巌のようにあつく、石のようにかたく
立ち直れたかと言われれば、わからない。そもそも一瞬で区切りをつけるような事でもないと思う。
ゆっくりと時間をかけて飲み込んで、消化していくのがきっと正しい。
俺は今あるこの辛さや悲しみを胸に抱いたまま俺が為すべきことをすれば良い。それがなんとなくわかっただけでも収穫だろう。
「それにしても羨ましいわー」
「羨ましい?」
ここまでの話で羨ましがられることなんてあったか? 羨ましがるとかそういう話は全然なかっただろ。
どっちかと言うと多分同情とかそういう感じの話じゃないのか。
「いやー、率直にさ。親代わりがいっぱいいるのは羨ましいわ」
「十三さんがいるだろ」
「大人になってから父親代わりです、って言われてもハイそうですか。ってはならないわよ。書類の上では親子でも、大人になってからだと親っていうよりは身元保証人だからね」
愛菜も親を知らない孤児だ。違うと言えば、愛菜は普通の人間で俺はそうじゃないってくらいか。
孤児とは言え、愛菜には正しい意味で産みの親がいる。根掘り葉掘り聞いたことが無いから詳しいことは知っていないし、喋る気も無い様子だったから聞く気もないんだが、どうも良い親では無かったようだ。
親元を自分から離れたのか、何らかの事件か何かがあったのかも知らないがとにかく愛菜は幼いうちから孤児で、生き抜くために裏社会に身を投じていた。
そこで得た諜報技術を武器に裏社会を渡り歩いてきた愛菜にとって俺の環境は羨ましい、ということだろうか?
「言い出したらキリないだろ」
「そうよ、言い出したらキリが無いから思うだけ。妬むなんてことしないわ。今の生活は気に入ってるしね」
羨望は時に妬みに変わる。他人の境遇や才能に憧れ過ぎるのは危険だ。
自己と他者は分けて考えなければならない。
というのは簡単だが、そうも上手くいかないというのが人間の心理、なのだろう。
愛菜がそんなことをするとは思わないが、人間、いつ何処で豹変するかはわからない。
そこを是正するのが成功体験というヤツだと、俺は考えている。
成功体験をしっかりと重ねれば重ねるほど、人は他人の成功や才能を羨み、妬む必要が無くなってくる。
自分は自分で成功者だからだ。心身共に余裕がある。
まぁ、成功体験を積むにはそれ以上の挑戦と失敗を経験することになるわけだが、そんなもの例を挙げたらキリがない。
基本的に、順位を付けなくて良いことには順位を付ける必要はない。
他人との良し悪しを順序付けたところで良いことなんて何ひとつ無い。
「愛菜くんの諜報技術には私も妻も助けてもらっているよ。今さらいなくなられては、困るね」
「ありがとうございます。報酬の分はしっかり働かせてもらいますよ」
「現金なヤツめ」
ま、この通り、愛菜も含めて俺らの中でそんな拗らせ方するようなヤツはいないだろ。
拗らせそうになったヤツもいたんだろうが、全員自立してんだろうしな。
「でもそうだね、親代わりが多いというのは魅力的かもね。それを何と表現すると言われたら、確かに羨ましいが適切だ」
「そういうもんなのか?」
「そりゃ、だって親は普通2人しかいないのよ? アンタは何人いるのよ。母親2人に父親3人、他の人の2.5倍の親代わりがいるなんて、見る人から見たら贅沢じゃない?」
「そう、か?」
確かに俺に明確な親がいるのかはさて置き、俺の素になった両親と、俺の保護者の両親、そして妖精界で面倒を見てくれたガンテツの爺さんを親代わりとするなら、5人いる。
「親から子に知識や技能は継承されるものだからね。真広それが2.5倍だと考えたら確かに贅沢すぎるかもね」
「別に望んだわけじゃないんだがな」
そんな単純な話でも無いだろ。頭割りで人の価値が測れるわけでもない。
「きっと、神様が真広に必要なものだからって沢山くれたんだよ」
「神様、ねぇ」
そんなものを信用するつもりはないが、くれるというのなら貰っておこう。
人の愛ってヤツをな。




