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夕食を終えた談話室。酒やお茶などを飲みながら昔話に花を咲かせる親達の姿に、イリスは思わず頭を抱えたくなった。
元々フレムデ・ノイとアクセ・ミュラーは幼少の頃から付き合いがあって仲が良かった上に、イリスがヴァイスに会う前から交流があったので、今聞けば身悶えしてしまうような思い出まで覚えている事が多い。
「まぁ、あれだよね。イリスがヴァイス君に白い花貰う時は凄く嬉しそうだったしねぇ。具体的に言うならぼくが花を贈り始めて一ヶ月目の妻位の顔してた」
いつもそばにいるロートスであるならともかくまさか父親にまで喜んでいたことがバレていたとはと、イリスは焦ったように彼の口を塞ごうとしたが弟に追撃を入れられる。
「枯れるまでいつも水に浮かべて眺めてるよね」
「お姉ちゃんを後ろから刺さない!!」
「だからさぁ、イリスの婚約が円満解消になったらどうやってヴァイス君に貰ってもらおうかって考えてたんだよねぼく。でもイリスから行ったかー」
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!死んじゃうからやめてお父様!!」
恥ずかしさの余り顔を覆って俯くイリスを眺めてヴァイスが咽喉で笑うと、それに気が付きミュラー伯爵夫人が口を開く。
「それを言ったらうちのヴァイスも、毎回イリスちゃんがつける装飾品選ぶの物凄く真剣だったわぁ」
「え。ヴァイスが選んでくれてたの?ミュラー商会で流行ってるの適当に持ってきてくれてるんだと思ってた」
ドレスはどうしても格式を重んじる仕様になりがちなので、せめて装飾品は流行りのものを取り入れてみたらどうだろうかとアドバイスしてくれたのは誰だっただろうか。毎回ヴァイスがドレスが決まれば見に来て、当日までにそれに合う装飾品が届けられる。いつの間にかそんな事に決まっていたのをイリスは思い出した、
「そりゃぁもう真剣よ。流行りの中でもイリスちゃんに似合うの選んで、良いのがなければ作らせて。ヴァイスったらそれ見に舞踏会や夜会に出てたんじゃないの?」
「……」
流石に恥ずかしかったのかヴァイスが小さく顔を背けたのに気がついて、イリスは口元を綻ばせながら彼のそばに寄ってゆく。
「毎回ありがとう」
「……好きでやってただけだから気にすんな」
そんな二人のやり取りを見ながら、伯爵夫人は嬉しそうに瞳を細める。
「内緒よ。本当に内緒なんだけど、イリスちゃんの婚約破棄の連絡受けた晩にこっそり主人と祝杯上げたの」
「何やってんだよ」
「だって!私がイリスちゃん可愛がったら、風切姫がうちの子だからやらんっていつも言うんですもの!」
初めてそんな話を聞いたのか、呆れたようにヴァイスが突っ込むと伯爵夫人は怒涛の如く喋りだした。
「イリスちゃんは風切姫に似て凛とした美人さんだし、性格も良いし、頑張り屋だし、ヴァイスもイリスちゃん大事にしてたし、王家との婚約無ければ絶対うちの子にしたいと思ってたの!!そしたら風切姫が『だったら円満解消になるように国を安定させて、ヴァイスが安心してうちの子を口説けるようにしてやるんだな』って言ったのよ!だから主人と頑張ったのよ!!頑張って良かったぁぁぁぁ!!」
「そうだな。フレムデが研究所から逃げ出さないように宥めすかして、とにかく国庫を安定させて、ミュラー商会も規模を大きくして……まぁ、まさかあんな形で婚約破棄とは思わなかったが、祝杯を上げてもバチは当たらんだろ」
「割りとガチめにミュラー会長達がヴァイスと姉さんの後押ししてて驚くんだけど」
唖然とするイリスとヴァイスの代わりにロートスが突っ込むと、伯爵夫人は表情を引き締めて口を開く。
「だってヴァイスが私達に望んだのはイリスちゃんを助けたいって事だけだったんですもの。その為に侯爵家から伯爵家に降りてミュラー商会の後継者になるって。後継者として成果を出すから、それだけは優先させて欲しいって頭を下げてきたのよ」
「え?それいつの話ですかおば様」
「お義母様ね、イリスちゃん」
「お義母様」
「貴方の婚約が決まって直ぐよ。そりゃぁもう主人も私も吃驚したわ」
「覚えてたのかよ……」
