25 証明
「品定め?」
いつの間にかヨウとフィルを取り囲むような格好になったハヤセたちに向かい、ヨウが問う。
「ああ、オレたちがお前にありったけの精霊力を叩き込んでやるんだよ。それを全部防ぎきれば、お前を認めてやる」
「……本気で言ってるの?」
低く問うヨウに、ハヤセは凶悪な笑みを返した。その両手を取り巻くように、少しずつ精霊力が集まっていく。
「何、本当に生徒会にふさわしい生徒ならオレたちの攻撃くらいどうって事はないだろ? おら、もう始めるぞ?」
どうやら選択の余地はないらしい。取り巻きも攻撃の構えを見せている。こちらも覚悟を決めるしかないようだ。
「……仕方ないね」
ため息をつくと、ヨウは一歩二歩と前に歩み出て、拳を体の前に構えた。
「それで気がすむのなら、受けて立つよ」
「ま、待てよ! だったらオレも!」
「いや、一人でやるよ。彼らは僕の力を測りたいみたいだからね」
前に出ようとするフィルを、片手で制する。こんな時、この金髪の友人の仲間思いな所が嬉しい。
「安心しろよ、お前みたいな出来損ない、死なない程度の力で相手してやるからよ。なあ、お前ら?」
ハヤセの声に、取り巻きも陰湿な笑いで応える。
「ヨ、ヨウ! ホントに一人で大丈夫かよ!?」
「大丈夫、フィルは少し下がっててね」
心配そうに声をかけるフィルに、ヨウが笑顔でうなずく。安心してもらおうと努めて平静に答えたのだが、それがかえって相手を刺激したらしい。
「てめえのそのスカした態度が気に入らねえんだよおぉぉぉお!」
血走った目でハヤセが叫ぶ。両腕を突き出すと、その手のひらから無数の炎のつぶてが放たれる。『炎の魔弾』。精霊術の中でも初歩の術に分類されるが、その一発は並みの人間を一撃で戦闘不能に至らしめるに十分な威力を持つ。ましてそれを何発も打ち出すとなるとその制御は加速度的に難易度を増す。取り巻きたちの手からも炎と石のつぶてが放たれ、空を切り裂きながらヨウに襲いかかる。
その様子を、ヨウはしかし、落ち着いた目で見つめていた。拳を軽く構え、そこに魔力を込める。すると、それに呼応するように彼の拳がまばゆい光を放ち始めた。ヨウの周りの空間が、わずかに揺らぐ。
そんなヨウに、凶悪な魔弾の雨が容赦なく降り注ぐ。一つ息を吐くと、ヨウは迫り来る魔弾に向かい微塵の迷いもなく拳打を繰り出していく。生身では到底抗し得ないはずのその魔弾は、ヨウの拳とぶつかる度に光を放ち霧散していった。文字通り目にも止まらぬ速さで、降り注ぐ魔弾を一つ漏らさず的確に打ち砕いていく。
「な、何ィ……?」
ハヤセたちの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。精霊力とは、選ばれた人間のみに与えられる神秘の力。その強大な力に、ただの人間があらがえるはずもない。だが、今彼らの眼前で、そんな常識をくつがえすような事態が起きている。ハヤセたちの間に、動揺が広がる。
「ウソだろ!? あいつ、拳でオレたちの攻撃を砕きやがった!?」
「そ、そんな事が可能なのかよ!?」
「お、お前ら、うろたえるんじゃねえ!」
魔弾を全て叩き落し、制服の裾を軽く払うヨウ。そんな彼に、ハヤセが呼吸を乱しながら狂犬のごとき獰猛な視線を向ける。そんなハヤセとは対照的に、取り巻きたちは幾分及び腰だ。
