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専用占師としての一日がはじまる。
朝、起床して沐浴をする。沐浴が済んで正装に着替えたら、占命式で式を執り行った男性――占師長オルグと面会し、談話の時間を持つ。これは忙しいオルグがわざわざ設けてくれた時間で、専用占師となったばかりのエーファに占宮内のことを教えるためのものだ。
オルグの元を辞してからは、一度目の食事になる。
食事の後は、占宮外の人々との面会の時間。これは、オルグ、シャンティール、エーファが三人揃って広間で行う。訪れてくるのは、貴族や将校といった有力者たちで、シェーンハン占宮の近辺から地方貴族たちがやってくる。もっとも、もっぱら喋るのはオルグで、エーファが発言することはない。置物のように座っているだけだ。
ここまでで、一日の半分以上が終わる。
次は、自由な時間だ。しかし、シェーンハン占宮でエーファが出歩いていい場所は限定されている。自分の部屋と、部屋に面している中庭、沐浴場とオルグの部屋、広間までの回廊。
他の占師たちと会うことはできない。
結果、エーファは自室にいるか、庭に出ているかになる。
それから、二度目の食事の時間やってくる。一度目より、たっぷりと時間をかけ食事をする仕組みになっており、量も増える。
部屋へ戻ると、日は完全に沈み、夜の帳が降りている。
この夜の時間に、エーファは父への手紙を記すことにしていた。読み書きは、一応、習得している。執行人は執行のたびに、記録をつけ、書類を作成せねばならない。そう思って、必死に勉強した結果だ。アウセムはノアに渡せばいいと言っていたが、占宮には独自の規則があるようで、手紙は、付き人のうちの一人、リラに託すことになっている。
後は、眠るだけだ。
基本的には、この繰り返しだった。用意されている予定に、従うのは楽だった。「これはいけない」と言われたら、従うのが当然とも考えていた。
しかし、三日ぐらい経った頃だろうか。
翻弄されるばかりだったのが、落ち着いて考えられるようになって、これではまるで虜囚のようだと思い始めたのは。
――疑問が湧きだしたのは。
『視え』たあの光景を防ぎたいのに、肝心のアウセムと会う機会がない。オルグには伝えてみたが、一向に変化がない。何もできないまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。
この繰り返しだけで一月が終わるのでは?
これでは――占命式の直前、あの女性に問われた時、逃げ帰らなかった意味がない。
この状況に変化を起こすには――。
『――少しは我が儘を言ったり、偉そうにしなさい』
ジルレアの言葉を思い出す。
まずは小さな一歩から。
構造上、部屋に面している庭を通れば、遠回りになるが、今まで行ったことのない場所に行けるはずだった。
「……今日は、庭の小道から、オルグ様に会いにいきたいと思います」
髪を梳かしてくれている付き人の少女へ、エーファは話しかけた。
名はリラだ。リラは十五歳ながら、占宮に入って長いらしい。オルグが、エーファに年も身分も近い者を、と選んでくれたようだった。手紙のことを含め、気を使ってくれているのが、よく伝わってくる。
もう一人の付き人であるニルナは、栗毛の落ち着いた雰囲気の女性で、シャンティールの付き人だった人物だ。エーファ付きに異動させられている。ジルレアによると、ニルナは今もシャンティールの元へと足を運んでいるらしい。大抵はリラに仕事を任せ、足りない部分を指摘する、という役割分担がなされているようだった。彼女に対しては、なんだか申し訳ない気持ちになる。彼女も、シャンティールに仕えていたかったはずだと。
「許可できません」
打てば響くように返したのは、ニルナだった。
こんな時こそ、銀髪の占師という記号にかこつけて、命令すれば――。
心の中で、かぶりを振った。
どうしても、抵抗がある。身にそぐわない、と感じるのだ。
「――お願いします」
鏡に向かっていた身体の向きを変え、頭を下げる。
「エーファ様! 髪が! 動かないでください!」
「あ、ご、ごめんなさい!」
