地獄から帰って来た者
「悪い癖じゃのう。すぐに思考に気を取られる」
左の太ももから血が滴る。致命傷ではないが、長引けば失血の可能性は十分にあるだろう。
天狗ジジイの言う通り、悪癖だ。変化に気を取られ過ぎた。この爺はそういう隙を逃さない。手加減はしているだろうが、容赦はしてくれない。
避けてなければ、私の左足は今ごろ斬り飛ばされていた。そうなればそれでこの戦いはお終いだ。そういうことのこのジジイは何の躊躇いもない。
あくまでジジイにとってはどっちに転んでも旨みのあることだろうからな。
自分を超えられるのならそれはそれで満足。そうじゃなければもう一度肉体を得るだけだ。
「並みの敵ならそれでも良いがの。これからお主が相手にするのはそういう敵じゃなかろうて」
「耳が痛いな。肝に銘じておく」
「頭で考えるのは後で良い。お主はそこまで器用でもないし、理屈は後でついて来る。良いか、己が培ってきた感性と自らの本能を信じるんじゃ。それが結果を出してくれる」
理屈はわかっているんだがな。どうにもシャイニールビーやアズール、クルボレレのようにはいかない。
私達の中でもあの三人は特にその傾向が強い。理論なんて無い、自分の直観と戦闘センスだけで超のつくレベルの近接戦闘技術を見せつけていく。
その持続力も相当だ。私のように一々思考に集中力を割かれることはほぼ無い。確かにそれは獲物を仕留めるまで手を休めることは無い野生の猛獣たちのようでもある。
貪欲さが無いとも言えるのか。……いやいや、こうやって考えるのが良くないんだ。もう一度、集中しろ、それ自体は出来ているんだ。
ようは持続力の話だ。そこさえ乗り切れれば、何とでもなる!!
出来るだけ、何も考えずに戦いに没頭する。戦って戦って、戦い抜いた先で立ってさえいればいいんだ。勝ち方に拘るな。美学なんてものは命を賭けた戦いで何の役にも立たない。
風に乗って空中を滑るように飛ぶ。視界が横に吹っ飛んで行くのを見ながら一薙ぎ。相変わらず火花を散らしながらもこちらの攻撃は防御される。
こちらの攻撃を防いだ天狗ジジイは今度はその場にとどまらずにこっちと同じように素早く滑空しながらこっちに迫って来た。
逃げる私と追いかける天狗ジジイという形になり、先ほどまでの打ち合いの戦いとは打って変わった空中での機動戦となっていく。
空中での機動力を主とした戦いはまさに縦横無尽という言葉がよく似合うだろう。
上下左右の感覚がおかしくなりそうなくらい。身体の姿勢がくるくると変わる。戦闘機での航空戦や、アクロバット飛行をするパイロットは時折その感覚がおかしくなってしまい、悲劇的な事故を起こしてしまうこともあるそうだが、自らの身体で飛ぶ私達にも同じことが起こってしまいそうだと感じるくらいにはギリギリな飛び方をしている。
猛スピードと急な方向転換、急ブレーキを多用して振り切ろうとする私。それを同じく追う天狗ジジイとの読みあいだ。
それこそ、考えている暇なんて無い。ただただ無心に天狗ジジイとの読みあいに集中していく。
「くかかかか!! 楽しかろう、楽しかろう!! 極限までに己を高めていくというのは楽しいものよなぁ!!」
「どこがだ!!」
極限とも言える状況が何分も続くような状況を天狗ジジイは楽しいと笑いながら追いかけまわして来る。
そりゃ追う側は楽しいだろうが、逃げる側は必至だ。さっさと攻守交替しろと文句を言いたい。
「そうかぁ? その割にはお主、笑っとるじゃないか」
そう言われて気が付く。確かに、私は笑っていた。自分の感性を研ぎ澄ませ、一撃を狙うその一瞬を探り、天狗ジジイとの読みあいと自分自身の限界への挑戦。
それを私は気が付かない間に心底楽しんでいた。
「『固有魔法』」
それを自覚した時。自分が戦いを楽しみ、その狂気とも言える一面に触れた時。自分と言う存在の本質をほんの少しだけ理解出来たような気がして。
「嵐刃怒涛、一瞬に狂い咲け――。『月下美人・乱れ咲』」
意識しないうちに、天狗ジジイを両断していた。




