大海の獣
ビビるな。テレネッツァの言ってることを一言で表すとそういうことだった。
『獣の力』と『WILD OUT』はほぼ同質の力。似てるとは内心思わないわけじゃ無かったが、まさかほぼ同じようなモノだとは思っていなかった。
違いがあるとするなら、そこに悪意があるか無いかだろ。ウチの魔法に悪意は無い。というか魔法に悪意もクソも無い。ただの現象だからな。
作った魔法の設計図に魔力を流し込んで発動するのが魔法。その使い方の善悪はさておき、魔法そのものに善悪は基本無いだろ。
ましてや魔法少女の魔法なんて人を守るために生まれるもんだからな。善悪で言うなら善に寄ってる方だろ。
対してショルシエの言う『獣の力』ってのは最初からショルシエの悪意によって作られてる。
生き物が生きていくために絶対に必要な本能。食欲性欲睡眠欲の三大欲求は当たり前に、生き残って子孫を残すための闘争心。地位を求める向上心。金銭欲。独占欲。縄張り意識。
あげればキリは無いだろ。生き物ってのは欲で生きてる。それは生きていくって言うことの基本が競争と争いだからだ。
競争も喧嘩や戦争も、規模ややり方が違うだけで根っこは一緒。
自分が生き残るため。
生き物の本能ってのは最終的にここに行きつく。このためには何らかの方法で争いや競争に勝ち抜かなきゃいけない。
『獣の力』ってのはこの生き残るための本能の中で攻撃性が高いような部分だけを限界まで濃縮したようなもの、らしい。
他の個体を排除して縄張りや群れを奪ったり、金銭や地位を独占したり。そういう他者を攻撃するのに向いている欲を煮詰めて固めて濃縮したもの。
『WILD OUT』は同じように魔法で攻撃性の本能を刺激した上で強力な身体強化を行う魔法。
やってることはそっくりどころかほぼ同じだと言って良いが、自分からやるのと他人に無理矢理やらせるんじゃ色々違うし、純粋な悪意のもとで作られた『獣の力』と同じって言われると思うところがあるってのは仕方がねぇところはあるだろ。
敵の親玉と同じ原理の魔法を使う。ただでさえ、この魔法を使って暴走するのが嫌で散々封印して来たんだ。
挙句の果てにそんな話じゃもう二度と使いたくも無くなるってのが本音ってもんだろ。
「オオオオオオォォォォォォッ!!」
だが、今のウチは獣のみてぇな声を上げながら『五百重波の海斧』の鎖を持って二つの巨斧を振り回しながらテレネッツァに跳び込んでいく。
鎖を起点に巨斧を回転させて進む度に、水流が生まれて刃先と一緒に花畑の地面を深く抉る。
あとで真白達にどやされそうだなと思いながら、『五百重波の海斧』をテレネッツァ目掛けて叩きつける。
巨斧とそれに追従する大量の水の塊。単純な質量だけでも自動車の一台くらいなら軽くぺしゃんこにする程度の力はあるそれに遠心力と魔法的な威力も乗っている。
威力の規模的に例えるなら、二階建ての一軒家を一撃で吹き飛ばす威力。
数字にしたらどんくらいのもんになるんだろうな。そういうのにはてんで疎いから全くわからねぇが、単純な物理攻撃でこんだけの威力を出せる魔法少女はごく一部って言っていい。
妖精でも一部だろうよ。魔法だったらもうちょっといるだろうけどな。ポイントは一撃でこの威力を出せるか、ってことだ。
数を打てば、物理攻撃でも魔法攻撃でも一軒家くらいなら吹き飛ばせる。一撃で家一軒を吹き飛ばせる威力を個人が保有してる脅威ってのは案外素人に説明してもわかんねぇんだよな。
規模感のデカい派手な魔法なんていくらでもあるからな。シャイニールビーとかアメティアがいい例だろ。
アイツらの攻撃は一撃に見せた数段構え、あるいは圧倒的着弾数による飽和攻撃だからな。剣ひと振りで幾つもの効果が見込める魔法を操ったり、巨大な魔法を操ったりするのはそれはそれで当然レベルが高いが、厳密には一撃では無いって言っておく。
いつものメンツで、一撃の攻撃力が最強なのは、わりぃけどウチだぜ。
「がぁぁっ!!」
テレネッツァも吠えながら振り下ろされる巨斧に対して魔法をぶつけて威力を少しでも殺す。そうでもしないと避けたところで余波で体勢を崩されるからだ。
防御はさせない。したらテレネッツァは真っ二つになるのはアイツがよく分かってる。
避けられた一撃が花畑の柔らかい地面を吹き飛ばして追従した水流がそれらを濁流にして押し流す。
それをまた『五百重波の海斧』に纏わせて、更に攻撃の質量を上げていく。
水と土砂とが混じった、津波を背負って戦うようなスタイルが『魔法具解放』状態でのウチの戦い方の結論だ。




