ノイ一族と生真面目騎士・3
「オリヴァー様。どうかこれからも殿下を支えてあげてくださいね」
いつもと同じ笑顔。いつもと同じ優しい声色。けれど放たれた言葉の意味が正確に把握できなくて酷くオリヴァーは動揺した。けれどヴァイスの言葉に我に返る。
冷ややかで、突き放す様なその声色は聖女候補を生徒会へ入れることに反対した時のものと似ていてひやりとする。
さっさとイリスを連れてその場を後にするヴァイスを呆然と見送ったオリヴァーであるが、とりあえず集まってしまった他の生徒を散らすと部屋の中へ入ってゆく。
「殿下」
「……オリヴァーか」
「どういう事ですか?」
「イリスとの婚約を破棄した」
俯く聖女候補の肩を抱きながら言い放つ第二王子の姿にオリヴァーは瞳を細め、この感情は何なのかと考えた。失望。怒り。悲しみ。どれも違うと小さくオリヴァーは首を振る。
「なぜ急にこの様な無茶を」
「……これ以上引き伸ばす訳にはいかない。エーファのためにも、イリスのためにも」
「イリス様のため?これが?」
「元々卒業後には解消の予定だった。早く解放した方が彼女のためだろう」
オリヴァーが驚いたような表情を作ったのは、イリスとの婚約が解消前提だと知らなかったからだ。イリスは当然知っているとして、ヴァイスは、ロートスは知っていたのだろうか。自分だけが知らなかったのだろうかと酷く心が重くなる。けれど自分は第二王子の護衛なのだから、例え知っていても知らなくても己のなすべきことは変わらないと言うことも自覚していた。
「だったらなおさら破棄などではなく手順を踏んで円満解消にすべきです」
「それでは遅い。イリスの後釜を据えられてしまう」
円満解消するには本人たちの同意以外にも家同士の同意が必要となるのはオリヴァーも知っていた。そもそも婚約・婚姻自体が家同士の契約なのだ。お互いに瑕疵なく解消という形になるには一方的であってはならない。
そして第二王子と言う立場上、イリスとの婚約が解消された場合余計な諍いを起こさないために直ぐに新しい婚約者が据えられるであろうことは簡単に予想できたし、少なくとも目の前にいる聖女候補が据えられることがないのも理解できた。高位貴族の娘。もしくは大きな派閥に属さないイリスのような中堅どころの娘。そのどちらにもエーファは当てはまらなかった。
――所詮聖女候補だろ。
吐き捨てるようにヴァイスが嘗て言った通り、彼女に対し国は特別扱いしないし、する必要もない。
「ならばせめてイリス様は無理でも私かヴァイスに相談してくれれば!!」
「……お前たちは反対するだろう」
「当たり前です!!」
「だったら!!」
「……貴方の立場を考えれば私もヴァイスも反対します。けれど……こんな騙し討ちの様な形ではなく別の方法を考えた……。少しでも貴方に有利なように。少しでも貴方の願いを叶えられるように」
矛盾しているのかもしれない。けれど、彼のやろうとしていることに反対することと、願いを叶えることは別だとオリヴァーは悲しそうに言葉を紡ぐ。
いつだってヴァイスはそうやって第二王子の地位を安定させ、できるだけ願いを叶えてきた。それを自分は見てきた。けれど、もう遅い。そう思うと酷く不安になってオリヴァーは第二王子に視線を送る。
「オリヴァー様!!殿下を責めないで下さい!!殿下は私のためを思って……」
翡翠の瞳に涙を浮かべる聖女候補の声にオリヴァーは僅かに困惑したような表情を浮かべる。
「貴方は殿下の立場が悪くなっても構わないのですか?」
「え?」
「……国が乱れても?」
「オリヴァー!!」
強い第二王子の声にオリヴァーは口を噤むと、眉を下げて笑った。
「殿下。恐らく既にヴァイスがノイ伯爵家や王城に知らせを入れていると思います。確認しますのでお先に失礼します」
あぁ、自分は不安なのだ。ヴァイスも、イリスも、いなくなってしまった。自分だけで第二王子を支えられるのだろうかと考えると酷く憂鬱な気持ちになる。国のためにとすべてを捧げてくれていたイリスはもういない。分散していた負担は一気にのしかかる。
踵を返してオリヴァーは早足に学園を後にした。
***
王城へついたオリヴァーはとりあえずどこへ向かうか考える。仕事の早いヴァイスのことなので、少なくともノイ伯爵には連絡を既に入れているだろうと考える。中央の魔具研究所から恐らく宰相へ連絡も入っているかもしれない。ただ己の身分では宰相に直接会うことはかなわないのを知っている彼は、手っ取り早く第二騎士団長である父親の元へ足を運んだ。まだ父親のところには話が届いていないかもしれないが、役職的に宰相に繋は取れると思ったのだ。
「オリヴァー!!」
騎士団詰め所の執務室に入ると第二騎士団長は立ち上がり息子を迎える。その表情を見ると、どうやら婚約破棄の話自体は届いている様にオリヴァーは感じた。
しかしながらオリヴァーが口を開こうとすると同時に、背後の扉が開き騎士が飛び込んでくる。
「団長!!火は消し止めましたがだめです!!全部消し炭です!!」
「……研究所所長にはご愁傷さまと伝えておけ。高位魔術師が復元できるかもしれないから灰は念の為に確保しておけ」