気まずそうにヴァイスが呟くとミュラー伯爵も伯爵夫人も瞳を細めて頷く。その後、ヴァイスは積極的にミュラー商会の事を学んでいったし、本当に優秀な甥を宰相である兄ではなく自分の後継者にしてしまっていいのかとミュラー伯爵は悩んだ時期もあった。けれど、ヴァイスはそれこそ真剣にイリスの助けになりたいのだと言うのも解ったので、時期が来れば正式に養子にすることを決めたのだという。
「え?ヴァイスって姉さんに一目惚れなの?姉さんの婚約前は交流なかったよね。あの時はアイゼン侯爵家だったし」
「一目惚れって訳じゃねぇけど。俺が渡した花を喜んだ顔が可愛かった」
しれっとヴァイスが言い放てば、隣に座るイリスはみるみる顔を赤くして俯く。まさかそんな理由だとは思わなかったのだろう。耳まで赤くなっているイリスにヴァイスは片手を伸ばすと頭を撫でる。するとますます彼女は俯いたがヴァイスはそれを嬉しそうに眺めて笑った。
「その顔見たくてずっと理由つけて花渡してた」
「そろそろ私の心臓が持たないのでやめて下さい」
「照れた顔も可愛いのな」
咽喉で笑ったヴァイスにからかわれたと思ったのかイリスがちらりと彼の表情を伺うと、本当に嬉しそうに表情を緩めていたのでまた俯くハメになる。
その顔は反則ではないか。しかも近い。そんな事を考えているとロートスが口を開いた。
「っていうか、刺されて死んだら姉さんに花も贈れないし喜んだ顔だって見れないんだけど」
「……そーだな。イリスの幸せは望んでたけど、俺を選ぶのは想定してなかったな。第二王子殿下がイリスを幸せにできるならそんでも良かったしよ。だから性悪聖女を遠ざけるの優先した。けど……今はマルクス達が割り込んできたのに感謝してる」
「まじで。普段強気なのになんでそこで控えめなのか意味解らないんだけど」
ポツリと呟いたヴァイスの言葉にロートスは思わず声を上げ、一同驚いたように彼の顔を眺める。無論、イリスもぽかんとしたように彼を見上げた。
皆てっきり婚約が円満解消になったらイリスを迎えたいと頑張っているのだと思っていたのだろう。
しかしながら普通に考えれば相手は第二王子の婚約者である。円満解消の可能性があったとは言え、例えばヴァイスがイリスを助けたいと決めた時点ではそのまま婚姻に至る可能性だってあったのだ。だから想定していなかったと言うヴァイスの考えも解らないでもない。
「私は円満解消に向けて頑張ったわよ。ヴァイスが頑張ったご褒美くれるって言ったから」
「……頑張ってたな。最後まで最高の第二王子の婚約者だった。正直学園入る前に円満解消の方向って言われた時は驚いたけどよ」
「後釜は早めに探してもらったほうがいいって思ったのよ。殿下も別に私のこと嫌いではないけど、特別好きって訳じゃなかったみたいだし」
常に紳士的で大事にはしてくれていたのだが、愛情を傾けるのとは違うような気がしていた。ただ、タイミングはもう少し待って欲しいと宰相からの依頼があったので伸ばしていただけである。
「一方的な破棄になるなら入学前に円満解消にしとけば姉さん疵物扱いも、訳解んない聖女候補に絡まれる事も無かったよね」
「その辺りは国の都合だからなぁ。王太子殿下の婚姻は決まっていたが、子ができるまでと思った宰相閣下の気持ちもわからんでもない」
実兄である宰相のフォローをするようにミュラー伯爵が言えばロートスは少しだけ不満そうな顔をしたが納得はした。政略結婚などそんなものだろうと言うのはロートスでも一応は理解している。ただ、腹が立つだけなのだろう。
「それで?イリスちゃんはいつぐらいからうちの子を好きになったの?」
「な……内緒です!!」
期待の眼差しを向けるミュラー伯爵夫人に焦ったようにイリスは返事をする。その反応が初々しいと感じたのか伯爵夫人は後でこっそり教えてね、と小声でイリスに囁く。それこそヴァイスと会う前から交流のあった上に、可愛がって貰っていたのもあり流石に強くは断れないのだが、恥ずかしいと言う気持ちがイリスの中では行ったり来たりしている。
余り困らせては可哀想だよと笑いながらやんわりとミュラー伯爵が止めてくれたのにホッとしたイリスであったが、驚いたように声を上げた。
「え!?静かだと思ったら寝てる!?」
「ああ、かまわないよ。昔からうちで酒を飲んだらフレムデは泊まっていってたからな。今日は君たちも泊まっていくといい」
