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「はじめましてクラウスナー子爵。いつもお取引ありがとうございます。孤児院への寄付の件も快く引き受けてくださり感謝しております」
「いえ、こちらこそ」
「待ってヴァイス様!ミュラー伯爵家モードやめて!!親父が緊張しすぎて死んじゃう!俺も死にそうです!」
「流石に始めの挨拶は適当にできねぇだろ」
「あ、戻った。はい。そうなんですけど、本当そういうのいいですから」
マルクスが上げた声にヴァイスは呆れたような表情をしたが、砕けた口調になったのに安心したのかクラウスナー子爵の方は僅かに表情を緩めた。中央に出仕するわけでもなくひたすら領地運営をする貧乏子爵。社交も余り得意な方ではないし、子沢山のどちらかと言えば気さくな気質なのだ。
「ここはお互い気楽にということで」
「ではお言葉に甘えて。子爵の心遣いに感謝します」
一気に空気が緩んだのでイリスも外向きのよくできた微笑みではなく、いつも身内に向ける様な自然な表情を浮かべる。
「ここに来るまでに少しだけ町を見たけど、本当に賑やかなのね」
「ええ。祭りの間は町中花で一杯ですよイリス様。夕食までに時間ありますし、ちょっと覗いてみます?」
「マルクス。まだお部屋にもご案内していないのに」
嗜めるように子爵夫人が言えば、それもそうかとマルクスはイリス達に視線を送る。マルクスは彼等を迎えるために演習が終わった後一足先に実家に帰ってきた。親戚以外の客が来る事が余りないクラウスナー家は失礼があってはいけないとあれこれ準備をし、子爵も子爵夫人も緊張の面持ちで当日を迎える。
使用人も連れずに三人だけで来るという話に疑心暗鬼であったのだが、荷物はミュラー商会支店に先に送り、本人たちは馬で移動という予想外のルートに驚く。しかも馬の面倒を見てもらうのも申し訳ないと、商会のクラウスナー領支店に預けてそこから徒歩で屋敷を訪れた。
普通の貴族とは違うと言うマルクスの主張が本当だと安心したのも束の間、ヴァイスが丁寧に挨拶をし始めたので、やっぱり高位貴族だ!と子爵は思わず冷や汗をかいたのだが、それもマルクスの言葉によってあっという間に弛緩した。
使用人に三人の客人の部屋への案内を任せた子爵は大きく息を吐き出してマルクスに視線を送る。
「お前の言った通りだったが……」
「ヴァイス様もノイ伯爵家も堅苦しいの好きじゃないから。あと、孤児院の名義貸しの件とかで割とうちに対して好印象だし」
「うちの名前ぐらい別にいくらでも貸すよ。お前がそうしたいって思ったのだろう」
「うん。ありがと。イリス様もものすごく喜んでた。ノイ伯爵家は貴族界で浮いてるのもあって、中々そういうの頼める所ないんだって」
「交流があるわけではないが、まぁ、うちでも噂は聞くな。だが元第二王子殿下の婚約者なのだろうイリス嬢は。雲の上のお方じゃないか」
「俺の友達の姉ちゃん!」
「全くお前は……」
呆れたように、けれどどこか可笑しそうに子爵は笑う。
「親父はヴァイス様の貴族モードに心臓止まりそうになったんだろうけど、俺はノイ伯爵にめっちゃ友好的に話しかけられて心臓止まりそうになった」
「そうなのかノイ伯爵は。社交嫌いと聞いているが」
「身内判定されると寧ろ馴れ馴れしいレベルに一気に落ちるってヴァイス様言ってた。ノイ家は身内大好きだから、身内が大好きな人も大事にするって」
「……本当に変わっているのだな。それでもせっかくの滞在だ。花祭りの思い出が彼等にとって良いものになるようにお前も気にかけてくれ」
「勿論!来年も来たいって言われるぐらいいい思い出にするし!」
満面の笑みを浮かべる息子を眺め、子爵は誇らしげに表情を緩めた。
***
黄色い花の入った花籠を抱えるイリスは可愛らしい。けれどロートスとヴァイスに関しては微妙な違和感がある。そんな事を考えながら、マルクスはにこやかに言葉を放った。
