第十話【別れ】
翌日の朝。
「祈、忘れ物はない?」
芝の生えた庭の上で、月が問いかけた。
「えっと……」
祈はリュックを地面に降ろし、再度中身を確認していく。
更に服のポケットを触り、
「うん、大丈夫!」
「よし……。おーい、地球の神様。聞こえるか?」
瑠璃が大声で言った。
五秒ほどして声が返ってくる。
『呼んだかの?』
「準備ができたぞ」
『了解じゃ。それで願いは、お主の息子を魔法や魔物が存在している異世界へと転移させるということでいいかの?』
「ああ。……それと、絶対神に会わせてくれ」
「えっ?」
事前に瑠璃から聞いていなかったのだろう。
月が不思議そうに首を傾げた。
『……はぁ。願いを叶える権利はひとつしか残っておらんぞ?』
「だからひとつしか使っていない。祈を異世界へと転移させるというお願いの付録として、絶対神と会う方法を教えてもらうんだ」
『………………まあ、それくらいなら別にいいかのぉ。どうせ暇だし、大した手間でもないし……。何よりお主とやり取りをするのが面倒くさい。とりあえず息子さんを異世界へ転移させるぞ?』
「お父さん、お母さん。今まで育ててくれて本当にありがとう。僕はずっと幸せだったよ」
祈が二人を交互に見ながら自分の思いを伝えた。
「祈……」
「おい、祈! もし異世界ごときで死んだら、俺がお前を殺しにいくからな?」
と大きな声で言う瑠璃。
「えっ? あ、うん」
「だから、絶対に死ぬんじゃねぇぞ」
「任せて!」
「あと、俺の息子ならどんなに怪我をしても戦うのをやめるな。手傷を負ってなお戦えるもののことを戦人という」
「そうだね」
「祈! ……げ、元気でね」
最後まで笑顔を崩さないと決めていた月の瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。
「お母さん、心配しないで。僕は二人の血を引いているから、きっとどこでも生きていけるよ」
「……うん」
「長くなったら辛くなりそうだし、もう行くね。地球の神様さん! お願いします」
『わかった。……ほいっと』
神様の声と同時に、祈の姿が光に包まれて消えていった。
「──祈っ!」
月が手を伸ばすも、もうそこに息子はいない。
今後一生会えない。
その事実が彼女の心を強く締めつける。
昨日からずっと堪えていた涙があふれ出してきた。
ボロボロに崩れる顔を隠すように、瑠璃の胸に顔を埋める。
「……うぅ。ずずっ!」
「おい、鼻水を俺につけるなよ……と、言いたいところだけど、今日だけは仕方ないよな」
「鼻水なんて……づけてま……せん」
瑠璃は彼女の頭を撫でる。
「今までよく我慢したな。もういいぞ」
返答の代わりに何度もしゃくり上げる月。
「お前が泣き止むまで待ってるから……な」
瑠璃の目にも少しだけ涙が浮かんできた。
自分が泣いたらだめだと言わんばかりに、鼻から大きく息を吸って堪えようとする。
しかし、月の嗚咽が彼を追い詰めていく。
それからしばらくの間、月は泣き続けた。
相当辛かったのだろう。
瑠璃は変な意地を張り、結局涙を流すことはなかった。
やがて彼女が落ち着いてきた頃。
『もう良いかの?』
「ああ、悪いな。すっかり待たせてしまった」
「地球の神様さん。すみません」
瑠璃と月が謝った。
『構わん。それより絶対神様の居場所へ案内すればいいんじゃな?』
「ああ、頼む。会いに行くという約束をしているんだけど、お前に聞く以外の方法が思いつかないんだ」
『あの御方と約束とは……相変わらず規格外な人間じゃのぉ』
「まあな」
『じゃが……なんというか、実際に会えるとは限らんぞ?』
「ん? どういうことだ?」
『わしが案内できるのは、神界にある絶対神様の居場所へと続いている入り口までじゃ。正直入ったことがないから、たどり着くまでにどのくらいかかるのかはわからん。噂ではダンジョンみたいになっているらしいが……』
「……なるほど」
『どうする? もう案内すれば良いか?』
「いや、すぐに帰ってこられるかどうかわからないなら、いろいろと準備をしておきたい」
『そうか』
「何度も本当にすまないな。ちょっと待っていてくれ」
『ま、わしは心が広いからのぉ……。了解じゃ』
神様の声が聞こえなくなったあと、瑠璃は月のほうを向く。
「すぐに会えると思っていたんだけど……どうやら時間がかかりそうだ」
「瑠璃さん。どういうことですか?」
「前から思っていたんだ。最後のお願いを叶える時に、ついでに絶対神と会う方法を教えてもらおうってな」
「へぇ……」
「ダンジョンがあるみたいだし、ちょっとワクワクしてきた」
「ふふっ。その表情……昔の瑠璃さんっぽいです」
「……なぁ、月。無理にとは言わないけど、一緒に行かないか? 俺はずっとお前のそばにいたいし、絶対神の創ったダンジョンにも挑戦してみたい」
「わがままですね」
「自覚はある」
月は数秒ほどの間を空けたあとで、頷く。
「もちろんいいですよ」
「本当か?」
「今更私が瑠璃さんと離れるとでも思いました? というかこのまま一人で地球に取り残されたら寂しくて死んじゃいます」
「……そっか」
「それに、私も絶対神さんに会ってみたいんです」
「俺も声を聞いたことがあるだけだから、直接会って話をしてみたい」
「で、お義父さんたちにはどうやって伝えますか? 神様の話によると、たどり着くまでにどのくらいかかるかわからないらしいですけど……」
「あー、すぐに帰ってこられる可能性もあるんだよな」
「はい」
「親と弟には真実を伝えるとして、バイト先とかには海外に引っ越すって言って誤魔化せばいいだろ。で、もし仮に早く帰ってこられた場合は別の仕事を探そう」
「わかりました」
その後二人は、まずバイト先の店長に電話をし、続いて両親に会いに行った。
事情を伝えると母親は悲しそうな表情を浮かべたが、父親はいかつい顔をにやつかせて『頑張ってこい』と言ってくれた。
そして弟にも伝えてもらえるように言い残し、異空間の鍵を預けた。
露天風呂や家などは自由に使ってもらう予定だ。
それから異空間の庭にて。
「おーい! 準備OKだ」
『それじゃあ、とりあえずわしの部屋に転移させるぞ?」
「頼む」
『ほいっと』
その瞬間、瑠璃と月がその場から消える。




