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 ――来るか、来ないか。


 あの娘はどうするのだろう。祭壇の前で、天敵からの憎悪を込めた視線を浴びながら、アウセムは自分を嘲笑った。


 この城内で信用できる人間などいない。しかし打算や恩義から、好きか嫌いか――単純な括りで言えば、アウセムを嫌っている人間であっても、裏切る可能性が少ないだろう人間ならばいないこともない。

 その中の一人が、娘を案内させる役につけたセウエだった。セウエは迷った挙げ句、娘に逃げ道を示しているはずだ。


 何しろ、銀髪の人間には人一倍思い入れがある。

 会えもしないというのに、生き恥をさらし、幽閉されているあの女への情をいまなお失っていないほどだ。

 エーファは年端もいかぬ、それもまさに利用されようという境遇の少女だ。同情しないはずがない。

 だからこそ、アウセムはセウエを呼んだ。


 娘がここに来ないなら、それでも良い。手の内から小鳥がすり抜けていっても、それまでだ。その場合は、占宮の手が娘に及ばないよう、せいぜい邪魔をしてやるつもりだった。

 もともと、自分の地位も、命も、消えかけようとしている灯火のようなもの。短期間だけの助力に終わるだろうが。

 来たら――逃がしはしない。予定通り、銀髪の占師として役だってもらう。

 実際、この場に来てしまったなら、娘は否応なしに、渦中に巻き込まれることになるだろう。そして、娘はきっと後悔することになる。


 しかし――我ながら、愚かしい賭けをした。


 娘を見つけ、占宮とは無関係と確信できてから、手駒の一つとして考えてきたのではないか? にもかかわらず、何故こんな馬鹿らしいことを思いつき、あまつさえ実行したのか、自分でも理解に苦しむ。


 哀れみか? 別の何かか?


「――何を笑っておられる?」

「私もついに己の占師を得るのかと思うと、喜びで顔が綻ぶのです。占宮に初めて足を踏み入れた緊張も吹き飛ぶというものです」


 儀式用の赤い衣に身を包んだ壮年の占師長に向かい、アウセムは告げた。


 キトリスが国家として有する占師たちの集団、そして彼らが住む宮殿をさして、占宮、という。正確には、空っぽの入れ物でも、中に占師がいれば占宮になる、というべきか。

 王族の移動に随行する何百、時には何千という占師たちのために、城には必ず占師のための住まいが作られる。ルーレ離宮建造の時もそうだった。

 もっとも、忌まわしい事件のせいで、宮は移されたが。


 シェーンハンにおける占宮は、カルクレート城内の北にある。ルーレ離宮からその方角に進むともったいぶったように、軍事用の増設部分とは異なる、優美な建造物が姿を現す。陽光が降り注ぐように設計された、過ごしやすい、風通しのよい宮だ。


「私の占師によって、今回、占宮に下された我が死の運命も、回避できるのではないか、と期待しています。占師とはそういうものでしょう? オルグ占師長殿」


 香の臭いが鼻につく。占師たちが占いのために焚く香の匂いだ。長い歴史の中で形を変え続けてきた占宮の中では、最も古く、そして変わらぬ慣習。

 特別に調合している香が占師の精神を研ぎ澄ませ、自然に現れている『すべて』に同化するための助けとなる、と言われている。


 一応、筋は通っているが、何のことはない。


 香は幻覚作用をもたらす。占師も、占いを求めてやって来た貴族や王族も、それに惑わされるのだ。

 そして神秘を体験した者は占いを信奉するようになる。占いに懐疑的であるバスハ人さえ、例外ではない。頑なに拒否していた者ほど効果的だ。


 一度の体験が――本人が事実と信じたならば――これまでを覆す原動力になる。


「無論です。我々は王家の為に尽力します」


 オルグは、真っ向から、アウセムを凝視した。年は四十歳を過ぎているのに、若くみえる。皮肉なことに、占宮の人間でありながら、オルグはアウセムの朽ち色の瞳から逃げたことはない。憎悪という彩りをもって、いかなる時も直視する。態度も言葉遣いも恭しく、第一王子に接するものでありながら、オルグの瞳だけがそれを裏切る。


 自分はお前を憎んでいる、とアウセムに主張しているのだ。


 憎め。逃げるな。お前も舞台にあがって来い。この勝負を受けろ。


 ――そして死ぬがいい。


「このほどシェーンハン刑場で刑が執行された、殿下の乳兄弟。あの不届き者の叛意をいち早く察知できたのも我が占宮の尽力ゆえです。ドウルから報告を受けました。殿下も見物されたとか。……おや? どうされましたか?」


 アウセムは口元に笑みを浮かべた。意識して作る必要があった。


「あれは良い見世物でした」

「そうですか。それは何より。殿下は処刑に反対だったとお聞き、なんとお優しい方かと、僭越ながら心配していたのですよ」

「まさか。自分の命を狙う輩を許せるほど、私は度量が広くありません。ただ――依頼主の名が出てこないので、殺す前に、尋問してでも聞き出すべきだったのではないかと思ったまでのこと」

「背後にいる人間を、ということですか」

「そうです。自らの意志で刺客が対象を殺すはずがありません。現に、今日も私は襲われました。一歩間違えば命を落としていたでしょう。命令している人間を刑場送りにしなければ、根本的な解決にはなりません」

「――確かに」


 オルグが薄く笑う。


「ええ。不公平でしょう。末端の者ばかりが罪を問われ首を切られるのは」


 その上にいる人間も殺さねば。


 アウセムも笑い返した。今度は、自然に笑みが出た。


「我ら占宮も全力をあげています。どうぞ、ご辛抱ください」

「感謝致します。時に、占師長殿。本日の入場式、占師長殿は、どこから情報が漏れたのか、不思議ではありませんか? 本物であるわたしが騎馬隊に扮するのは、直前になって決定したこと。幸いというべきか、それとも、これが運命か――私の占師のおかげで、命拾いをしましたが」

「ええ、殿下。運命とは――実に皮肉なものです。良かれと思ってした選択が、後に過ちだったと知る。切り捨てた過ちのほうこそ、正しい選択だったと知る。それはまさに、悪夢と呼ぶにふさわしい」

「占師長殿ともあろう方が、おかしなことをおっしゃる」

「おかしいでしょうか? 私の人生は、過ちを正すためにあるのです」

「いいえ。それに関しては、わかる気がします。占師長殿」


 過ちは、正されねばならない。


 しようとしていることは同じだ。ただし、何を過ちとしているかで、正そうとしているものも異なってくる。


 互いに、表情は消えている。義務として、忍耐を強いられる会話が続く。この会話をいつまで続けなければならないのか、アウセムがうんざりしてきた時、待ち人の到着を知らせる鈴の音が耳に届いた。清涼な音だ。


 ――来たか。


 息をつく。

 あの娘は、逃げなかった。

 安堵と言い切るには、たぶんに他の感情も混じりすぎた揺れが、内に広がる。


 ――来なければよかった。俺はそう思っているのか? 馬鹿馬鹿しい。


 慣れない靴で歩きにくいのだろう、遠慮じみた足音が、背後から響く。

 アウセムは、身体を捻り、後方を振り返った。

 自分の占師を迎え入れるために。


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