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訪問者は絶句したようだ。
だが絶句したのはエーファも同様だった。訪問者の青年は、アウセムによく似ていたのだ。違うのは、瞳の色。青年は、暗い茶色の瞳をしていた。思わず、両者を見比べてしまう。
すると、不思議なことに今度は差異が目立った。アウセムに比べ、青年のほうが繊細な雰囲気を纏っている。笑い方も違うのだろうな、とそんな感想をエーファは抱いた。
青年は白い布のようなものを腕に抱えている。
アウセムが腰を上げ、絶句したままの青年のほうまで赴くと、布を取った。踵を返し、エーファのところまで来ると、手渡してくる。
「着替えだ」
断るわけにもいかず、両手で受け取る。それは確かに、アウセムの言うように、布ではなく――肌触りのいい衣装だった。
そして、純白の織を基本として、緋と銀色の糸を使った繊細な模様が入っている。
エーファの顔が強張った。
何のつもりなのだろう、と思ったのだ。
普通、平民は、赤色を用いた服は、着ることができない。
朽ち色を除き、あらゆる赤――深紅、緋、血赤。赤に近い色として、貝紫、菫といった紫色などは、高貴な色だ。たとえ服の一部であっても、これらの色を使用できる者は限られている。
例外として許されるのは、朱石のように占師が占具として赤を用いる場合だ。赤は、占いにおいても、重要視される色彩だからだ。身分で使用が制限されることはない。
逆に、高貴な者は決して使わないのが、黄色や黄褐色。厭われる色でもある。裏街に住む人間は、服の中に黄色を交えることが多い。百年ほど前までは、強制だったという。だが、今なお、裏街では一般的な色だ。
何故なら、黄色を含む服を着ていれば、仲間だとわかるからだ。裏街に住む、あるいは、異端に馴染んでいるしるし。だから、馬車に乗る前、髪の染料を落とすと共に、エーファは一着だけ持っていた藍色の服に着替えることになった。馬車から飛び降りたり、転んだりしたせいで、汚れてしまったけれど。
とても、この服は自分が着ていいような代物とは――これが、着替え?
疑問の視線を投げると、第一王子は頷いた。
「遠慮するな。それはお前のものだ」
「殿下! しかしその服は!」
衝撃から立ち直った青年が叫ぶと、うるさそうにアウセムは手を振った。
「だからお前に持って来いと言ったんだ。なにせ、一度たりとも向こうの領域に足を踏み入れたことがないせいで、俺は伝がないからな。しいていえばセルジークだが、あいつに頼むわけにもいかん」
「そ、それはそうでしょうし、私も殿下の命令で仕方なく――オルグ占師長にも、話は通しましたが……」
「占師長は何と?」
青年が、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「……了承した、と」
「ならば問題はないな。お喜びになっていたろう? 占師長殿は」
「それを本気でおっしゃっておられますか? いくら銀髪とはいえ、殿下がなさろうとしていることは、殿下自身を貶める行為に他なりません。その娘のためにもならない。結果を、わかっているのですか?」
「結果か? ――わかっているとも。お前こそ、何故俺がわかっていないなどと言える?」
「そ、それは」
本当は、別のことを言うつもりだったのだろう青年の勢いが、急に衰えた。堪えきれなくなった様子で、さっと目を逸らす。
朽ち色の瞳から、だ。
自分が直視したことで、変わった青年の態度をどう思ったのか、アウセムは傷ついた風でもなく、咎めるでもない。
「占命式を行う。オルグ占師長も了承したことだろう? 占宮の人間なら、お前も従うことだ」
「――はい。出過ぎたことを、申し上げました」
その場で頭を下げた青年が、顔をあげる。
青年はアウセムではなく、エーファを見た。
しかし、数秒ほどで、視線はすっと外される。
哀れみと、嫌悪と、忌避――そして敬意の入り交じる、不可思議なそれだった。
前者は、慣れたとは言わないが、エーファが見知ったものだ。
だが、後者は?
青年が、退出する。
「――さて、俺とお前は約束をしていたな?」
唐突にアウセムにそう言われ、エーファは戸惑った。約束?
「三度目があれば、と約束をしたはずだが」
「あ……!」
腰の皮袋に手をやる。
「朱石はお返しします」
アウセムは苦笑した。
「お前は本当に『占師』なんだな」
「…………?」
「占師とは、常に占具を身に付け、持ち歩く。実践している奴ははじめて見た」
「でも……それが普通なのではないですか? もちろん、わたしは、その……占師ではありませんが」
ジルレアから、エーファは確かにそう習った。
「普通か。そうなのかもな。生憎、俺が今まで出会った占師という奴は、どれも違った」
エーファは皮袋から取り出した朱石を、アウセムに差し出した。だが、アウセムは受け取ろうとする素振りすら見せない。
「それは後で返してもらう。お前の名前も、その時に訊く」
まずは、とアウセムは続けた。
「着替えだ」
「ですが……」
自分で思った以上に、この衣服は何か重要なものなのではないか。
「ここは王家の城だぞ? ふさわしい装いをしなくてどうする?」
王子にそう言われてしまえば、エーファにそれ以上の反論などできるはずもなかった。