「というわけで!花祭りに参加します!日頃の感謝の気持や、これからも宜しく的な感じで気軽に配って、貰って下さい!」
「あら!坊っちゃん!恋人連れてきたの?」
「おばちゃん!俺殺されちゃうからやめて!俺の友達の姉ちゃんだから。あと今説明してるから後でね」
中央広場と言うこともあり人通りも多く、マルクスに気がついた婦人が声をかけてきたのだが、顔色を変えてマルクスは恋人と言う言葉を否定する。
それに対して、あらあら、と言うように婦人は笑うとイリス達に花を配ってくれた。
「マルクス坊っちゃんと仲良くしてね。本当にいい子だから」
「ありがとうございます」
ペコリと小さく頭を下げたロートスは己の花籠に入っている花を婦人に差し出して淡く笑った。それに彼女は驚いたような顔をして瞳を細める。
「あらー!やだー!こんな格好いい子に貰っちゃったわ。自慢しないと」
「はい!そんな感じでお願いします!もう説明いいですよね」
投げ出してしまったマルクスにイリスは吹き出すと大丈夫だと言うように頷いた。それと同時に、わらわらとマルクスは人に囲まれる。どうやら話が終わるまでマルクスに花を渡すのを控えていたのだろう。
「ほれ坊っちゃん!今年は冬も無事に越せそうだ。助かったよ」
「あ、それそこにいるヴァイス様に言って。ミュラー商会の関係者で魔物素材の件でアドバイス貰った」
「まじか!早く言えよ」
花を渡しながら礼を言っていた男は、ヴァイスの所へ行くと花を差し出した。
「ありがとう。ミュラー商会の人も良くしてくれる」
「そうか。なら良かった。今後ともご贔屓に」
赤い瞳を細めてヴァイスが笑えば、周りにいた女性陣が悲鳴を上げて殺到する。そのせいであっという間に周りに来ていた人が半分になったマルクスは口を尖らせた。
「まじかよ!ヴァイス様ずるい!!俺は!?俺もお花欲しい!」
「はい坊っちゃん」
「ありがとうおばちゃん!大好き!」
「お前人気あるのな」
「クラウスナー様の所の子は皆いい子よ」
ロートスに花を渡しながら、婦人は誇らしげにそう言葉を放つ。領民から慕われている領主なのだろう。特別な産業もなく困窮しているが、それでもお互いに助け合って、思い合って、感謝しながら過ごしているのが解って、イリスは嬉しそうに微笑んだ。
「良いお祭り」
「そーだな」
「……こういう事かー。頑張るのは大事だけど、頑張りすぎるのも良くないのね」
ポツリとイリスが呟く。
結局イリスもノイ家も上手くやりすぎた。大破壊後、ボロボロだった国を立て直すのに、ノイ家の協力は絶対に必要であったのだが、ノイ家が国を甘やかしすぎて依存させてしまったのだ。国庫も国防も国政も。それが当たり前だという空気になり、ベッタリと依存した挙げ句それが国の力と過信した。無論国王や宰相などはノイ家に対して感謝もしていたし敬意も払っていた。けれどそれを他に浸透できなかったが故に破綻した。
巡回する感謝とこれからも共にという黄色い花の祭り。
自分が役目を果たす事だけではなく、もっと周りを見れていたら違っただろうかとイリスはぼんやりと考える。元々ノイ家が外に興味を持たない一族であることも一つの原因であろうが、きっと独りよがりだったのだろうと思うと、僅かにイリスの瞳の奥が痛んだ。
「……一緒に頑張ろうって言えれば良かったのかしらね。ヴァイスみたいに上手にできなかった」
「俺は失敗して、間違えて、漸く今に至ってんだ。胸張れたもんじゃねぇよ。けど……そうだな、一緒に歩いてくれるのは多分嬉しいだろうな。俺ならそう思う」
小声で囁かれたヴァイスの言葉を聞いたイリスの瞳にじわりと涙が浮かぶ。それに気がついた周りにいた面々は慌てたように彼女に声をかけた。
「どうしたの?大丈夫?お花押し付けて嫌だった?」
「違うわ。とても嬉しいの。人間嬉しくても泣けるのね。初めて知ったわ」
