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 エーファは『城』の前に立っていた。


『城』――父とエーファの我が家も兼ねる、シェーンハンの刑場。

 裏街で唯一、国の出資で建造された建物群。城の棟は三棟あり、東棟に囚人の居住が、北棟に屋内処刑用の場所が、西棟に刑場で従事する者の居住や倉庫が充てられている。南の広場は、公開処刑用の土地だ。

 四方は大人三人分の身長ほどの、高い塀で囲まれている。


 地上部の裏街で最多の広さと、敷地に立つ複数の棟をさして、人々は刑場を『城』と形容する。

 囚人として『城』の表門を潜ることを恐れるのだ。一度入ったら、東棟で老いて死ぬか、執行で命を失うかしかない。国王の恩赦で、ほんの一握りが生きて表門をくぐることがあるというが、エーファも話で聞いたことがあるだけだ。国王が病に倒れてからは、恩赦が下った事例はないという。大抵は、北棟の後ろにある裏門から箱に入った遺体となって運び出される。行き先は、古都の遺跡を利用した地下の共同墓地だ。罪人の遺体を引き取る親族は少なく、刑場側で弔うからだ。


 最も、刑場で働く人間は、その限りではない。表門ではなく、裏門が通常の出入り口だ。そして、毎日閉じられる表門とは違い、裏門が閉じられることはない。見張りもつかない。不用心なのではない。そもそも必要がない、というのが正しいだろう。


 同じ『城』であっても、表門に対する抵抗感は少ない。公開処刑を見物する時、人々はここを通るからだ。が、刑場の裏門を通りたがる者はいない。


 そして、ここが奇妙なのだが――『城』は裏街において街をまとめる立場にある。街のもめ事を聞き、収めるのも、父の役目だった。異端の中でも、忌避される執行人という立場だからこそ、威容を持ち、一定の敬意を払われる。


 それが、エーファの父だった。


 娼館からの地代の回収も、その一貫だ。

 ただ、裏街の統治も、本当は新街に住む城伯の職務だ。


 シェーンハンには王家の城、カルクレート城がある。その管理を任されているのが城伯で、同時に領主でもある。税金も取り立てる必要がある。しかし、『外』の人間は異端に関わりたくはないのが普通なのだ。食糧の買い付けだって、どの商人が『外』から来るかは決まっている。


 裏街を束ねる父……つまり『城』が、裏街の出入り商人を通して、領主へ回収した税金を納める。そういった流れが、シェーンハンでは慣例化している。


 エーファは開いたたままの裏門を通った。ほとんどの棟の明かりは消えているが、中央の北棟から光が漏れていた。きっと、今日は執行があったからだ。遺体を清め、翌朝に送り出す。それも父の『仕事』だった。税金の回収のような仕事に関しては、父もエーファに教えてくれる。しかし、こちらの『仕事』に関しては、父は何も語りたがらない。


 語りたがらないといえば――。


(母さんに関しても)


 一房、エーファは己の髪を手に取った。


 黒く染めた銀の髪。

 もしかしたら、この髪の――せいなのだろうか。


 赤子の頃は、もっと白っぽい……金色に近かったらしい。銀色になったのは、五歳を越えた辺りからだ。以来、黒色に染めるようになった髪。

 キトリス人にとって、銀髪が珍しいということはエーファも一応知っている。現に、周囲で――『生者』の中には――見掛けたことがなかった。領主からの給金が滞り、生活が苦しくなった時、一度、髪を切って売ろうかと思ったほどだ。


 しかし、父には凄まじい剣幕で怒られた。髪の色を知られてはいけない、と。以来、気をつけるようにはしている。

 でも、何故、銀髪だといけないのだろう? それが、わからない。

 一度、尋ねてみたら、父は辛そうな顔をして言葉を濁した。だから、父が隠しておきたいなら、知るべきではないと、これまではそう思ってきた。積極的に調べようともしてこなかった。


『銀髪の占師殿』


 ――朽ち色の青年は、エーファのことを、わざわざそう表現していた。最初に会った時、占いを望んだのは、エーファの占具を見たから、というだけでなく、この髪の色のせいだった? 何か関係があるのだろうか。無論、父には聞けないし、誰に聞いていいかすらもわからないのだが。


「ジルだって銀髪だけど、知らないみたいだし……」


『あら、呼んだ?』


「ジル?」

 勢いよく、半透明の少女がエーファに抱きついてきた。


 当然、幽霊だ。ジルレア、という。

 ジルレアは器用にエーファの首に細い両腕を回している。外見の年齢は十二歳前後で身長も低いので、エーファにぶら下がっているような形になってしまう。ジルレアの豪奢な地面まで届く長い銀髪が滝のように、華奢な背中でサラサラと波打った。彼女はエーファの知る唯一の銀髪仲間だ。 


