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嘘だった。三ヶ月だけ恋人のふりをする契約でした。  作者: 絹ごし春雨


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第二話 演技

 契約を交わしてから、数日が過ぎた。


 カイルが提示した“決め事”は三つ。


 一つ。人前では恋人らしく振る舞うこと。

 手を引かれるのも、寄り添って歩くのも、周囲に見られるための演技。


 二つ。本気にならないこと。

 言葉にしたのはカイルだったが、胸の奥がひりついたのはセレーナの方だった。


 三つ。余計な干渉はしないこと。

 連絡は必要最低限。授業と、決めた時間だけ勉強を教える。それ以外は、普段通り。


 ただ――。


普段通り、という言葉が、すでに嘘のような気がしていた。


 廊下を歩けば、生徒たちの視線がふっと揺れて寄ってくる。

昼休みには、自然な顔でカイルが席の横に立っている。

放課後は、いつの間にか隣で歩調を合わせて帰り支度をしている。


「お前、ここの解法もう覚えたんだろ」


「……覚えたけど、あなたの教え方がややこしいの」


「俺のせいにするなよ。ほら、そこが違う」


軽い言い合いなのに、どこか以前より近く感じる距離。


そのはずなのに、線だけは越えない。

越えてはいけないと、互いに強く意識している。


曖昧で、不思議な関係。


「……こんなはずじゃなかったのに」


どうしてだろう。

こんなにも、心臓がドキドキしている。



気持ちを落ち着けようと深呼吸したとき。


「セレーナ」


 名を呼ばれて振り向くと、カイルがいつもの無表情で立っていた。


「……その顔。問題、また詰まったのか?」


「ちが……ちがうよ。別に」


「別に、は別にじゃないだろ」


淡々と言いながら、彼はセレーナの手から教本を取り上げる。

指先が一瞬触れて、セレーナの胸がひゅっと縮んだ。


「ほら、貸せ。どこだ?」


 机に置かれた教本のページに、カイルはさらっと身を屈めた。

 

ーー近い。

以前、噂のきっかけになった距離よりも、少しだけ。


「これ。ここ見落としてる」


「……ほんとだ」


「だろ」


顔を上げたカイルの表情が、ほんのわずか柔らかく崩れた。

それが油断なのか、演技なのか、セレーナには判断できない。


胸のどこかで、小さく波紋が広がる。


「……なあ、セレーナ」


「なに?」


「……その。ちゃんと寝てるか?」


まさかの問いに、セレーナは目を瞬いた。


「な、なんで?」


「お前、顔に出やすいんだよ。無理してると」


いつもの無遠慮な調子なのに、不思議と優しい。


「……干渉しないんじゃなかった?」


「最低限だ。……恋人らしくするためのな」


それを言うカイルの声は、どこか低くて、ほんの少しだけ脆かった。


演技のはずなのに。

境界線の向こう側が、すぐそこにある気がした。




 放課後、図書塔へ向かう廊下は、夕陽の色が濃く沈みはじめていた。

セレーナが借りた本を抱えて歩いていると、背後から小走りの気配が近づく。


「セレーナ先輩!」


 振り返ると、下級生の男子が頬を染めて立っていた。


「あ、あの……! こないだの錬金術のレポート、本当に助かりました!

その……もしよかったら、これ……!」


差し出されたのは、可愛らしい包装のクッキー。

お礼だというそれを受け取る前に、横からすっと影が差し込んだ。


「何してんだ、お前」


いつの間にか隣に立っていたカイルが、男子を真っ直ぐに見下ろしていた。


「え、カ、カイル先輩……! その……」


「セレーナは俺と帰る約束してんの。話はそれだけか?」


冷たくはないのに、妙に刺さる声音だった。

下級生は慌てて頭を下げ、ほとんど逃げるように去っていった。


セレーナは呆然とカイルを見上げる。


「今の、すごい嫉妬した彼氏みたいなんだけど」


「は?……んなわけねーだろ。……困ってたくせに」


「困って……ないけど」


「嘘つけ。顔に出んだよ、馬鹿」


何でもないように言いながら、カイルはセレーナからクッキーの包みをひょいと取り上げる。


「あっ、それ……!」


「甘いの苦手なんだろ」


「わ、私が苦手なのは知らないでしょ!?」


「知ってる。前に授業で食ってた時、顔しかめてただろ」


なんでそんなこと覚えてるの――

胸の奥がふっと揺れ、セレーナは言葉を失う。


演技のはずの距離が、もう演技じゃないみたいに感じる。

触れもしない“何か”が胸の内側で形になりかけていて、セレーナは思わず視線を逸らした。


「……私たち、契約なのに」


呟きは風に溶けていった。

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