73 チラつく黒い影
「クソッ!!
何故私がこんな目に遭わねばならぬのだ!」
城を追われた元宰相は、悪態を吐きながら馬車に揺られていた。
ずっと我慢してアホな国王に仕えて来た。
そんな苦労も全て無駄になってしまった。
新しい国王は即位した途端に真っ先に彼を排除したのだ。
「フンッ! まあ、良い。
甘い汁が吸えなくなったのは残念だが、今迄手にして来た賄賂だけでも、私の老後の生活は安泰なのだから……」
簡単には証拠を掴めぬ様に、長年掛けて少しずつ溜め込んだ不正な金は、王都の外れにある別邸の地下金庫にしまってある。
証拠を掴まれる前に、その金を持って他国へでも逃げてしまえば良い。
元宰相は醜悪な表情でニヤリと笑った。
「ん? なんだか様子がおかしいな」
別邸に着いた元宰相は思わず呟いた。
別邸は数人の使用人が管理していたはずなのに、人の気配が全く無い。
訝しみながらも玄関の扉を開くと───、
そこには、何も無かった。
つい数日前まであったはずの、豪華な家具も、調度品も、カーペットさえも、何もかもが消えている。
「何だ、コレは!?
泥棒でも入ったのか?
それとも、使用人達が持ち去ったのか?」
泥棒……?
ハッとした元宰相は、嫌な予感を胸に、地下へと駆け降りた。
(まさか、まさか……)
地下に降りた宰相はガックリと膝をついた。
予感は的中していた。
開け放たれた地下金庫の扉の中には、金貨一枚すら残っていなかったのだ。
厳重に鍵を掛けてあったはずなのに。
途方に暮れて抜け殻の様になった宰相は、仕方無くヨロヨロと立ち上がると、馬車に戻って本邸に向かった。
そこに更なる衝撃が待ち受けているとも知らずに。
本邸の玄関を開けると、別邸と同じ様に何も無くなった床にポツンと、離縁届けだけが落ちていた。
妻も子供達も、新国王に疎まれた彼をあっさり見捨てて出て行ったのだ。
本邸の方の家財を処分したのは、妻達である。
「ああ……、嘘だろ…。そんな、馬鹿なっ!!」
月の無い真っ暗な夜空に、悲鳴にも似た元宰相の叫び声が響く。
本邸の屋根の上。
悲痛な叫びを聞きながら、ニヤリと満足そうに笑った黒い服装の男達。
読者の皆様はお気付きだろうが、別邸の家財や金庫の中身を押収したのは彼等である。
そして別邸の使用人には、「元宰相は罪を犯したので、もうすぐ捕縛される。巻き込まれたくなければ早く逃げろ」と唆し、今月分の給金相当の額を握らせて追い出した。
黒尽くめの男達は暫くその場にとどまっていたが、いつの間にか夜の闇に紛れて何処かへ消えた。
後に、不正の証拠を見付けた王宮の騎士達が本邸に乗り込み、何も無い邸の中に力無く蹲っていた元宰相を発見して捕縛したと言う。
そして王宮には、匿名で多額の寄付金が届けられ、貧民の救済などに有効に使われたらしい。
元宰相が絶望の淵に立たされていた頃、別の場所では───。
こちらも王宮を追われてしまった、とある侍女が、イライラと爪を噛みながら自邸へと帰る所だった。
彼女は小さな領地を持つ子爵家の夫人であるが、領地収入は少なく、家計は火の車。
堅実な領地経営をしている夫は『慎ましく暮らせば良い』と言うが、新しいドレスの一着も買えない生活に辟易した彼女は、自由になる金が欲しくて王宮侍女として働いていた。
しかし、当然ながら侍女の仕事は楽では無い。
特に、自分よりもずっと低い身分のミシェルに仕える事は、彼女にとっては耐え難い苦痛だった。
実際にはミシェルは辺境伯家の令嬢であるが、この女に取っては出自が全てなのだ。
だから、ミシェルが王太子から冷遇されていると知った時には、正直、いい気味だと思った。
そして、ミシェルが参加する夜会の際に嘘の開始時間を教えたり、わざとミシェルには似合わない化粧を施したり、シャヴァリエ辺境伯からの差し入れを着服したりと、地味な嫌がらせを繰り返していた。
それがバレたのか、それとも単に勤務態度が悪かったせいなのか、彼女は侍女職をクビになったのだ。
トボトボと帰宅した彼女を待っていたのは、怒りに震える夫だった。
「これは、何だ?」
夫が彼女に差し出したのは、一通の手紙だった。
その手紙に見覚えがあった彼女の顔が、一気に青褪める。
「これ……どうして、ここに?」
「真っ黒な服装の見知らぬ男が届けに来た。
こんな手紙を信じたくは無かったが、お前のその顔色を見ると、信じるしかなさそうだ」
その手紙は、彼女が王宮の騎士に送った恋文である。
秘め事を匂わせる内容までもが生々しく綴られたそれは、どう見ても不貞の証拠品だった。
「違う、違うの……」
「これは確かにお前の筆跡だよな?
何が違うんだ? 説明してみろよ」
「ちが……」
なんの反論も思い浮かばない彼女は、ただ『違う』と繰り返す事しか出来なかった。
そんな妻の様子に呆れた様に溜息をついた夫は、小さな鞄を妻に押し付けた。
「荷物は纏めておいたから、これを持って出て行け。
慰謝料は後からお前の実家の方へ請求する。離縁届けもその時までに用意する」
「やだ……、待って!」
縋る彼女を突き飛ばした夫は、玄関の扉を勢い良く閉めた。
彼女がどんなに扉を叩いても、それが再び開くことは無かった。
そして、彼女の不倫相手だった騎士もまた、王宮を追われて自宅に帰ると、既に家族は彼を捨てて出て行った後だった。
数日後、自分の妻と侍女の夫から、高額な慰謝料の請求書が、彼の元に届いた。
あの日は、彼等以外にも、多くの無能な者が王宮の仕事をクビになり、それから暫くの間、王都のあちこちから数え切れない程の嘆きの声が上がったそうな。
ミシェルを冷遇し、王宮を追われた者達は皆、何故かその後の社交界から綺麗さっぱり姿を消した。
そこに暗躍する黒い影の存在があった事を、知る者はとても少ない。




