる。
――どうして。
声にしない問いが、胸の奥で溢れる。
契約だった。
演技だった。
それなのに、どうしてこんなに苦しい。
涙が、止まらなかった。
声を殺して、机に突っ伏す。
肩が震えて、呼吸がうまくできない。
好きだなんて、言えない。
言ってしまったら、全部壊れる。
だから、終わらせる。
それが、唯一残された選択だった。
しばらくして。
赤くなった目を擦り、セレーナは封筒に手紙を入れた。
滲んだ文字も、そのまま。
直す気力は、もうなかった。
――これで、いい。
そう言い聞かせて、便箋を折り、封筒に入れる。
封を閉じるとき、指先が震えた。
自分で決めたことなのに。
カイルの部屋の前に立ったとき、胸が苦しくなった。
扉の向こうに、気配があるのがわかる。
——いる。
それだけで、ノックする勇気が失われる。
セレーナは深く息を吸い、封筒をそっと床に置いた。
扉の前に、誰にも気づかれないように。
「……さよなら」
声には出さず、心の中で呟いて、踵を返す。
そのとき。
部屋の向こうから、足音が聞こえた。
思わず顔を上げると、カイルが立っていた。
一瞬、視線が合う。
言葉が、喉までせり上がる。
けれど、どちらも口を開かなかった。
カイルは何か言いたげに眉を寄せ、
セレーナは、それに応える資格がないと思ってしまった。
すれ違う距離。
近いのに、遠い。
何も言わないまま、二人は背を向ける。
——これでいい。
そう思い込もうとした。
一方、部屋に戻ったカイルは、扉の前に置かれた封筒を見つけ、立ち尽くした。
名前を見るまでもない。
「……」
拾い上げると、紙がわずかに湿っているのがわかった。
開けるべきか。
開けないべきか。
ベッドに腰を下ろし、頭を抱える。
言えば終わる。
黙っても終わる。
どちらにしろ、失うなら。
「……言わないほうが、マシだろ」
そう呟いて、封筒を握りしめた。
しばらくして、ようやく指先が動く。
封を切る音が、やけに大きく響いた。
中の紙に、視線を落とす。
——文字が、現れていく。
「セレーナ……」
カイルは息を呑んだ。