思ったより効果があったかな。ヨウは頭の隅で思った。攻撃を防ぐだけならいつものように『古魔法の守護円陣』の多重使用ですむ話なのだが、今回は力を認めさせるために少々趣向を凝らしてみた。『古魔法の拳撃』と彼が呼んでいる、自らの拳を直接魔力強化する魔法を用いる事で、あたかも一般の人間が生身の拳で精霊術を退けるかのような場面を演出したのだ。そうとは知らないハヤセたちには、一体何が起こったのかわからないだろう。力を示すには、これで十分ではなかろうか。ハヤセを見据えると、事もなげな調子で問う。
「どう? これで納得してもらえた?」
だが、ヨウの演出は少々尖り過ぎていたらしい。逆に彼らの自尊心、闘争本能を刺激してしまったようだ。ハヤセの瞳に、憎しみの炎が宿る。
その目に、ヨウも目論見が甘かった事、そしてハヤセの真意を悟った。彼はヨウの力を測りたいのではないのだ。それどころか、ヨウが生徒会にふさわしいかどうかすら彼にとって問題ではない。彼はただ、ヨウが認められて自分が認められない事に我慢がならないのである。今ハヤセが求めているのは、ヨウがその力を示す事ではなく、ただただヨウを痛ぶって地面に這いつくばらせる事だけなのだ。
「調子に乗ってんじゃねえぇぇ! オレはまだ本気出してねえんだよ! お前ら、やるぞ!」
「お、おう!」
狂熱に浮かされたかのように、ハヤセが雄叫びを上げる。その熱に衝き動かされ、取り巻きの二人も目をぎらつかせて構える。
事ここに至っては仕方ない。ヨウも覚悟を決めた。無傷でハヤセたちを止める方法はただ一つ。彼我の力の差を、圧倒的な形で見せつけるのみ。
今にも加勢に加わりそうなフィルに近寄らないよう目配せすると、ヨウは普段の彼からは想像もつかないようなふてぶてしい口調でハヤセたちに手招きした。
「来るなら初めから全力で来なよ。叩き潰してあげるから」
普段とは別人のようなヨウの煽りに、ハヤセがいよいよ修羅の形相を見せる。もはや言葉にならない叫びを上げながら、両手を前方に突き出して精霊力を集め始めた。赤い光を放ちながら集まった力は、燃え盛る炎となって徐々に一本の槍の形へと収束していく。『炎の投槍』。生身の人間なら消し炭になるほどの威力を誇る中位の精霊術である。精霊力をほとんど持たないヨウにこの術を放つという事、それはハヤセのヨウに対する明確な殺意を意味していた。
「殺す! てめえは絶対殺す!」
絶叫と共に、ヨウに向かい炎の槍が放たれた。ハヤセの殺気に当てられ、取り巻きたちも炎と石の矢をヨウ目がけて放つ。そのそれぞれが、人一人を葬り去るには十分な威力を秘めた一撃だった。
「ヨ、ヨウ!」
思わずフィルがヨウの下へと駆け出す。だがそれよりも早く、ヨウはハヤセたちに向かって飛び出していた。激しく燃え盛る炎の槍が、ヨウの眼前に迫る。
触れるもの全てを焼き尽くさんとする炎の塊に、彼は真正面から『古魔法の拳撃』を叩き込んだ。ヨウの右拳がまばゆく輝き、一筋の光の矢となって炎槍に突き刺さる。その拳は炎の槍を容易く引き裂き、一瞬にして炎槍は赤く輝く花吹雪へと姿を変えた。風と共に、炎の花びらがはかなく散っていく。左右から飛んできた炎と石の矢も軽々と叩き落とすと、ヨウはその勢いを止めずハヤセへと直進していった。
「バっ、バカなっ!?」
思わずハヤセが叫ぶ。想像を絶するヨウの力に、その表情を引きつらせ目を見開いたまま立ち尽くす。
己の理解の及ばぬ領域を垣間見る時、人はそれを怖れ畏怖の念を抱く。ハヤセの顔には今、まさにそんな畏れの表情が浮かんでいた。
