結月ゆかりは疑われる
「……なんだか寂しくなっちゃったね」
妖精たちが飛び交い、グラスが転がり、ねずみが握られる。そんな寂しさとは無縁の空間で、それでもあかりはぽつりと呟いた。
絶対値で言えば寂しさとは無縁だろう。しかし相対的に見れば違う。彼女はつい最近までの騒がしい光景を瞼の裏で思い返し、静かに黄昏れていた。
サリーは明くる日、姿を消した。【オグメレンズ】にインストールされていた中継地点アプリもきれいに削除され、何事もない日常が帰ってきた。
「そうですか?全然寂しくないですけど」
「えー?強がっちゃだめだよゆかりさん。昨日はあんなに泣きそうな顔してたのに」
「だって連絡先交換してますし。今朝はちょっと悲しかったですけどね」
「え!?私、それ知らないんだけど?」
「【オグメレンズ】に入ってますよ。あかりちゃんの方にも入ってるでしょ?」
「……本当だ!全然気づかなかった!」
今までウイルスとしてデバイスの中に入っていたのだから勝手に連絡先を追加するくらいは朝飯前を通り越して前日の夕飯前。あかりが見ていた『泣きそうな顔』のとき……サリーがいなくなったことに気づいたとき、ゆかりは確かに泣きそうではあったが、視界に映る新規連絡先の情報を見て即座に涙が引っ込んでいた。
「昨日はさりげなく気を遣ってくれてましたね。都合がいいから享受してましたが」
「せっかくゆかりさんのために頑張ったのに!」
『そろそろ喋っていい?』
「大丈夫ですよ。あかりちゃんとも喋りたかったでしょうに、黙っててくれてありがとうございます」
「そんな取引までしてたの!?ひどーい!」
ゆかりのモニターからドットの少女がぴょこんと飛び出し、キーボードの上にすたっと着地する。あかりはそんな彼女に視線を合わせてにっこりと笑った。
「サリーちゃん久しぶりー!!!!」
指でがしっと彼女の頭を摘まみ上げ、ぐわんぐわんと揺らす。以前よりもバリエーション豊かなドットを取り揃えてきたらしく、物理演算に伴って身体がぐらんぐらんと揺れていく。
『えーん、悪いのはゆかりさんだよーっ!』
「そういえば、ゆかりさんは『ゆかりさん』なのに、私は『あかりちゃん』呼びなんだよね?」
『親しみを込めてるんだよ!』
「ほう、私には親しみを感じてないんですね」
『それは尊敬の念を込めて……』
「私は尊敬されてないんだ。へー」
『しまった、ダブルバインドだ!』
散々弄り倒され、小一時間ほど経ってようやく離してもらえたサリー。ぽてんとテーブルに座り込むが、同時に【アストログラス】がサリーのもとにころころと転がってきてこつんこつんと突き始める。それを皮切りにキャラクターたちも集まって再び弄りが始まり、『きゅあぁっ!?』と悲鳴をあげながらもみくちゃにされていた。
「昨日の今日ですけど、ゲーム製作は順調ですか?」
そんな現在進行形で危機的状況にある彼女に、ゆかりは遠慮なくそう問いかける。
『順調だよっ。だけどあかりちゃんがいないからデバッグも1人で大変かも』
彼女らのゲーム作りで、方針や進行に大きく携わったのは結月ゆかりだが、既に安定軌道に乗ったサリーにとって現在最も必要な人材は紲星あかりだった。
本来AIは情報処理能力において適性が高く、当然それに伴いプログラミングやデバッグなどの工程に長ける傾向にある。しかし彼女をはじめとして、現実には多くのAIに向き不向きが存在している。
その理由は簡単だ。
『ノリでシステムを構築してるから何をどうデバッグすればいいかわからないの!』
「仕様の定義をしてないからそもそもバグかどうかを判断する段階にすら至っていないんですよね。だから計算は早い割にコードを書くのは遅いしバグも量産される。……まったく、まだ協力してあげていたほうが良かったですかね?」
人格の形成は揺らぎのない作業とは相反する概念だ。しかしゲームや漫画など娯楽が関わる仕事ではシステマチックな発想だけではやっていけない。
もちろん、あかりはシステマチックな発想とは無縁だが、仕事の管理には定評があり、一方でゆかりもまた効率主義ではあるものの、経験則を踏まえて娯楽を生み出すことができる。
つまりちゃぶ台をひっくり返すようだが、向き不向きという概念は人やAIといった生まれによって変わるような代物ではない。サリーがズボラなだけ、という至って単純な話だった。
「まあ、サリーさんはそれでいいと思いますよ」
『なんか温かい目で見られてる気がする……』
「オープンα版とかあったら協力するよ!私じゃなくてもたくさん協力してくれると思うけどね」
『あかりちゃん……』
あかりがサリーに手を差し出すと、彼女はそっと手のひらに乗った。あかりはそれを見て微笑みながら持ち上げて頭の上に乗せる。ゆかりはそんな様子を眺めながら、独り呟いた。
「まさに【バーチャルガーデン】そのものですね」
仲良く触れ合って遊びながら、まったり過ごす。数値や効率よりも雰囲気を重視したゲーム。それはサリーのような気楽で明るい人でなければ作れなかったかもしれない。少なくともゆかりはそう考えていた。
「さてっ!サリーさんが頑張っているなら私も頑張らないといけませんね」
「おっ。不動の重鎮、失踪系実況者ゆかりさん。ついに動きますかっ!」
「はい。本格的に復帰しますよ」
「えっ……ゆかりさんが……?ウソでしょ??」
「まさか、それをオチにするつもりですか?」




