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倒れた時、シャンティールの脳裏に浮かんだのは、父の顔だった。
父――オルグの。
なんという失態を晒してしまったのだろう。
また、わたしを見て眉を顰めるのかしら。
失望の目で、わたしを見るのかしら。
それとも――、シャンティール、と心配してくださるかしら。
厳しいお父様は、わたしにだけは優しくて、泣いていると、ぎゅっと抱きしめてくれるの。
だって、わたしの髪の色が、お母様と同じ銀色だった五歳の頃までは、そうだったもの。
わたしはかみさま。
みんな、わたしを憧憬の目で見るの。カールだけは、ただの子供に会っているみたいな、気にくわない態度をとってきたけれど、わたしは心が広いから、許してあげるの。
あの頃のカールは、とても病弱で、全然笑わない綺麗な綺麗なお人形さん。暗い瞳のお人形さん。だから仕方ない。理解できない生き物。
汚い灰色の子犬を大事にしていた。馬鹿みたい。どうしてそんな汚い生き物を側に置くの。
――兄上と見つけたから?
カールの兄。大嫌いな朽ち色の瞳を持つ人間。少しの間だけ、王城にいた第一王子。わたしの敵なの。
お父様が嫌いなものは、わたしも嫌い。お父様が好きなものは、わたしも好き。
お父様は、第一王子が大嫌い。言わなくても、わかっているわ。
わたしたちは親子だもの。
お父様に、犬のことを、言いつけたの。
そうしたら、犬はいなくなって、第一王子も城からいなくなった。
カールは泣いていた。慰めてあげたのに、カールはわたしを殴った。「お前のせいで、ラーバスも兄上もいなくなった」って。
とても、痛かった。そんなことをわたしにする人間は、いなかった。
どうして? あんな汚い犬がいなくなったからって、何が悲しいの? もっと良い犬を飼えばいいのに。カールは王子様なんだもの。兄上? 朽ち色の人間がいなくなって、みんなほっとしているのに、どうしてカールは悲しいの?
あれはいけないものだって、みんな言っているもの。
あの目で見つめられると、寒気がするって。
「お前は、みにくい」
カールはなんて馬鹿なんだろう。わたしが醜いなんて嘘。みんな、わたしを褒め称えてくれるもの。美しい銀の髪だって。さすがは、占師アレーラとオルグ占師長の娘だって。
だから、カールなんてどうでもいいの。
わたしはかみさま。
大好きなお父様のために、お母様を越える占師になるのよ――。
『偽物のくせに』
違うわ!
髪の色がなんだっていうの! わたしのせいじゃない! 偽ってなんかいない!
――ならばどうして、銀の髪が、白金色になるのだ。これでは、まるでただの金色ではないか。
知らない。そんなの、知らない!
――シャンティール様、明日の天候は、晴れる、とおっしゃっていたじゃありませんか! この嵐はどういうことです? あなたはわかる、と言ったでしょう!
ええ、そうよ。呼吸するみたいに、わかっていたわ。……わかるの、わかっていたの! 嘘じゃない! でも……わからなくなったの。
――シャンティール。
お父様! 聞いて。ひどいのよ。銀の髪じゃなくたって、わたしはお父様とお母様の子なのに。占いもね――ちょっと、調子が悪いだけよ。すぐ、もとに戻るもの。
――できなくなったのだな。
お父様? どうして怖い顔をしているの?
――もう、いい。
一人、また一人と、人が離れてゆく。
寒い。
とても、寒い。凍えそう。
いいえ、わたしは、シャンティール。誇り高き占師。中身がからっぽでも、そうあらねばならない。決して負けはしない。だって、虚勢を張っていないと、崩れ落ちてしまうもの。気にしないわ。人が離れていっても。あんな輩は、人から人へと渡り歩く、軽薄な者ばかり。いらない。
わたしがしっかりしていれば――お父様も、昔のように笑ってくださる。
――よくやったな、シャンティール。
愛しい愛しい、宝物を見るような瞳で。
だが、父の形相が醜く歪んだ。ああ、そう。これは、つい、この間の。
――占ってみせた、だと? ガルシャスを訪ねろ、だと? よくもそのような……! 何をやっている! お前はカール殿下の占師であっても、占宮の人間だ。それを忘れたか! あの兄弟を近づけるな!
でも、お父様。カールは……。
カールは、あたたかいの。カールは、わたしに手を差し伸べてくれたの。わたしに居場所をくれたの。裏切りたくないの。助けたいの。
変わらなかった。カールだけは。
わたしの髪の色が銀色ではなくなっても。
――変わらなかった。それが、どれだけ嬉しかったか、お父様にわかる?
だから、あの子が、現れた時。
お父様が、セルジークに言いつけて、あの子を占宮に招こうとした時――わたしは裏街などに無理矢理ついていったのよ。その娘に会ってみたいと思った。怖かったから。
わたしがどれほど、恐ろしかったか、わかる?
お父様。
ああ、わたしは、この子になりたい。そう思った。
死刑執行人の娘? それが何だっていうの? あの子には、価値がある。
なのに、怯えた瞳で、当の娘はわたしを見上げてくるのよ。
馬鹿馬鹿しかった。笑い出しそうになった。恐怖で震えているのはわたしなのに。
わたしは、偽物になってしまう。
偽物になるのは嫌。
わたしは泣いているのかしら。
目元を、優しく、誰かがぬぐっている。――誰?
腕を上げる。お願い、誰か。誰もいないの。
息づかいを感じた。迷うような、躊躇うような。
シャンティールの彷徨う手を、誰かが、取ってくれた。柔らかくて、温かい手。
とても、安心する。
懐かしい。
こんな感じを、知っているような気がする。
――寒さ。
赤子の自分が、父の腕に抱かれて、ゆらゆら歩く。父の腕の中はあたたかいのに、寒くてたまらなかった。心細い。泣き声がする。自分が泣いているのか。でも、それだけではない。あの子も、泣いている。
寒さは、引き離された寒さ。
嫌だ、やめて。
母の胎内で心地よくまどろんでいたのに。わたしたちを、引き離さないで――。
もう、会えないような気がするから。嫌な予感がするの。
でも、やっと、会えた――。
わたしの。




