女王
「ここ、サンティエの街を含めて、世界中が大混乱になったあの日。私達は大きな傷を負いました。身体にも、心にも」
さっきまで一緒に笑っていた妖精が急に暴れはじめ、自分達に牙を剥いて来る。あれは恐ろしい出来事だった。多くの人に肉体的にも精神的にも深い傷を残したのは言うまでもない。
当たり前にいた友人が、隣の家に住んでいるごく普通の人が、時たますれ違う人が全員、ナイフを持って襲い掛かって来る。
人間界で例えるならそういう状況だ。トラウマ級の出来事であるのは確定事項とまで言っても良いだろう。
「あの日、私達の良き隣人であり、友であり、仲間であった妖精達が牙を剥き、私たちを無差別に襲ったあの事件は私の心にも深く深く突き刺さり、未だ癒えない傷となっています。あの時ほど深い悲しみと喪失感を覚えたのは父と母を喪った時と同じか、それ以上だったかもしれません」
両親をそれぞれ喪ったと知った時の悲壮感ももうダメだと思うほどに強いものだったけど、パッシオが私を襲ったあの時、そしてその後私の下を離れた時。
あの時の喪失感は両親の時以上だったかも知れない。まるで、半身を失ったかのような気分だったのは記憶に新しい。
癒え始めていた両親を亡くした喪失感と、ついこの間の出来事を比べているのがそもそもの間違いなのかも知れないけど、私にはそのくらいの精神的ダメージを負ったと感じている。
「皆さまもそうだと思います。当たり前にそこにあった日常を破壊される程、恐ろしく辛いものはありません」
戦地医療に携わっていた時もそういう光景は目にして来た。国同士が突然始めた戦争や紛争はその立場にいる人からすれば絶対に譲れない聖戦であるかも知れないが、たいていの場合、民間人にとっては突然降りかかって来た災厄でしかない。
自分達の関係の無いところで突然始まった争いに、何故か自分達が大きな被害を被っている。
私達はそこで生きているだけなのに、相手から勝手に標的にされ、報復の対象とされる。
戦争に巻き込まれる民間人とは大体そういう状況だ。そしてその状況は憎しみを呼び、様々な形で理不尽には理不尽をぶつけてやろうと言う言論へと変わっていく。
そうなったら、もう取り返しのつかない状況だ。理由の無い闘争が始まったらどちらかが滅ぶまで終わらない。
ショルシエは意図的にそういう状況が作りたいのだろう。そうやって意味のない同士討ち。自分が作った不幸の盤面を見て嘲笑うのが趣味の最低なヤツなのは今に始まったことではないとは言え、本当に虫唾が走る。
「妖精族を一方的に操り、本人の意思に関係なく暴走させたのは『災厄の魔女』ショルシエです。かつて、このミルディース王国を滅ぼした元凶でもある存在は、私が生まれ育った場所でも災厄を振り撒いていた因縁の相手です」
3年前。結果として分身体ではあったものの、『ノーブル』と手を組み、S級魔獣である『大海巨鯨 リヴァイアタン』を復活させ、世界を蹂躙しようと企んでいたのは未だ記憶に新しい。
私とショルシエには様々な因縁があると言って良いだろう。私の生まれから、今この時まで敵として居続ける存在を滅するのは、私の仕事とも言っていい。
妖精界としても、人間界としても、これ以上、ショルシエの好き勝手にさせてはいけない。私達が止める。
「今度は世界中を相手にその毒牙を剝こうとしています。妖精を一方的操れるんだぞという意思表示でもあった先日の事件は、魔女からの宣戦布告でもあります」
いつでもお前たちなんてどうとでも出来るぞ? お前らはどうする? つまるところやれるもんならやってみろ雑魚共(笑)。
そういう意思表示だ。私達のことなんてどうとでも出来る。羽虫が精々頑張れよ? ショルシエからすればそういうものなのだ。
嘲笑でもあり挑発でもあり、現実と選択を突き付けて私達の行動を縛る。だったら、やってやろうじゃないか。こっちだって時間をかけて準備して来た。
「もう、我慢なりません。母が愛したこの地を、私を受け入れてくれたこの国を、住人の皆様を、仲間の妖精達をバカにされて黙ってなんていられない。私達はショルシエを倒すために本格的な戦いを始めます」
民衆から、大きな拍手が上がる。皆、同じ気持ちだ。妖精族という仲間を好き勝手にされて、世界を滅茶苦茶にされて、黙ってなんていられるものか。敵は明確。
「そして、皆様と共に戦い!! 勝ち!! 共に発展していくために、私はひとつの決断をしました」
ならば、それを指揮する指導者は絶対に必要だ。
「私は皆様を守るため!! 私は王として先陣に立ち!!『災厄の魔女』を討ち取ります!!」
静かな静寂が一瞬だけ訪れたあと、城下の人々からは物凄い歓声が上がった。待ち侘びていた、そういう感情が一気に膨れ上がって、大歓声が私の耳に届いて来る。
「ここに!! ミルディース王国の復興を宣言します!! 皆さん!! 共に戦いましょう!!」
両手を広げ、一段と声を張り上げて、私は女王としてミルディース王国の復活を宣言し、ビリビリと肌で感じる大歓声の中で大仕事のひとつが終わったことに人知れずホッとしているのだった。