微笑んだイリスを眺めてホッとしたような表情を周りもする。そしてイリスは花をくれた礼にと笑顔で花を配った。
そして最後にイリスはヴァイスに花を差し出す。
「ありがとう。これからもよろしく」
「……こちらこそ」
そう言うと赤い瞳を細めてヴァイスは花を受け取り、彼女の涙を指で拭った。
「絵になるのが悔しい!っていうか完全に俺たち忘れられてない!?」
「マルクス。あれ食べたい」
「お前マイペースだな!!おっちゃん、その串二つ頂戴!」
漸く周囲が空いてきたと思ったら泣いているイリスの涙を拭う姿が視界に入りマルクスは思わずそう声を上げる。
そしてロートスはマルクスに買ってもらった串をかじりながら呆れたように言葉を落とす。
「姉さんってヴァイスにしか泣き言言わないんだよね」
「……それは何となく分かる。多分ヴァイス様以外はあんま頼ったりもしないんじゃない?こう……殿下に対しては献身的に支えるって感じだったけど」
「うん。姉さん無理して頑張って、そんでも平気って顔して立ってたから殿下は気が付かなかったんだと思う」
「見る目ねぇなぁ殿下」
「僕もそう思う」
「あら、美味しそう」
ボソボソとそんな話をしていると、イリスがほてほてと寄ってくる。
「多分一角ウサギの肉」
「多分?」
「なんかめっちゃ柔らかい」
ロートスの言葉にヴァイスは僅かに眉を上げると一つ串を購入してイリスに渡す。それを口にしたイリスは驚いたように声を上げた。
「味は一角ウサギなのに!不思議!」
「へぇ」
「食べる?」
「食べる」
イリスが差し出した串をヴァイスは遠慮なく口に運ぶと、咀嚼して少し考え込んだような表情を作る。
「果物と一緒に肉を置いておくと柔らかくなるって言う調理法じゃねぇの。酸味が少しある」
「詳しいね兄ちゃん」
屋台の店主はヴァイスの言葉に驚いたような表情を作る。一角ウサギの肉は庶民用に割と流通はしているが少々家畜の肉に比べれば硬い。叩いて筋を切ったりするのが一般的だが、この店では厚みを出すためにヴァイスの言う方法を取っていた。
「子どもや年寄りが食べるには硬いからね」
「やさしいお気遣い。ごちそうさまでした」
店主の言葉にイリスは満面の笑みを浮かべると、彼は照れたように笑う。やさしいと言われたのが嬉しかったのだろう。
そんなやり取りを見ながら、マルクスはそう言えばヴァイスは昨日クラウスナー家で出た食事はきちんと食べていたなと言うことを思い出した。一応ロートスに確認をして、ヴァイスが比較的口にしやすい調理法で料理を出した。こんな質素で大丈夫かと家の料理人は心配していたのだが。
その後に出された酒などもロートスの毒味なしで飲んでいたので、もしかしたら自分やクラウスナー家の事を流石にノイ家程ではないにしろ信頼してくれているのだろかと思いつい口元が緩む。
そのマルクスの表情を見たロートスは僅かに眉を上げると呆れたように口を開いた。
「どうしたの。急に」
「いや、ヴァイス様にとってもいい思い出になればって思って」
「……そんじゃ協力してよ」
「は?」
「姉さん。僕はマルクスと旅芸人の舞台見に行くけどどうする?」
「旅芸人も気になるけど、町もいっぱい歩きたい!お店いっぱい!」
少し悩んだ後にイリスが返事をすればロートスはヴァイスに視線を向ける。
「姉さん任せて大丈夫?」
「まぁ、自警団も回ってるしなんかあったらミュラー商会の支店に駆け込むから大丈夫だろ。そっちも好きにしとけ」
「うん」
「あ!自警団はうちの兄ちゃんと姉ちゃんも所属してるんで、何かあったらうちの名前出して下さい」
「助かる」
慌てたようにマルクスが声を上げれば、少しだけ口角を上げてヴァイスは礼を述べる。隣にいるイリスは、それじゃまた後で!と元気よく言葉を放つと、ヴァイスと一緒に露天を覗くためにいそいそと広場を離れていった。




