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「国の人柱になることは私が選んだんだからヴァイスは関係ないでしょ!その間ヴァイスはずっと私を支えてくれた!助けてくれた!私の幸せをずっとずっと願ってくれてた!」
意識を引き戻されたヴァイスは、自分の隣に立ってそう言い放ったイリスを驚いたように眺める。普段はこの様に大声を出すタイプではないイリスが、エーファを見据えて彼女を全否定するようにヴァイスとの間に割って入ったのだ。
「アンタはなにも知らないだけよ!その男は……」
「ヴァイスが咎人って言うんだったら、私が赤い花に乗せて全部その罪を川に流してやるんだから!それに、私の手を取れないって言うんだったら……」
そこまで言うとイリスはぎゅうっとヴァイスに抱きついた。
「私が掴むわ。私の幸せにはね、ヴァイスが絶対必要なの」
赤い瞳が大きく見開かれる。抱きしめればまたあの時の悪夢が繰り返されるのでは無いかと言う恐怖が湧き上がると同時に、風切姫の言葉が脳裏にちらついた。ここは七つ目の世界で、悪夢の旅の終わり。
恐る恐ると言うようにヴァイスはイリスの背に手を回して彼女を抱きしめた。
目の奥と咽喉が痛む。胸が軋む。いつかイリスが嬉しくても泣けるのだと言っていたのを思い出しながらヴァイスは涙を零した。
「……うそ。やめて。なんで……」
呆然とそう言葉を零すエーファを見下ろしながら、マルクスは僅かに眉を寄せて口を開く。
「ベルント。なんか縛るもの持ってきて。いいですよね殿下」
「……ああ」
「ルフト様!助けて!」
「話は後でじっくり聞く。エーファ。どうか暴れないでくれ」
エーファの前に立ったルフトは悲痛な表情を浮かべてそう言い放った後に、小さな声で彼女に問うた。
「エーファ。私の事をどう思っている?」
「勿論愛していますよ、ルフト様。私は皆さんの事を愛してます」
翡翠の瞳を真っ直ぐに向けてそう言い放った彼女に、ルフトは悲しげに微笑んだ。
***
「私はただヴァイス様とゆっくりお話がしたいからイリス様を引き止めて欲しいとお願いしただけで、拘束だなんて恐ろしいことをお願いした訳では……」
「ヴァイス様を傷つけようなんてそんな……あれはベルントの勘違いです。短刀だって護身用の物ですもの」
「急に押さえつけられて驚いて暴れてしまっただけです」
「……ヴァイス様を縛り付けてるイリス様につい言い過ぎてしまって……」
別室でエーファからの事情聴取をしたルフトとオリヴァーを眺め思わずベルントは半眼になる。恐らく話が上手く噛み合わなかったのだろう。
実際あの場所に偶然最初から最後までいたベルント自身も全く彼女の言っている意味が解らなかったのだ。
「……そう言えば貴方は何故マルクスとあの場所に?」
「明日の舞踏会場になるホールの照明魔具がいくつか故障していまして。同じ型の魔具が教会にあるからそれをとりあえず外して使用しようと言うマルクスの提案で……」
もっと早くに発覚していれば良かったのだが、取り寄せるのにも時間がかかる。教会控室の照明魔具ならば一日ぐらい借りても大丈夫だろうと思ったベルントは管理者に確認をした後、マルクスと一緒に教会で取り外し作業をしていたのだ。
そして例の場面に遭遇する。
男女の密会など首を突っ込む必要もないとベルントは思っていたのだが、様子がおかしいとマルクスが言い出したので様子を伺っていた所、エーファが刃物を取り出したので慌てて二人で拘束した。
オリヴァーの問いかけにベルントはそう返事をして僅かに瞳を細める。
「詳しい会話内容は……正直僕にも意味がわからないので、覚えてる限りお伝えする分には構いませんがマルクスにも聞き取りして下さい。ただ、ヴァイス様がイリス様を助けていたのがエーファは気に入らなかったという事以外ははっきり分かりません」
「そうですね。マルクスは……どう思いましたか?」
黙ってベルントの隣に立っていたマルクスにオリヴァーが視線を向けると、彼は少しだけ考え込んだ後、口を開く。
「なーんもわかりません」
「おい」
嗜めるようにベルントがマルクスを睨むが、彼は気に留める様子もなくそう言い放つと僅かに首を傾げた。
「ただ、ヴァイス様が命かけてでもイリス様をあの聖女候補から守りたかったってのだけわかります。こんな事言ったらなんですけど、イリス様への態度異常じゃないですか?」
「……それは……」
「まぁ殿下の元婚約者ですし、何しても結局イリス様と比べられるのキツイとは思いますけど。もしもあそこでヴァイス様が刺されてたらあの聖女候補どうなってました?少なくとも牢にぶちこまれますよね?そしたらイリス様にちょっかいかけるのも不可能になりますよね。多分ヴァイス様は話し合いで解決できなければそれでも良かったんだと思います」
マルクスの言葉にルフトは絶句した。最悪そうなっていたかもしれないと思えば背筋が凍るし、何故そこまでエーファがイリスを敵視するのかも理解できず、言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「聖女の力は顕現しない、詰みだクソ女、諦めろ。ヴァイス様はそう言ってましたよ。そんでエーファが刃物取り出した。俺からの証言は以上です」
「……何が彼女をそこまで……」
困惑したようなオリヴァーの言葉にベルントは呆れたように言葉を零す。
「聞きたいですか?殿下には酷ですよ」
「構わない。彼女は何を言っていた」
「神様に愛されてるから私は皆に愛されるべきなのだと。殿下にも、ヴァイス様にも、オリヴァー様にも、オスカーにも、僕にも、ロートスにもと。実に欲深い聖女候補です」
「入れられても困るけど、俺が入ってないの地味に悲しかった」
「僕は自分が入ってる事に恐怖したんだけど」
マルクスのツッコミにそうベルントは冷ややかに言葉を返す。確かに生徒会としてはそれなりに親しくしていたが、下手をすればヴァイスに対するように執着されていたかもしれないと思いベルントはその時ゾッとした。
「……そうか……」
決して愚鈍な人ではない。薄々気がついていただろう。ただ、直視するには余りにも重い現実に打ちのめされているルフトを眺めマルクスは口を開いた。
「俺はロートスの友達で、ヴァイス様にも面倒見てもらって、イリス様の事大好きなんで、今回のことに関してはミュラー伯爵家から依頼があれば正直に証言します。ベルントが口をつぐんでも喋ります。それじゃ!そろそろ帰りますね!」
「おい!マルクス!」
くるりと振り返ったマルクスをベルントは引き留めようとしたが、彼は一目散に部屋から逃げ出した。
逃げ足の速さに思わずベルントは舌打ちしたが、それでもマルクスの言葉は分かる。ルフトやオリヴァーの表情を見れば、エーファが反省をした様子も無かったのだろう。ならばこのまま放置と言うわけにもいかない。ただ流石にここで安易に発言するのは控えてベルントは小さく息を吐き出した。
「では僕も準備に戻ります。流石に創立祭を中止という訳にはいきませんから」
静かに閉められた扉を眺めて、ルフトは考え込むように瞳を伏せた。




