87章
87章. 確執
─サクリファイス大聖都、ユーラ大陸の中央に位置し、聖都の中心には聖ネクロ大教会が建立されている。
その聖ネクロ大教会は、聖十字教会の総本山であり、魔術協会との総会が、年に二回開かれる。
教会側が50人、魔術協会側が50人と両翼に分かれて、広く豪奢な議事堂で一堂に会している。
今この時、聖ネクロ大教会の大公会堂において、この魔術協会と、聖十字教会との総会が開かれていた。
そうして、この年二回の総会は教会側の轟々とした、魔術協会への弾劾から始まるのを、つねとしていた。
「私は常々、憂慮している。昨今の、魔族どもの台頭。この事態は、魔術協会の警戒の怠慢ととらえている。
この責任、魔術協会側はどう取るおつもりか!!」
教会側である枢機卿ヴェイン・バルバの怒声が、広く議場に響きわたる。
若干、32歳のこの若き枢機卿の断罪は、若さゆえの清廉さと厳格さで、他者を許さないものがあった。
毎年開かれる総会とは、『教会』と『魔術協会』との活発な意見交換という名の、教会側からの罵倒、責任追及、批判が毎年の慣例だった。
そして、最も激しい論客がこのヴェイン・バルバ枢機卿だった。
「昨今の、魔族どもの活発な活動により、我が教会および教区の住人に多大なる、人的、物的な損害を被っている。
つまり、我が教会は魔族からの襲撃につねに晒され、脅威を受け続けている。
一重に、これは魔術協会の魔族への警戒、防御の怠慢に他ならない。この責任をどうとるのか、具体的な補償をうかがいたい!」
弾劾されている、当の魔術協会の老会長マーリンは長い白髭の老人で、苦虫を噛み潰したような顔をして、この攻撃に耐えていた。
「─異議あり。」
「はい。魔術協会の書記、リステア君。」
持ち回りで回している、進行役の議長は、この会合においては魔術師協会側の人間だった。
この進行役の議長を任されたのは、魔術協会副会長アレイスター・クロウリーという人物あり、二十代の男性だった。
とにかく若くして優秀であったが、生来の事なかれ主義であり、内心この書記の反論に舌打ちをしていた。
『この弾劾裁判が、一刻も早く終わって欲しいのに。』
そう願う、この魔術協会の副会長クロウリーは、教会側が反省や改心などする事が無いのは、嫌と言うほど分かっていた。
つまり、この書記のリステア女史の、勇気ある弁護に、全く余計な事をと副会長のクロウリーは苦々しく思うだけだった。
しかし、もう発言が議事録に記載されてしまった以上、書記の発言を許可するほかない。
「……魔術師協会書記のリステア君。発言を許可する。」
議長に発言を許可された、魔術師協会書記のリステアは若く美しい女性で、その上で有能な人物でもあった。しかし、その一方で真面目かつ頑固で、どうしても融通が効かない所がある。
だからこそ、この一方的な攻撃に耐えられず、教会側へ反論してしまうのだった。
また余談ではあるが、彼女はその生真面目な性格ながら、まだ見ぬ大魔導士カシウス・オルデウスに密かな憧れを持っており、おおよそ熱狂的なファンと言ってもよかった。
そしてこの書記の女史が、魔術協会全体の沈黙を破り、弁護の論をぶち上げる。
「魔術師協会とは、本来、独立した、魔術の学術研究機関であり、軍事組織ではありません。」
書記のリステアのこの発言は、広く議場に響いた。そして、ここで言葉を切り、後に続ける。
「教会や教区民を守ることは、魔術協会の主たる目的ではありませんし、本来であれば、武力とは距離をおいた研究機関であることをお忘れなく。」
続けて、魔術師協会の書記リステアは決して聞こえない声でひとり、呟く。
「(ボソッ)……そもそも、堅牢な城壁内で暮らせば良いのに、教区だ荘園だ、なんて言って、僻地に散って教会を建てるから、人的被害が出るんじゃないの…」
この論を聞いて、ひとり激する人物がいる。くだんの、ヴェイン枢機卿だ。
「異議あり。」
怒声を伴った、枢機卿の声が議事堂に響く。
「はい、ヴェイン・バルバ枢機卿殿。」
このヴェイン・バルバという、30絡みの男は若くして地方司祭から枢機卿まで登り詰め、非常に自負心の強い野心家だった。
それ故に、若い書記に、それも小娘に反論された事は、何よりも許し難かった。
「そもそも、魔術協会は、我が聖十字教会がお目こぼしをしているおかげで、存続している事を自覚されているのだろうか?」
そう言って、魔術師協会の老会長マーリンに、チラリと視線を送る。そうして、いよいよ書記の小娘に詰め寄る。
「本来、教会の領分である、司祭がつかさどる、神の加護による治癒。その神聖な、治療行為を、魔術師共が白魔法とか言って、侵している事について、教会が目をつぶっているのは、なぜだと思われる?」
ヴェイン・バルバ枢機卿は、なおも畳み掛ける。
