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「ご用でしょうか!」
セルジークもまた、ガルシャスの部下と言える。
多くの役職を兼ねている人物でもある。平民の出だが、特別に貴族位が与えられている。実力と、辿った遍歴からそうなった。ガルシャスの部下として長く仕え、現在は引き抜かれ占宮に仕えている。
これは、占宮からの嫌がらせだったとかいう噂がある。今まで、ガルシャスの元にいた実力者はことごとく、占宮の主張により、失脚するか、他へと異動させられている。ガルシャス個人の意思ではどうにもならないことだ。
では、同じガルシャスの意思でも、何故ノアの異動がすんなり通ったかというと、それはノアが第五隊の兵士だったからという理由に尽きる。穀潰しなら構わない、というわけだ。
ノアは、ガルシャスの元への異動がきっかけでセルジークと縁を持つこととなった。
セルジークは占宮を主とし、占宮の助言という形で王からカール王子の護衛官長を任されている。一応、今回の旅行列では両王子の警護、という肩書きも加わった。その意味では、ノアの上官でもある。
もっとも、セルジークに期待されているのはカール王子の身の安全をはかることのほうだ。
自分の主はガルシャスである、と、占宮に仕えることを一度は拒否したという話がセルジークにはある。最終的に承諾したのは、ひとえに、ガルシャスの顔を立ててのことだと。
占宮との繋がりを持ちつつ、なおガルシャスに肩入れするセルジークの立場は苦しいものだろうが、その忠誠心は厚い。
おそらくは気まぐれで声を掛けられたに違いない自分とは違って、ガルシャスが唯一、信頼している部下なのではないだろうか。
――王の腹心。
また老婆の言葉が思い出された。
もし仮に、万が一、ガルシャスが王位につくことがあったとして、腹心の位置におさまるのは、このセルジークだ。
(俺じゃあ、ないな)
「君は殿下に仕える身だ。気を引き締めろ」
「は!」
セルジークは、驕り高ぶったところがなく、理想の上官だ。平民から出世した者は、平民出身であるからこそ、これまでの鬱憤を晴らすかのように、自分より地位の低くなった下級貴族やらをいびり倒す輩も多いのだが、セルジークは違っていた。
平民出身ながら、赤色を纏うことを許された者であるというのに、控えめにしか使わないほどだ。そこがまた評価されるわけだが。
ノアだったら血赤色に表裏を染めさせたマントをつけて用もないのにそこかしこを闊歩し、鼻息荒く周りに見せびらかすところだ。高級娼婦だってたっぷり引っかけられるだろう。さぞ楽しい夜を過ごせるに違いない。
それはともかく――ノアは第五隊での生活に慣れきった結果、下級貴族でありながら貴族やセルジークのような人物は逆に付き合いづらいし、緊張する体質へ変貌している。
その割に、娼館で鉢合わせし、後日呼び出された時は別として――王子であるガルシャス相手にはまったく緊張しないのだから不思議なものだ。
自分など放っておいてくれていいから、どこかへ行ってくれないものかと願っていると、セルジークの視線が自分から外れた。胸をなで下ろす。
上官が新しく視線を向けた先は、ガルシャスとエーファだった。
「――殿下も酷なことを」
無論、ガルシャスの専用占師となったエーファに対して、だろう。
「表向きは、平民からの抜擢ということになるんでしたね」
「そのようだ」
大きく、セルジークが息を吐いた。平民出身から昇りつめる苦労は、並大抵のものではないと熟知しているからこそか。少女からすれば、まったく異なる世界に心の準備もできないまま不意打ちで飛び込まされたに等しい。
「殿下のためにもならない」
「出身が問題ってことですか……」
まあ、あまり問題にしない自分が変なのだろう。
父が健在で、下級貴族として出世を目指していた時は、娼館などに行く人間を軽蔑していたのが昔の自分だ。それが、自分が行く側になってから、ものの見方が激変した。
くわえ、安い娼館通いの副産物で、薄暗い方面にも中途半端に精通してしまったせいか、ノアは異端に対する拒否感が極端に薄い。死刑執行人は異端の中でも蔑視される傾向にあるが、異端、と一括りに考える。むしろ、異端が異端を拒むことのほうが理解できない。
何の差がある。
王都の馴染みの娼婦には、あんたは鈍感だ鈍感だとよく言われたので、ただ無神経なだけかもしれない。
「程があるだろう。彼女を非難したいとは思わないが、釣り合いというものがある」
「でも――あの子、殿下の目を見て話しますよ」
バスハ人でもないのに。
それは、希有な点ではないだろうか。
「だから?」
深刻そうに眉を顰めたセルジークに、だから何だというのだと真顔で切り返され、ノアは言葉に詰まった。
「いや、その……ですから、つまり、悪い子ではないと」
「それは私にもわかっているとも。だが好き嫌いで判断して良いことではない」
ぐうの音も出なかった。
「その、とにかく、殿下が占師を持ったことが、喜ばしいですね! なんせ、第一王子ですし、ガルシャス様も、王位……なんてものを考えはじめたからじゃないかと」
後半部分は、尻つぼみになる。意識して小声にした。
「――王位か。ノア、君はガルシャス殿下をどう思う」
また答えにくい質問だった。エーファに「入場式?」と呟かれた時よりも難しい。
「えー。そう、ですね……。自分はその、かなり、変わった方だと。いえ! 決して批判しているのではなく――!」
「殿下は多才で、非常に賢明な方だ。いまだ殿下が生きていることが、その証。キトリスにおいて、王族でありながら朽ち色を持つということは、そういうことだ。わずかに匙加減を違えるだけで、死に繋がる。生まれ落ちたその時から、細く不安定な綱渡りのような道しか、殿下には用意されていなかった。あまつさえ、この宮で起こったあの事件のせいで、その道は険しさを増した」
あの事件……例の狂った占師が幼いガルシャスを殺そうとした件を指しているのだろう。
犯人は中堅どころの女占師で、占宮からは存在すら抹消され、いなかったことにされた。名前すらもはや誰も知らない。もちろん、とっくに処刑されている。
が、占師が王族を、それも朽ち色の王子を、というのが厄介だった。ガルシャスは完全な被害者でしかないのだが、王子自身に何か問題があったのではないか、だからこそ占師は――。そんな疑念を、主に事件を知るキトリス人の心に残したのだ。
「……しかし、殿下には、バスハ人の貴族たちがついているのでは?」
カール王子に優るとはいえないが、ガルシャスに支持者がいないわけではない。バスハ人からの支持自体は厚い。
「確かに、バスハ人は熱狂的な期待を殿下に寄せているが、殿下自身は彼らと距離を置いている。近づきすぎれば、火傷をする。彼らと懇意にすれば、口実になるからだろう。第一王子はバスハ人の王である、と。かといって――バスハ人をないがしろにすれば、暴走しかねない。殿下はうまく舵を取り続けてきたが、この状態が永久に続くわけがない」
兄弟のどちらかが王位についた時、それも終わる、というわけだ。
「さすがは、セルジーク様です。自分は、ガルシャス様については、まだよく」
まだよく、どころか、さっぱりだ。
「私も同じだ」
「はい?」
「殿下が何を考えているのかなど、私にもわからない」
その時、仰々しい鐘が鳴った。瞬時に、セルジークの顔つきが厳しいものとなる。足早に行ってしまった。
ああいう鐘の音が城内で鳴らされるのは、大物の登場を知らせる時だ。
ガルシャスたちにやや遠巻きに群がっていた貴族がいっせいに散る。
たった一人で乗り込んできたのは、第二王子だった。