脳裏に、ジルレアが「それみたことか」と額に手をあてている図が浮かんだ。
「あなた様は――真に、占師には不向きの方ですね」
ため息をつくかのような、それはニルナの独白だった。
「…………?」
「ニルナさん! エーファ様に向かって、何ということを!」
頬を紅潮させたリラが叫ぶ。しかしニルナは意に介した風でもない。
「庭の小道から、とのことでしたね。お願いなどではなく――ご命令ください。あなた様にはその権限があるのです」
「ニルナさん!」
「どうなさいますか。命令であれば、わたくしどもは従うのみです。エーファ様。あなた様は第一王子ガルシャス様の専用占師なのですから」
「エーファ様は、とても気さくな方なんです! 命令しろだなんて、それを、そんな言い方――!」
「わたくしどもは、ただの付き人なのです。占宮内で決められたことを覆せる立場にはございません。変えられるとしたら、それはあなた様ご自身のみ。勘違いなさらないでください。あなた様がわたくしどもに従うのではなく、わたくしどもが、あなた様に従うのです。区別をお付けください」
たたみ掛けるかのごとく、ニルナが問いかけてくる。
「どうなさいますか、エーファ様」
「あの、エーファ様、あたし、オルグ占師長様に何とかお願いしてみます! もう少し、エーファ様が自由に過ごせるようにって! あの、あたしは、ちゃんとオルグ様に許可を頂いてからのほうが、いいと思うんです」
「……ありがとう、リラ」
リラの言葉に、従ってしまいたかった。命令などしたくはない。リラとニルナという付き人を得てから、一度としてエーファは彼女たちに命令をしたことはない。
だが、『お願い』では通用しないのだ。
受ける側のニルナが、そう言っている。リラに甘えてはいけない。
「――言い直します。お願いではありません。これは、命令です」
果たして、声は震えていなかったろうか?
エーファは、まっすぐに、ニルナの目を見つめた。
「承知いたしました。では、本日は、庭の小道を介してオルグ占師長の元へ参ります」
庭の小道を進むと、ひらけた憩いの場所に出た。そこには占師の衣装に身を包んだ男性や女性の姿があった。
シェーンハン占宮には、今回の旅行列で随行してきた百人ほどの占師たちが生活している。けれども、占宮でエーファがオルグやシャンティール以外の占師に会うのは初めてだった。
「まあ、銀髪の占師様。こちらへおいでになられるなんて!」
「会えて光栄ですわ! ガルシャス殿下が特別に作られた、その冠!」
「平民出身というのは本当ですか?」
「第一王子と運命の出会いをなされたとか?」
「あ! あれの真偽も聞かなくちゃ! 広間でカール様と踊ったというあれは、事実ですか? なんでも、金と銀の、絵画のような見事な一対だったとか――」
「ちょ、ちょっと、下がってください! エーファ様が驚いていらっしゃるでしょう!」
両手を広げたリラが、質問攻めにされているエーファの前に立ちはだかり、威嚇した。
「なによリラ。かたいこと言わないの」
エーファを発見した途端、周囲に集まってきた女性占師のうちの一人、赤毛の女性が言う。
「言います! い、いいですか! エーファ様を苛めたりしたら、あたしが許さないんですからあっ」
赤毛の女性は、他の占師たちと顔を見合わせ、笑い合った後、手をぱたぱたと振った。
「何それ、なんであたしたちが銀髪の占師様を苛めるのよ」
「ええ? だって、シャンティール様なんて、エーファ様を完全無視なさってるし、てっきり姐さんや兄さんたちだって、そうするに違いないって……思って……」
リアの言葉が後半になるにつれ、占師たちの顔が険しくなる。
「あの女、偽物の分際で銀髪の占師様を無視しているの? 信じられない!」
「お情けでカール殿下の占師になったくせにねえ」
「カール殿下も、そのうち目が覚めるわよ、きっと」
「冗談じゃないわよ、リラ。あの女とわたしたちを一緒にしないでよね」
「え? ええ?」
リラが目を白黒させる。
それはエーファも同様だった。占師たちの話題についていけない。
どうやら、ここにいる人たちは自分を歓迎してくれているらしい。それなのに、シャンティールのことは、悪し様に罵っている。
