第四話【夜中の寝室】
真っ暗な寝室のなかで、ずずっと鼻をすする音が響いた。
「月。……泣いているのか?」
隣で背を向けて眠っている彼女に向かって、瑠璃がそう尋ねた。
「……泣いて……ません」
「どう考えても泣いてるだろ。隣の部屋の祈に聞こえたらどうするんだ?」
「だってさっきから……あの子を産んだ時から今日に至るまでの思い出が、何度も何度も……頭に浮かんでくるんです」
30秒ほど沈黙が続いたあと、瑠璃は優しい声でつぶやく。
「子どもはいずれ巣立っていくものだ」
「それはそうですけど……巣立っていく先が異世界なんですよ? もう私たちの前には戻ってこられないでしょうし、心配で仕方がないです」
「大丈夫だって。……それに、異世界で一生を過ごしたいと決めたのは、まぎれもなくあいつ自身だ」
「……」
「俺はああいう夢を持てることが羨ましいけどな。……正直言って、俺もついていきたい」
「あっ! その手がありましたね……。明日デスティニーランドで遊んだあと、三人で一緒に異世界へ行きませんか? それで、瑠璃さんの大好きな魔物が生息している森のなかにひっそりと家を建てて、家族三人で過ごすんです。きっと幸せ──」
「──だめだ」
瑠璃の低くて冷たい声が響いた。
「えっ……」
「俺と月がついていったら意味がない。少なくとも俺が祈の立場だったら、親にはきてほしくない」
「もし私なら、両親と一緒に行きたいですけど」
「あいつはああ見えても男だ。……あまりこういう言い方はしたくないが、女にはわからない」
「……むぅ」
「とにかく、初めて自分から自立しようと行動を起こしたんだ。俺たちはそっと背中を押してやろう」
「瑠璃さんは寂しくないんですか? もう二度と祈に会えないんですよ?」
「寂しいに決まっている」
「だったらどうして……」
「……実はさ、俺が初めてダンジョンへ向かう時、母さんには反対されたんだ」
「はい。お義母さんのその気持ちはよくわかります」
「でも、父さんは違った。『俺も男だから瑠璃の気持ちはわかる。ちょっと暇潰し程度にダンジョンを制覇してこいよ』って笑いながら言われてさ。あの時は嬉しかったな」
「それは全然わかりませんね」
「要するに祈も同じなんだよ。というか俺の血を引いている以上、絶対諦めないと思うぞ?」
「……でしょうね」
「…………月」
「はい?」
「俺からも頼む。どうかあいつを笑顔で送り届けてやってくれ」
「……」
それから五分ほど沈黙が続いた。
「月? もう寝たのか?」
あまりにも返答が遅いため瑠璃がそう問いかけると、月は勢いよく寝返りをうち、彼に抱きついた。
「ちょ……お前」
そのまま瑠璃の上に乗り、強引に唇を奪う。
「…………」
吸いついたり、舌を入れたり。
「お、おい。月?」
「……はぁ……はぁ」
その時、瑠璃の顔に涙が落ちてきた。
暗闇のなかで薄っすらと月の泣き顔が見える。
ぐちゃぐちゃだった。
「月……」
彼女は唇を離して、
「いや……です」
「えっ?」
「私、祈を……手放したくありません!」
月の涙が目に入り、瑠璃は思わず片目を瞑った。
「……」
「あの子がいない人生なんて考えられないんです」
「……」
「けど」
「……」
「それがあの子の願いだというなら、頑張って我慢します」
「月……」
月は彼の胸に顔を埋め、小さな声で泣き始めた。
そんな彼女の姿を見て瑠璃も胸に込み上げるものを感じ、少しだけ涙を流す。
13年もの間、二人で本当に大切に育ててきた。
赤ちゃんの頃が一番大変だった。
どうやっても泣き止まない祈を抱っこしながら、月が泣いていたこともあった。
異空間に家があるため、夜泣きで近所から苦情を入れられることがなく、また、近くに瑠璃の両親が住んでいるおかげでどうにもならない時にすぐ頼ることができたのは幸いだっただろう。
小学校に入ると、祈はよく本を読むようになった。
昔から瑠璃と月が話すダンジョンでの冒険譚を聞くのが大好きだったこともあり、読む本の内容は冒険ものばかりだ。
更に友人関係も、一人の男子とだけは上手くやれていたようで、よく晩御飯の時に学校での出来事について話していた。
常に楽しそうにしていたのだが、何かが物足りないと祈が感じていたことに、瑠璃は薄々気づいていた。
それを本人が口に出したのは今日のことだ。
「なぁ月。明日は楽しい一日にしような?」
彼女の頭を撫でながら、突然瑠璃がそんなことを言った。
「……」
「祈にとっても俺たちにとっても、最高の思い出になるように、ずっと笑顔でさ……」
「……」
「だから今のうちにたくさん泣いておこうぜ。……そしたら明日は、涙を流したくても水分が足りなくて出てこないだろ?」
「……ふふっ。馬鹿じゃないですか?」
「なんだと!?」
「いくら前日に流しても、嬉しかったり悲しかったりしたら、涙は出ます」
「そのくらいわかっている」
「でも、そうですね。明日は存分に楽しみましょう」
「おう」
「いろんな乗り物に乗って、おいしいものを食べて、とにかく遊び尽くしたいです」
「よし、アヒルの帽子を被って夜のパレードに乱入してやるから、よく見ていろよ?」
「あ、もしそれをやったら、そのまま置いて帰りますから」
「いや、冗談だって」
その後瑠璃と月は、寄り添いあって眠りについた。