流石に迷惑ではないかと焦ったようにイリスは断ろうとしたが、結局満面の笑みを浮かべたミュラー夫妻に押し切られる。
「あ、ヴァイスはイリスちゃんの部屋にノコノコ行っちゃだめよ。そこは正式に婚姻するまで控えなさい」
「流石にそこまで焦らねぇよ。待つのは慣れてるし」
「……それもどうかと思うわ……イリスちゃんに任せてばかりじゃなくて、たまには強引に行ってもいいのよヴァイス」
「どっちなんだよ」
引き止めたかと思えば急に背中を押す伯爵夫人に困惑しながらヴァイスは言葉を放った。
***
ぼんやりと夜空をヴァイスは眺めていた。最後かもしれない日が終わる。そんな事を考えて。
創立祭がどうなったかは知らないが、少なくとも聖女候補がその舞台に上がることはない。それだけでも満足であったのだが、結局欲が出た。
イリスが幸せに生きてくれているだけで良かった。けれどイリスに望まれたことが自分でも驚くほど嬉しくて、最後に夢を見たくなった。
「ヴァイス?」
「寒いだろ。こっち来るか?」
座っていたベンチを軽く叩いてやると、恐る恐ると言うようにイリスはそばに寄ってきてヴァイスの隣に座った。
少しだけ空いた二人の距離をヴァイスは詰めると、またぼんやりと空を眺めだす。
「ヴァイスこそ寒くないの?」
「……あんま解らねぇな」
そんなヴァイスの返事にイリスは驚いたような顔をすると、そっと彼の手を握る。ゆっくりと彼女の熱が伝わってくるのを感じてヴァイスは困ったように笑った。
「そっちの手が冷たくなんだろ」
「いいわよ」
「……そうか」
「眠れないの?」
「明日はどんな日だろうと思ってよ」
創立祭の次の日などずっと来なかった。もしかしたらまた巻き戻るのかと思うと寝付けなくてヴァイスは外に出てきたのだ。
けれど、今日と言う日は今までで一番の日であったのも本当で、それが惜しくて、終わらないで欲しいと言う気持ちがヴァイスの中では強い。
「明日も明後日も、ずっといい日よ。だって私とヴァイスが一緒に歩いていくんですもの。まぁ、大変な日もあるかもしれないけど、その時は赤い花を川に流せばいいわ」
明日も明後日も。その言葉にヴァイスは思わず瞳を揺らす。そうあって欲しいと願っている。けれど怖くなってイリスの手に己の手を重ねた。
「……イリス」
「なぁに?」
「愛してる」
己の顔を驚いたようにイリスが眺めるのが可笑しくてヴァイスは思わず口元を緩めた。ずっと言えなかった。ずっと思ってきた。一緒に歩いて欲しいとは言えても、その言葉だけは怖くて言えなかった。
「私も貴方を愛してる。大好きよヴァイス」
真っ直ぐに己を見つめて返された言葉に、ヴァイスはほっとして息を吐き出す。そして、ゆっくりとイリスの身体を引き寄せた。
優しく触れた唇は、次第に熱を交換するように深く交わってゆく。どうせ終わるのならこのまま終われればいいのに、そんな事を一瞬ヴァイスは考えたが、イリスの言う明日も、明後日も一緒に歩いてゆくと言う言葉に背を押される。
「明日もいい日だな。きっと」
「……カウントダウンでもする?」
「なんだよそれ」
「ヴァイスと私で迎える新しい明日へのカウントダウン的な?」
大真面目にイリスが言い放ったので、ヴァイスは懐中時計を引っ張り出して視線を落とす。
するとイリスは、あー、と言うように眉を下げた。
「もう明日だわ。もっと早く言えば良かった」
ぽたりと懐中時計に雫が落ちたので、雨でも振ってきたのかとイリスが顔を上げるとヴァイスが涙を零しているのに気が付き、慌てたように彼の顔を覗き込んだ。
「え!?どうしたの!?泣くほどカウントダウンできなかったのがっかりしたの!?」
「……そっちじゃねぇよ」
「どっちよぅ!!もうなんで泣くの」
「嬉しくても泣けるってお前言ってたろ」
「言った気がするけど……え!?今なの!?今嬉しいの?」
困惑したような表情のイリスを眺めヴァイスは口元を緩めると彼女の身体を引き寄せて、しっかりと抱きしめた。
柔らかな彼女の黒髪に顔を埋めて、耳元でヴァイスは囁く。
「悪夢の旅は終わって、幸せな旅が始まるのが嬉しい」
「……そっか。おかえりなさいヴァイス。これからは一緒に幸せになりましょう」
──ここは七つ目の世界で、悪夢の終わり。