矢のごとくハヤセに迫るや、ヨウはその喉元を左手で押さえつける。喉を押さえられ呼吸がままならないハヤセをよそに、ヨウはそのまま数歩押しやってハヤセの体を地面へと叩きつける。首を押さえたまま右の拳を振り上げると、ハヤセの顔が恐怖に引きつった。喉からひゅうと空気の音だけが漏れる。ヨウの拳に強い力が集まり、輝きを増していく。
「おおぉぉぉぉおおお!」
その拳が振り下ろされると同時に、あたりに落雷のごとき轟音が響き渡る。本当に雷が落ちたかのような音と光が止むと、そこにはハヤセの顔のすぐ横に拳を振り下ろしたままの姿勢で固まっているヨウの姿があった。
ヨウが殴りつけたのは、すぐそばにあった石の廃材であった。大人がようやく抱えられるかといった程度の大きさであったはずのその廃材は、ヨウの拳によって粉々に砕かれ、特に拳に直接触れた部分はもはや砂粒と言った方が近いのではないかと思うほどにその形を変えていた。
「ひっ、ひっ――!」
喉の拘束を解かれ、ハヤセが悲鳴を上げる。目には涙を浮かべ、腰を抜かしながらも四つんばいになって必死にヨウから離れようとする。
「……もう僕たちにちょっかいを出すのは、これで止めてもらえないかな」
ハヤセに駆け寄る取り巻きたちに向かい、ヨウが冷ややかな目を向ける。二人は壊れたおもちゃのようにこくこくとうなずくと、まだ腰を抜かしているハヤセを抱えて足早にその場を離れていった。
「ヨ、ヨウ……大丈夫、だよな……」
ヨウの気迫に気圧されながらも、フィルがそばに駆け寄って声をかける。表情にまだ険が残っていたヨウだったが、ふうっと一息つくと、次の瞬間にはいつもの調子でフィルに振り向いていた。
「うん、全然平気だよ。ごめんね、何だか巻き込んじゃって」
「いや、すまないのはオレの方だよ。何の頼りにもなれなくて……」
「そんな事はないよ。こうして僕の事を気遣ってくれるだけでも、本当に心強いんだから」
これはお世辞でも何でもなく、心の底からのヨウの本心だ。屈託のないその笑顔にフィルもヨウの真意を汲み取ったのか、照れくさそうに答える。
「そ、そう言ってもらえると、オレも嬉しいぜ。ああ、オレはいつでもヨウの味方をしてやるさ」
「ありがとう、フィル! それじゃ、補佐の件もよろしくね」
「いやいや、それとこれとは別だろ! そっちはしばらく待ってくれって」
「あはは、ごめんごめん」
ぺろりと舌を出しながら、ヨウは親友の気遣いにもう一度感謝した。そして、先ほどの一件について反省する。
実害はないと思いこれまで放置していたが、もっと真剣にハヤセたちへの対処を考えておくべきだったかもしれない。結果としてフィルを巻き込む形になってしまった。場合によっては彼に被害が及ぶ可能性も十分に考えられた。今回は何もなかったから、で済ませていい話ではない。
これから生徒会に入れば、より多くの恨み、憎しみを買う事になるかもしれない。その時には、ヨウも断固とした対応を決断しなければならないのかもしれなかった。大切な者たちを守るために。
ひるがえって先ほどの対応はどうだったであろうか。誰も傷つかないようにと考えた結果ではあったが、正直ヨウにはあれが正しかったのかどうなのかわからない。もしかするとより大きな憎しみを生み出したのかもしれないし、あるいは過度の恐怖を与えてしまったがゆえにハヤセの人生に陰を落とす事になるのかもしれなかった。
今後はあのような場面がますます増えていくのかもしれない。それはまだ十六歳の少年に過ぎないヨウが背負うには、あまりにも重すぎる荷物のように思われた。
せめて、これで彼らが少しでも懲りてくれれば。ヨウは心の底から祈らずにはいられなかった。




