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社交シーズンの終わり頃、中央の学園では創立祭というイベントが行われる。
武芸大会や音楽コンクール、バザー、そして夜の舞踏会と一日賑やかな祭りで、生徒会主催のものである。
それもあり、生徒会は夏の長期休暇が明けたあとはその準備で慌ただしい上に、一般生徒もその準備の手伝いや、大会に出る者はその練習・鍛錬などでバタバタとする。
「え、イリス様創立祭の舞踏会出られないんですか?」
「ドレス作ってないのよねぇ」
驚いたようにマルクスが尋ねれば、イリスはすっかり忘れていたと言うように言い放つ。
放課後のカフェで新作の茶葉を楽しみながら創立祭の話をしていたのだが、イリスの返事にマルクスは首を捻った。確かにイリスは今期に関しては婚約破棄を理由にお茶会も夜会も全力でお断りしていた。けれどまさか着ていくドレスがないと言う返事が来るとは思わなかったのだろう。
「今まで着てないドレスはないんですか?」
「毎回向こうが準備してたのよ」
格式のあるドレスをとイリスは毎回城に呼び出されて採寸をしデザイナーに希望を聞かれてはお任せすると言い放ち、装飾品だけはミュラー商会からの斡旋で自前調達と言う流れであったのもあり、言ってしまえは夜会用のドレスを個人的に作ることが殆ど無かった。軽い茶会用のドレスは何枚か持っていたが今回のようなイベントで着るには少々場違いになってしまう。
令嬢たちの新規注文が殺到するこの時期にイリスが今から注文しても間に合わないだろう事はマルクスでも分かった。極端な話、何ヶ月も前から注文するという事はドレスの場合ザラなのだ。
「ヴァイス様に言えば間に合うんじゃないですか?」
「そこまでして出なくてもいいかなぁって」
イリスの笑顔を見れば注文しなかったのはわざとだとマルクスは漸く察した。ロートスもそうであるが、基本ノイ家は社交が面倒臭いというスタンスなのだ。これと言って目当てがなければ全力でサボる。
そしてイリスが望めばおそらくヴァイスはドレスの一着や二着調達できると思われるが、黙々と隣で書類に目を通している所を見ると、今回は彼女の意向を汲んでわざわざ口出しをしないと決めているのだろう。
「あー。はい。面倒臭いんですねイリス様」
「ドレスがないのよぅ。長期休みは忙しかったわぁ」
完全に棒読みで言われてマルクスは思わず笑った。第二王子の婚約者の座を降りてからは、学園内でも時々そんな子供じみたことをイリスはする。完璧な令嬢である必要がなくなったのもあり、相変わらず凛とした雰囲気ではあるのだが、親しみやすくなったとひっそりと囁かれていた。
「姉さん」
「お帰りなさい、ロートス君」
「おかえりー」
そして漸く合流したロートス。
学園では掃除を専門にする人間がいるのだが、敷地の片隅にある教会だけは奉仕活動の一環として交代制で生徒が掃除をする事となっている。
本日の当番であったロートスを待つためにカフェにいた三人は戻ってきた彼を笑顔で出迎えた。
「掃除面倒臭い」
「わかるー。俺なんて創立祭の週が当番だから特にチェック厳しい気がする」
ロートスの不満そうな声にマルクスは笑いながら同意をした。一般の招待客等も来る当日、催し会場になっていないのだが立ち入り禁止にもならないので照明等もきちんと拭くように言われている。
それで今までの当番の時よりロートスは掃除に手間取り、彼等はカフェでまったりと待っていたのだ。
「ヴァイスは終わりそう?」
「別に家でやってもいいから構わねぇよ」
紅茶で喉を潤しながらロートスが視線を送るとヴァイスは手元の書類から視線を外さずに口を開く。
こちらはこちらで創立祭の為にミュラー商会に生徒会が手配した発注書の確認をしていたのだ。納品日や在庫の照らし合わせ、追加で手配しなければならない物等をチェックしていたヴァイスは、自分に合わせなくていいというようにそう言い放った。
