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5

 

 エーファは、シャンティールの衣装箱にあった赤色を含んでいない比較的簡素な服に着替え、朝日の中を移動していた。

 シャンティールと共に二人で、女性を中心に挟んで。


 しきりに、女性は「あの子はどこにいるの?」と口にした。言い続けていると興奮してくるのか、だんだんと声が大きくなってくる。ある一定の声量になると、シャンティールが優しく諭す。彼女は、シャンティールの言うことには、素直に従った。お母様、とシャンティールは女性を呼んだが、まるで立場が逆のように見えた。


 シャンティールは慣れた様子で、進む。

 途中、占宮の要所要所を警備している兵の姿を見掛けたが、彼らは一様にエーファたちから目を逸らした。早く行ってくれ、と言わんばかりだ。


「彼らは騒いだりしないわ。お母様が抜け出すのは……いつものことだから。私がこうして、送っていくのも。暗黙の了解みたいなものかしらね。――こっちよ」


 幾つもの道を曲がり、できるだけ足音を立てないように歩き続ける。やがて、見知った内装――殺風景な、ルーレ離宮のそれだ――が姿を現した。

 そして、気を張っていたようなシャンティールの強ばりも、幾分緩んだ。同時に、いやいやをするように、女性が首を振った。


「シャンティール様!」

 前方から、憔悴した中年の女性が駆け寄ってくる。銀髪の女性の姿を間近で見、ほっと息をついた。そこへ、シャンティールの容赦ない叱責がとぶ。


「あなたは何をしているの? きちんと様子を見ていなさいと、あれほど言っているでしょう!」

「ですが……今でもあそこを自分の部屋だと思われておいでなのです。それに、このところ、どうも心が昂ぶっておられるようで……。シャンティール様が訪ねてくださいますから、それでも軽減されてはいますが、やはり、一度、ガルシャス殿下と会われて、倒れてしまわれたのと……その……」


 窺うように、中年女性がシャンティールを見た。


「あの男が、お母様に非礼を?」

「いいえ。殿下は非常に紳士的に振る舞っておられました。ただ、あの朽ち色の瞳に、怯えてしまわれて……。それで……」

「それで?」

「それで……その時に、殿下が、どれくらい薬を飲ませているのだとおっしゃられまして……その……わたくしめも、このところの薬の増量は、逆効果なのではないかと思っていまして……ガルシャス殿下は……その、親身に相談にのってくださいまして……」


 後を、シャンティールが引き継ぎ、

「薬の量を、減らしたのね?」

 険しい表情で吐き捨てた。


「お前にはわからないでしょうけれど、あの男がお母様に親身になるはずはないのよ。薬はお母様のため。必要なものなのよ。お父様が特別に呼び寄せた医師が調合しているのだから」

「しかし、それでは、寝たきりになってしまいます! 薬の量が増えていた折は、起きていらっしゃる時間のほうが短いほどで……! ガルシャス殿下も、それはいけないと」

「ガルシャスの言うことなどを信じるのはよしなさい! あの男はお母様を憎みこそすれ、助けようなど……!」


 怒鳴り声が響く。あらぬ方向を見つめ、ぼんやりしていた女性が、突如口を開いた。


「ガルシャス? あの可愛い子? 赤い目がね、とても大きくて……元気かしら?」

 にこにこと、無邪気にシャンティールに笑いかける。


「……お母様」

「アレーラ様。こちらへ。お部屋に戻りましょう?」

 中年女性が、銀髪の女性の手を引いた。


「アレーラ?」


 思わず、エーファの口からも、その名がこぼれる。ネール戦争で名をあげた、王の占師。そして――アウセムを殺そうとした占師。


(……生きて?)


「その様子だと、あなたは聞いているみたいね」


 二人、中年女性と彼女に手を引かれた銀髪の女性が、充分に遠ざかってから、シャンティールが小声で呟いた。


「そう。あの人は、占師アレーラ。現在の王の占師であり、わたしの母よ」

 息を吐いた、シャンティールは、昨日のように、疲れ切っているようだった。


「待って。アレーラ……様のことも心配だけれど、あなたの具合は?」


 シャンティールの視線が、エーファを射貫く。

 視線は少し落ちて、エーファの首もとを見、細められ、またあがった。すっとシャンティールの両腕が持ち上がり、エーファの首に向かう。解け掛けていた首の布を、彼女は巻き直し、結んだ。


「変な子」

「へ……」


 薄気味悪い、とか、不吉、とか、そんな風に言われたことはあるが、変な子、と評されたのははじめてだった。


「変でしょう? 怪我をさせられて、嫌いだとも言われて、わけのわからないことに巻き込まれて、どうしたわたしの心配をするの? だいたい、わたしとあなたは敵同士なのよ? わたしはカールの占師で、あなたはガルシャスの占師なのだから。あなたはね、いい気味だって、嘲笑っていればいいのよ。――他の奴らみたいに。なのに……言っておくけど……」


 もごもごと、シャンティールは何か言ったようだが、小声すぎて、エーファには聞こえなかった。首を傾げると、苛立ったようにシャンティールが声を張り上げた。


「だから、昨日あなたを振り払ったのは、謝りはしないけれど、あなたに非はないと言っているのよ! あなたの素性も身分も関係ないの! あなただったからではなくて、誰であってもきっとわたしはそうしていたの!」


 エーファが目を見開くと、シャンティールは怯んだようだった。


「な、なによ……言いたいことがあるなら言いなさい」

「うん。……うん。わかった」


 銀髪の占師と褒め称えられていた時よりも、今、シャンティールがくれた言葉のほうが、何倍も嬉しかった。


「シャンティールは、真っ直ぐだね」

「なっ……!」

「あの時だって、わたしの本当の身分を、言えたのに、言わなかった」


 言っていれば、風向きは完全に変わっていたはずだ。


「別に、あれは……お父様に命じられていたから。それに……負けない、と言ったでしょう。あんな風に暴露して勝っても、後味が悪いわ。そんなことより、あなた、その口調は何なの? シャンティール、なんて呼び捨てにして。まるで、わたしとあなたがと、と……友達みたいじゃないの。わたしは許した覚えはないわ」


 指摘されて気づいた。馴れ馴れしい口を聞いてしまったと。


「あ……ごめんなさい。いえ、申し訳ありません、シャンティール様」

 だが、言えば言うほど、シャンティールは不機嫌そうな表情になってゆく。


「わたし、あなたが嫌いだわ」

「……はい」


 エーファは肩を落とした。


「その、わたしなんて嫌われて当然だって顔。見ていて不愉快よ。卑屈になるのはやめなさい。謙遜は美徳だけれど、卑屈は見苦しいわ。堂々としていればいい」


 顔をあげる。言い方は違う。だがこれは、たぶん、ジルレアにも沐浴場で言われたことだ。顎をそらして、ぽつりとシャンティールが言った。


「……シャルでいいわ。 敵同士――つまり好敵手なら、特別にそう呼んでもいいわ」

「…………?」


 エーファが怪訝そうにしていると、やや顔を赤くし、シャンティールはこちらを向いて付け足した。


「本当は嫌だけれど、馴れ馴れしいけれど、仕方ないから、と、友達みたいな口調で話してもいいと言っているの。察しなさい!」


 ようやく、理解した。生きている人間の、友達。

 エイル以外での、はじめての。


「えっと……シャル? そう呼ぶね」


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