「はい!!」
「……火災が?」
「いや。ノイ伯爵が景気よく開発途中の魔具設計図を燃やしたらしくてな」
「は?」
「初めは不要な書類の処理だと思って周りも見逃していたのだが、所長に退職届を叩きつけて早々に帰宅した。……ここに来たということはお前もその件か?」
恐らく退職届を見た所長が慌てて火を消し止めるために騎士団に人員要請をしたのだろう。残念ながら消し炭になったようだが。
「はい。私はその場にいたわけではないのですが……」
「そうなのか?」
第二王子の護衛と言う立場なので一緒にいたと思ったのだろう。団長は僅かに眉を寄せたのだが、扉を叩く音がして二人は音の方に視線を送った。
入ってきた男は騎士団の人間ではなく恐らく文官だろうと思いオリヴァーは場所を譲るように隅に移動しようとする。しかしながら男は構わないと言うようにオリヴァーを制して口を開いた。
「丁度良かった。君にも話を聞きたい」
「私にですか?」
「ゲルラッハ侯爵だよ。財務の長だ」
団長の言葉にオリヴァーは姿勢を正すと頭を下げる。それに対しゲルラッハ侯爵は小さく頷くと応接ソファーへ腰を下ろした。そして促される様に団長とオリヴァーもソファーへ腰掛ける。
「第二王子の婚約破棄の件。現在神殿に確認中だがノイ伯爵の様子から恐らく事実だろうと思う。君は知っているか?」
「現場にはいませんでしたが、部屋から出てくるイリス様とヴァイスとは話をしました。殿下にも一応話は聞いたのですが……その……止められず申し訳ありませんでした!」
ガバっと頭を下げたオリヴァーの姿にゲルラッハ侯爵は僅かに眉を上げたが、不快そうな顔はせずに口を開いた。
「頭を上げなさい。君は護衛という立場上第二王子と一緒にいることは多かったと思うが、予兆はなかったのか?」
柔らかい口調で問いかけるようにゲルラッハ侯爵が言葉を紡ぐと、オリヴァーは少しだけ考え込むような表情を作る。
全く無かったとは言えない。
実際オリヴァーが護衛任務を休んでいる時に何度か第二王子が代理の護衛を巻いて城下に降りている事があったのだ。自分がそばにいる時はその様な無茶はしなかったのだが、例えば先日イリスやヴァイスと一緒に魔術師団の演習見学に行った時に第二王子の代理護衛に泣きつかれてヴァイスの追跡魔法を使って貰った。第二王子には伝えてはいないが、内密にオリヴァーは己が休みの時はヴァイスに頼んで持ち物に印をつけてもらっていた。護衛任務の者が守るべき対象を見失うなど進退に関わる。自分がいない時に代理で仕事を引き受けてくれている護衛が困らないようにと思って始めたことなのだが、ここ最近は代理護衛が真っ先にオリヴァーに助けを求めに来る事が多かった。
印をつけることや、追跡魔法を使う事自体にヴァイスはこれといって不快感を示さなかったが、第二王子がまた城下で護衛を巻いたという話を聞く時はどこか冷ややかな表情をしていたのを思い出してオリヴァーは思わず唇を噛んだ。
見つかる時は学園で話題になっている流行りの店や、行きつけの店であることが多かったので然程気にされていなかった。第二王子の気まぐれの息抜き。皆そう軽く見た。己自身もそうだった。きっとヴァイスだけが事態を正確に把握していたのではないかと今更ながらオリヴァーは思い至る。
「護衛を巻いて城下へ行くことがありました。代理護衛の時が多かったと記憶しています」
「あぁ、報告書が回ってきていたな」
オリヴァーの言葉に団長は思い出したように書類を棚から引っ張り出しゲルラッハ侯爵へ渡す。いわば日報のようなもので、代理護衛など外部任務に当たっていたものが提出している。
「……なるほど。うちの愚息も注視してはいたようだが……。まぁ、少々火遊びをしてもまさか婚約破棄に至るまでとは思わないだろうな……我々とて同じだが」
新入生の生徒会役員であるベルント・ゲルラッハ侯爵令息が眼の前に座る財務の長の息子であることをオリヴァーが思い出したのは愚息という単語を聞いてからであった。恐らく彼からも父親である侯爵に学園での様子が報告されていたのだろう。
決して婚約者であったイリスと不仲であったわけではない。それは学園の生徒全員が知っている事であった。ただ、最近は聖女候補と親しくしている、そんな話は囁かれていた。けれどイリス自体が生徒会役員同士の話だと全く気にした様子がなく、寧ろレアの方が聖女候補を気に入らなかった様で、そちらの冷ややかな空気が強かった。
「失礼します。ゲルラッハ侯爵。ミュラー伯爵が到着したとのことで、宰相閣下がお呼びです」
「あのクソ狐が来たか。団長、ご子息、時間を取らせて申し訳なかった。この報告書はお借りしても構いませんか?」
「ええ。写しもありますのでお持ち下さい」
舌打ちをしたゲルラッハ侯爵に些か団長もオリヴァーも驚いた様な表情を作ったが、報告書の貸出に関しては団長が許可を出した。
それを確認すると迎えに来た部下と共にゲルラッハ侯爵は部屋を後にする。
「……お前への何かしらの通達があるかもしれん。とりあえず屋敷に戻っていなさい」
「はい」