舞踏会を開くのもあり会場設備や飲食物の発注も当然だが、例えば音楽コンクールの際に控室として使われる部屋の整備用等多岐に渡る。
「花の発注ねぇな」
「あ、今年は園芸クラブ管理の温室の花を使うって言ってましたよ。経費削減だってベルントが」
「オスカーじゃない方だっけ?」
「そうそう。会計の奴。一応園芸クラブが花育てましたーって宣伝的なのするって言ったら了承してくれたって」
「詳しいな」
ベルントと仲が良いというイメージが無かったのもありロートスが驚いたように言うと、園芸クラブ所属の友達を紹介してくれとベルントに頼まれたのだとマルクスは笑った。
学園にはいくつかそのようなクラブであるとかサロンが存在し、同じ趣味の者同士が集まって活動をしているのだ。園芸クラブ等は温室や花の苗等の調達で他に比べると生徒会から渡されている補助金が大きいのもあり、還元してもらおうとベルントが働きかけたらしいとマルクスは話を続けた。
「まぁ、こんな花育てたって見せたい気持ちもあるわよねぇ」
「イリス様は植物は育てないんですか?」
「魔具触ってる方が楽しいわ」
趣味は魔具いじり。おそらくノイ家の人間は口を揃えてそう言うのだろうと思い思わずマルクスは口元を緩める。
「ヴァイス様は何か趣味ありますか?」
「商売」
「仕事じゃないですか!?」
マルクスのツッコミにノイ姉弟は笑う。実際ヴァイスは趣味らしい趣味もなく、商売に力を入れている。ただこれに関しては金を稼ぐのが面白いという感覚なので、金自体にヴァイスは余り興味はないのだが。
「……まぁ、ヴァイス様の場合は仕事以外ならノイ家の面倒見るのが趣味とかそんな感じですよね」
「マルクス的に趣味判定なんだ」
「好きでやってるなら趣味だと俺は思うけど」
「何だよそれ」
やや呆れたように、けれど可笑しそうにヴァイスが口元を緩めるとマルクスは満面の笑みを浮かべて頷いた。
***
そして創立祭前日。
授業は無く全生徒がそれぞれ会場設営に駆り出される。
イリス達は音楽コンサートの際に使われる控室の掃除や飾り付けの担当となり、彼女はヴァイスや他の生徒と温室の花を受け取りに行った。
普段イリスが温室に入ることはないのだが、色とりどりの花を眺め顔を綻ばせる。
「思ったより本格的なのね」
「そうだな」
待っていた園芸クラブ所属の令嬢、令息がある程度花を切ってくれていたが、バランス等を考え追加でいくつか花を切る事となる。
「淡い色が多いから濃い色のもいるかしら」
「それならこちらはどうですかイリス嬢」
園芸部員の令息に案内された場所の花を眺めイリスは礼を言うと早速何本か花を切っていく。
「綺麗に咲いているのね」
「はい。温室には大型の温度調節魔具がありまして。これを導入してからは枯らす事も減ったと聞いています」
にこやかに園芸部員が言うとイリスは驚いたように瞳を瞬かせた。割りと高価な魔具が導入されていたのに驚いたのだ。貴族の温室などに導入されているのは聞いていたが、この魔具に手が届かない場合は、魔具で沸かした湯を循環させて室温を上げる方法が取られている事が多かった。ただ、外気の加減でお湯がさめる時間が早くなったりするので大型の温度調整魔具より安定性に欠ける。
これは確かに還元して貰わないとだめだなと納得しながらイリスはせっせと花をバケツに入れていった。
これくらいで良いかな、そう思いイリスが他の生徒を眺めれば大体花の調達は終わったのだろう、パラパラと温室の入り口付近に集まっている。
「イリス」
「なぁに?」
ヴァイスに名を呼ばれて振り返ると、彼は少しだけ迷ったように視線を彷徨わせたあと口を開いた。
「別件でちょっと外す」
「あらそう?忙しいわね」
ミュラー商会への発注などの仲介もしているのでそちらだろうかと思いイリスは大きく頷くと彼を送り出す。
「いってらっしゃい」
満面の笑みを浮かべて放たれた言葉にヴァイスは赤い瞳を細めると、彼女の頭を片手で一撫でして温室を一足先に出た。