「お前たち、魔術師、錬金術師どもの、人道を外れたおぞましい研究は報告が上がっている。
それを見て見ぬふりをしているのは、どうしてだと思う?」
ヴェイン・バルバ枢機卿はそう言って、机をバンと大きく叩く。
「お前たちが、我々の教会を守護するという、崇高な役割があるからこそ、いかがわしい、魔術師どもに、お目こぼししているのだという事を忘れるな!」
魔術協会の老会長マーリンは呆れ顔で、ヴェイン枢機卿を見ている。
『……ふん。我ら魔術師が魔物供から護ってやらねば生きていけない、無力な坊主共のクセに…』
魔術協会の老会長は頭の中で、そう毒づく。
ヴェイン枢機卿の演説はなおも、続く。
「もちろん、我が教会は、お前たち魔術師どもを1人残らず、異端審問にかけることなど、造作もない事を忘れるな!」
聖十字教会のヴェイン枢機卿は、このように轟々と魔術協会を批判した。
『異端審問…ずいぶんと旧世紀の遺物を持ち出すものだ。魔王の出現で、教会は急に引っ込めた過去の歴史をお忘れなのか……?』
魔術師協会の老会長マーリンは、またしても心の中で毒付く。
このようにして、魔術協会と聖十字教会は、伝統的に仲が悪い。
そして、これらの総会のやり取りを、ほくそ笑みながら眺める者がいる。
ヴェイン・バルバ枢機卿に取り入り、いずれ教皇にも、と企んでいる野心家であり、この場にオブザーバー的な立ち位置で潜り込んだ人物。
─司祭インベル。魔族と人類との戦争を画策する者。
つまり、アメトは着々と、人類と魔物との戦争に向けて動いていた。
『この際、邪魔な魔術師どもと、教会との仲が決裂すれば、こちらの仕事もやり易い…』
『いやむしろ、教会が魔術師どもを迫害してくれればなおいい…』
結局のところ、教会は長い歴史を通じて、魔術師、錬金術師に対しての強い偏見と差別意識がある。
一方で、魔術師もまた、教会に対して口ばかりの権威主義と、不満が溜まっている。
これを利用すれば、意外と上手くいくかもしれない、アメトはそう考えたのだ。
教会と魔術協会との総会が終わると、枢機卿ヴェイン・バルバから尋ねられる。
「…どうだった、このような会議は?……緊張したか?」
司祭インベルは、この言葉を受けて答える。
「大変、勉強になりました。しかし、今この時も魔族に怯える教区民がいるというのに、このような会議は、ずいぶん悠長ではありませんか?」
司祭インベルは、ヴェイン枢機卿に訴えかける。
「私の元いた、田舎の教会は、常に魔獣に怯えて暮らし、この前の北部ジルド領、魔獣襲撃の折に、孤児院の子供達は……全員嬲り殺され…。」
そう言って、インベルは悔しそうな顔をする
枢機卿はその様子に痛いほど同情し、寄り添う。
「なるほど君は確か、ジルド領北方の僻地に赴任していて、孤児院を任されていたな。」
「はい…。可哀想に孤児の子供たちは殺され、魔獣に喰われてしまいました…」
「私だけ、おめおめと生き残ってしまい……。」
枢機卿は、若い司祭の肩に手を置いた。
「そうだったな……。いや、君だけでも助かって良かった。」
そう言って、枢機卿はインベルを励ます。
「君のような、才能のある優秀な司祭が、これからの教会には必要なのだ…」
続けて枢機卿は、司祭インベルに慰めの言葉をかける。
「それに起こった事は人間には、どうしようもない事だ…。君が気に病む必要は無い…」
そう言って枢機卿は、悲痛な表情の司祭インベルを気遣った。
「……ヴェイン枢機卿様、どうか子供たちの仇を…」
地方から来た若い司祭の、その哀れな嘆きに、嘘は見られない。
司祭インベルの期待のこもった、嘆願を受けて、枢機卿も答える。
「…うむ。分かっている…」
しかし、枢機卿はそう答えるのがやっとだった。
というのもヴェイン・バルバ枢機卿は、急に近づいてきた、このインベルという男の野心を、薄々は勘づいている。
だが、若者というものは、往々にしてそういうものだし、かつての自分もそうだった。
枢機卿としては、このインベルという美しい司祭を、取り立ててやる事に異存はなかった。
『だが、少し引っかかる……』
ヴェイン・バルバ枢機卿はそう思った。
そしてまた、この時インベルは内心うまく騙せたと思っていた。
『どうやら上手く、同情を誘ったか…』
『教皇まで、あと一歩といったところ…』
司祭インベルは、ヴェイン・バルバ枢機卿をうかがう。
『この枢機卿は賢いようで、どうも想像力が足りない……。よもや、目の前の男が、魔族とは微塵も思ってはいまい……』
こうやって、焚き付けてやれば、いずれ大火事も起こるだろう。
『そして、魔族と人間との戦争を』
それが最大の目的だった。
しかし、とりあえず教皇の攻略。それが司祭インベルの目下の目的だった。




