8
自分が珍種の飾り物になった気がした。
笑顔で話しかけてくる人々のすべてが、恐ろしい。誰もが上等の衣服を着、上品な振る舞いで笑っている。色彩も、それを物語っている。紫の帯や組紐。彼らのほとんどが貴族なのだ。それだけで、気がひけた。
それに、彼らの目は、ちっとも笑っていない。誰も、エーファを傷つけるようなことは言わない。むしろ、賛辞に満ちあふれている。
月の光を集めたような美しい髪だとか――王子のお許しが頂けるなら今度自分を占って欲しい、そうすれば安泰だとか。
アウセムに対しても、誉め言葉しか口にしない。アウセムはそれらにそつなく返している。時折、笑い声すらあがる。
でもやはり、誰も笑っていない。
「――しかし、占師様は寡黙な方なのですな」
「我が占師は平民出だからな。謙虚なのだ。緊張しているだろう。……失礼。何か飲ませてやりたい」
「これはこれは! 大事になされているのですなあ」
軽い笑い声があがる中、エーファは貴族たちの輪から連れ出された。
背中を追ってくる視線が薄れたところで、アウセムに訴える。
「これは、どういうことなんですか」
占命式の後、廊下に出ると、すでに多くの人が待ち受けていた。そのままここに連れて来られたのだ。占宮内の広間で宴が始まってしまい、エーファにはアウセムと二人で話す機会はなかった。
「どういうこと、とは?」
「この、状況です」
「エーファ・ラデは、俺の専用占師となった。互いの同意の上で」
エーファは唇を噛んだ。
「あれは、同意なんかでは――!」
「まあ、あの状況で断れる奴がいるとも思えんが」
近くに控えていた給仕に、アウセムが声を掛ける。給仕は即座に杯を二つ持って戻ってきた。エーファとアウセムにそれぞれ杯を渡すと、一礼して去る。杯を満たしている液体は、裏街では祭りの日ぐらいにしか飲めない、黒苺を搾った果実水だった。
「飲むなよ。持っているだけにしておけ」
黒苺の甘い匂いにつられ、口をつけようとしたエーファに、アウセムが釘をさした。
命令とも言えない、軽い口調だったが、その朽ち色の瞳を見上げ、エーファは杯を胸の位置まで戻した。
「それがいい。死にたくなければな。――わかるか?」
アウセムの口から飛び出す言語が、変わった。
キトリスで主に話されている言語ではなく、裏街――異端の中でよく使われる、秘語というものだ。エーファも、あまり使うことはないが、話せる。内輪だけで通じる話、『外』の人間に隠しておきたい話をする時。そういった時に使われるのが秘語だった。父には結束を高めるためだとも聞いた。
エーファは顎を引いた。
「騙し討ちのようなことをしたのは謝罪する。安心しろ。占命式は行ったが、お前を専用占師にするつもりはない」
視線をアウセムの瞳から、下げる。杯を持つ手に、何故か力が加わった。もちろん、専用占師になど、なりたくはなかった。安堵すべき言葉だ。なのに、何故動揺したのだろう。杯を持っていない左手を胸に当てる。心臓の鼓動は、規則正しい。
(変なの)
ほんの少しだけ、エーファは首を傾げた。
「おいおい実感することになるだろうが、俺は占宮と折り合いが悪い。占宮の息がかかっていない、かつ占宮も認めるような占師を探していた」
「わたしが、銀髪だから、選んだんですね」
「そうだ」
アウセムが頷く。
「だが、占宮がお前の存在を知って先んじようとしていた。セルジークとノアがお前のところに行ったろう。あれはカールをだしにした占宮からの命令だ。セルジークはそれを破って俺のところに連れて来るつもりだったらしいが――いろいろと手間が省けたな。お前が入場式に乱入してきてくれたおかげで、自作自演もしないで済んだ」
「自作自演?」
「待望の銀色の髪の占師だ。狙われた俺を、その占師が救う。どうせなら、人々の記憶に残るような、華々しい登場をしてこそ、だろう? ――小細工をする必要もなく、本物がやってきたわけだが」
本物の、襲撃者が。
他人事のように、笑みさえ浮かべ、アウセムは言っている。エーファの警告などなくても、無事に済んでいたのかもしれない。けれども。
「何故、そんな風に笑っていられるんですか? 命を、狙われたのに」
わからない。わからなかった。
「――命を、狙われたのに?」
アウセムの口元から笑いが消えた。感情の読めない視線がエーファを射る。
「死ぬ時は誰だって死ぬ。そう思っているだけだ」
「わたしは、死んで欲しくありません」
『視た』ような、誰かに、殺されるように死に方は。
だから、ここに残ったのだ。
「老衰で死ねと?」
エーファが声には出さず、胸の奥に留めた部分を、アウセムは正確に読み取ったようだ。
「難しい相談だ。寝台に横たわり、孫にでも囲まれ、人生に満足し昇天できれば素晴らしいが――そもそも、『お前は殺される』、と俺に言った人間の言葉とは思えないな」
それは、と口を開きかけ、閉じる。『視え』た、などと言えはしない。『視え』た、などとは、言えないが。
「あの……ルーレ離宮の、執務室に居る時は、注意してください」
「あそこで俺が死ぬわけか」
唇の端に、今度はアウセムが皮肉げな笑みを浮かべる。本気にしているとは思えない素振りだ。
「――そうです」
一旦、俯いたエーファは顔を上げた。
「わたしの占いには、そう出ました。だから、注意してください」
息を吸い、吐き出す。
「あなたが、生きるために」
目を細め、エーファを見下ろしていた朽ち色の瞳を直視する。アウセムの浮かべていた皮肉げなそれは消えていた。沈黙が流れる。
「――膿が出るまでだ」
やがて、アウセムが口を開いた。
膿が出るまで?