「あら、噂をすればよ――」
エーファが通ってきたばかりの、庭に面した小門から、毅然と顔をあげ、挑むような顔つきのシャンティールが、静かな足取りで付き人を引き連れ歩いてくる。数は十人ほどだ。
白金の髪はゆったりと結われ、ほとんどが薄布で覆われている。中央に一つだけ朱石のついたエーファの冠とは違って、朱石が連なった冠を頭上に載せている。衣服は今エーファが着ているものとまったく同じだ。専用占師の普段着用の正装。赤と銀の二色で織られた長衣だ。薄布はシャンティールの顔も隠していたが、かすかにのぞくその美貌は彼女のものだった。
シャンティールの行列は、エーファたちの横で停止した。
「下々の者といると、あなたの品性も落ちるわよ。言ったでしょう? あなたには負けないって。わたしを失望させないでちょうだい」
それは、馬車で会った時以来、はじめてシャンティールがエーファにかけた言葉だった。毎日、オルグとシャンティール、エーファの三人で顔を合わせてはいるが、エーファとシャンティールの間に会話は一切なかったのだ。
「なら、下々の者の道なんて、通らなければいいんだわ」
「そうよ。専用占師様だけの場所にこもっていればいいじゃない」
「わたしだって通りたくないわ。ここを通るのはね――実感するため。必要だから、そうしている。こうすることで、わたしは我が身を振り返ることができる。あなたたちのようには、ならないと」
「何ですって――!」
偽物のくせに。
誰が言ったのはわからない。だが、その言葉が聞こえた時、シャンティールの瞳が燃えるような怒りを宿した。
「もう一度、言ってみなさい」
「偽物のくせに、と言ったのよ」
赤髪の占師が、誰かが言ったその言葉を繰り返した。
「わたしはカール殿下の専用占師よ。確かな血統と地位を持っているわ。そこの娘とは違う」
「そ、そんな言い方、失礼ですっ」
迫力に気圧されながら、抗議したリラに向かい、シャンティールは美貌に冴え冴えとした冷笑を浮かべた。
「失礼? そこの娘は、平民どころか――」
びくりと、エーファは震えた。
平民どころか――その先は、容易に想像がついた。
「そこの娘は――」
しかし唐突に、シャンティールは言葉を切った。唇を噛む。
「何でも、ないわ」
彼女はかぶりを振った。薄布が揺れ、白金の髪がさらりと位置を変え、赤く腫れた肌をほんの少しの間だけ、晒した。
(――腫れ?)
エーファの眉が寄る。
「何でもないはずないでしょう? シャンティール様? あなた様のおっしゃろうとしていたことは、もしかしたら銀髪の占師様への侮辱なんじゃないかしら?」
シャンティールの顔色は、とても白い。彼女はそれを隠すかのように言い放った。
「せいぜい、好きに吠えなさい」
高飛車に。瞳だけは輝き、強い光を放っている。
「この――!」
「ちょっと、よしなさいよ! 手をあげるのはまずいわよ!」
ふらりと、一瞬、シャンティールの身体が傾いだ。しかし、きっと前を見据え、意思の力で、踏み留まる。それも長くは続かず、またふらつく。
「! 触らないで!」
悲鳴のような声だった。近づこうとしていたエーファを、腕でシャンティールが振り払う。長い爪が胸元を掠め、今度は、本当の悲鳴が周囲からあがった。
「シャンティール様!」
「銀髪の占師様になんてことを!」
首筋に手を当てると、熱かった。
ぬるりとした生暖かい液体の感触。線上の傷から薄く血が滲んでいる。
やはり――少しでも、忘れていると、まるで警告のように思い知らされるのは――。
溝だ。
アウセムは、エーファ・ラデを選んだのだと、そう言った。
ラデの名を持つ自分。
専用占師として振る舞わなくてはならない自分。
どうしていいか、わからなくなる。
シャンティールと視線が交わった。恐れをもって、エーファは彼女を見た。専用占師としてではなく、裏街の、異端の娘として。だが、シャンティールの美しい面に、嫌悪は浮かんでいなかった。あったのは、泣き出しそうな、それだった。
「あなたなんて、嫌いだわ……」
か細い呟き。
白金の専用占師の身体が、傾ぐ。
「シャンティール様!」
誰よりも真っ先に駆け寄ったニルナが、気を失ったシャンティールを支えた。