『エーファったら、帰ってくるのが遅いわよ』


 ジルレアの顔をエーファは見て思い出した。娼館への使いが終わったら、新しい石を探しに行こう、と約束をしていたのだ。


「ごめんなさい。いろいろあって……」

 つい言い訳がましい口調になってしまう。


『……いろいろ? わたし、師としてエーファと新しい石を探しに行くのを楽しみにしていたのよ。どこぞのあほに壊された占具の石を』

「あのね、ジル。その石のことなんだけど――」

『なあに?』

「さっきまで、石が壊れた時のお客さんと会っていたの。それで、その人から、別の――」

『まあ、エーファってば、またあほと会ったの?」


『あほはお前だ小娘』

 ひょい、とジルレアの首根っこが掴まれた。ジルレアの霊体がぽいと放り捨てられる。


『エーファ、帰りが遅いから心配したんたぞ!』

 次にエーファに抱きついてきたのは、男性の霊体だ。長身の、鍛え上げたがっしりとした体躯だが、当然ながら実体はない。ジルレア同様、実に器用にエーファを抱きしめている。


 そして、首から上が無い。

 なので、こちらは外見の年齢が不明だ。たぶん成人はしていて、若い……二十代ぐらいだろう、とエーファは思う。


「首無し、ただいま。……具合はいいの?」


『おかえり。ところでエーファ、おれがどれくらい心配したかということを、ぜひわかって欲しい。――具合? おれはいつも元気じゃないか』

 おそらく、顔があれば、真顔だったに違いない声音で、首無しが切々と訴える。


「うん。でも、首無し、なんだかたまに具合が悪そうだから……出かけられないぐらいだったんだよね?」

 首無しは普段、エーファが『城』から出るときは、よく同行してくれる。

 ただ、霊なのに、というのも変だろうか。首無しは、まれに、調子が悪いように見えることがある。まるで、無理をしているかのような。それが、昨日であり、今日だ。


『ちょっと。わたしのエーファに抱きつかないでちょうだい』

 ジルレアがふわりと宙に浮かび、今度は背後からエーファに抱きついた。


『黙れ年増小娘。いつエーファがお前のものになったんだ?』

『あんたこそ口を閉じなさいな、首無し胴体。それにね、わたしは確かに長く留まっているけど、美しいからいいのよ。どこぞの首無しとは違うのよ』

『もしおれに首から上があったらあまりの格好良さに世の女たちが感激しむせび泣く。よっておれには首が無いに過ぎない。世のため人のためじゃないか?』


『――寝言は寝てから言うものよ?』

 すっとジルレアがエーファから離れた。腕を組み、冷たい眼光で首無しを睨み付けている。対してエーファを抱きしめたままの首無しは力強く応えた。

『聞こえないな』


「…………」

 エーファは口を挟めずにいた。二人が口げんかを始めてしまうと、ただひたすら、見守っているだけになる。


 ジルレアも首無しも、エーファが子供の頃からずっと側にいてくれた幽霊だ。

 ジルレアは少女の霊で、非常に美しく、占術の知識を持っている。エーファの占術の師匠は、彼女だ。気まぐれで、猫のような一面がある。


 首無しは、文字通り、首がない男性の霊だ。いつも陽気で明るい。

 もしかしたら、二人とも、この刑場で処刑された人物なのかもしれないが、それは単なるエーファの想像で、実際どうなのかはわからない。――たまに、首無しは身分の高い、優秀な人物だったのではないかと思う時がある。


 一度、出会った頃にエーファが怖がったことから、霊体としても表に出さなくなってしまったが、長剣を装備している。後にせがんで剣舞を見せてもらったこともある。素晴らしいものだった。

 剣を扱える身近な人物といえば首無しで、以来、エーファにとっての強さの基準は、何となく首無しになっていた。


 二人とも、もはや家族のようなものだった。


 ただし、子どもの頃から一貫して変わらないのが、二人の仲の悪さだ。


「首無し、ジル、いい加減に……」


 終わりそうもない闘争に、口を挟もうとしかけ、エーファは目を細めた。

 透けた首無しの霊体ごしに、見えたそれ。


 北棟内をゆらゆらと明かりが動いている。

 誰かが、燭台を持って歩いている。


(明かりの色が、違う?)


 普段、『城』で使われているものより、数段は明るい。


(……父さん、じゃない?)


 そして――ある部屋に入っていった。父がいて作業をしているはずの、場所。


 刑場にはエーファや父以外の、刑吏たちもいるが、彼らは北棟に住んではいないし、通いだ。交替で囚人の監視につくとしても、行くのは東棟のみ。そもそも、『仕事』のあった日、こんな時間に、父以外に北棟に赴く者はいない、はずだ。


 誰か、他に、北棟にいる?


 客人、だろうか? 父はちゃんと知っているのだろうか?


(まさか、何か――)


 眉根を寄せる。

 たぶん、自分の考えすぎだ。


 けれども。


 不安になって、気づくと、エーファは駆けだしていた。


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