「俺の占師でいるのは、それまでの間だけでいい。長くても一月かからない。その後は、専用占師の役割から解放する。お前は晴れて自由の身だ」
……それまでに、『視え』た、あの光景も、起こるのだろうか? 自分は、それを変えられるのだろうか? 何ができるのだろうか?
それに、膿。
膿とは、何の?
「占師でもないのに、裏街で占師の真似事をしていたことへの便宜もはかろう。占宮も、よもや銀髪の占師をそんな些細なことで罪に問わないだろうがな。お前が専用占師でなくなった時、罪に問うようなことはしない。他の者に問われることも防ぐ。仮に、お前の言う通り、俺が殺されていても、だ。これは取引だ」
専用占師でいることは一時的なもの。
どういう結果になっていても、また、父の元に、戻れる?
「取引」
「ああ、そう悪い話ではないはずだ。王子に見いだされた平民出身の銀髪の占師。それがお前の役割」
「――父に」
エーファが次の言葉を続けるのを、アウセムは待っていてくれた。躊躇い、途切れたその先をエーファは紡いだ。
「父に、すぐ帰ると、言ったんです。余計なことは書きません。だから、父に、事情を説明する手紙を書いてもいいですか」
きっと、心配しているから。
「よほど父親が好きらしいな」
「はい。大好きです」
はにかみ、微笑んだ。
「だから、エーファ・ラデ、か」
エーファとは対照的に、アウセムが苦笑した。
「構わない。書いたら、あいつに渡すといい。届けるように言っておく」
水滴のついた杯を掲げ、アウセムがある人物を指し示す。その人物は、襟元を崩し、制服を着用していた。そのせいなのか、少しだけ、周りから浮いていた。
「ノア・ランガー。覚えているか? 娼館で会った兵士だ。あれから俺の部下になった。こき使っていい」
エーファの中で少し苦手意識が生まれ出している男性――セルジークがノアに声をかけた。ノアは飛び上がらんばかりに驚いて、そのままセルジークと話し始める。
エーファは二人からアウセムへと視線を戻した。エーファの視線に気づき、アウセムもこちらを見返してきた。
「あの、ガルシャス様は」
「アウセムでいい」
「も、申し訳ありません。アウセム様、は……良いのですか?」
セルジークの姿を見たことで、肝心なことを、エーファは思い出させられた。アウセムが、まるで人間のように、まるで――対等であるかのように、エーファを扱ってくれていたから、忘れていたこと。
「わたしは、死刑執行人の娘です」
だから、公には、平民出身ということにしなければならない。それは、理解できる。
「以前も、似たようなことを訊いてきたな。――知っているが。お前も占命式でそう名乗った」
「でも、忌避される存在です」
アウセムが眉を顰めた。
占命式に立ち合った、あの男性が言ったことは、エーファは正しいのだと思う。いくらエーファが、自分では恥じていなくとも、それは結局のところ、周りからすれば、どうでもいいことなのだ。反応は変わらない。
忌むべきものであり、死に近づくことであるという、考え自体も。
異端であるという事実も。身分の差も。
錯覚してはいけない。こうして近くに立っていても、自分とアウセムは遠いのだ。
――鐘の音が鳴った。
アウセムの雰囲気が変わった。ざわめきが人々の間を行き交い、セルジークが足早にひとつしかない大扉へ向かう。
「俺はエーファ・ラデを選んだ。それで答えにならないか?」
開かれた大扉から現れた金髪の少年――カールは、駆けつけたセルジークと短い口論を始めた。折れたのはセルジークのほうだった。彼を従え、少年がまっすぐにこちらへ向かってくる。
アウセムも、進み出た。
アウセムとカールは、部屋の中央で向かい合った。
雰囲気も、容姿も、身に纏う色彩も異なる、二人の兄弟が。




