獣道
「失礼、お怪我はないですか?」
「す、すみません……?!」
ぶつかったスピードの割には柔らかい感触に弾き返され、地面に倒れるとぶつかられた当人は全く私がぶつかったことの衝撃を感じていない様子で優しく手を伸ばして来ました。
その人物の姿を見て、私は驚きました。何故、この人がこんなところにいるのか。
「おや、貴女は確か、レジスタンスの……」
「サフィーリアと申します。テニトーレ様」
こんなに奥まった路地裏にもう一人に要警戒人物であるソース・テニトーレ氏がいるなんて、誰が思っただろうか。
彼はこの時間帯は人通りの多い場所で商売を営んでいるハズ。何故このような場所にいるのか。ドゥーシマン氏と同じように監視は何をしているのか。
様々な疑念が浮かびますが、それを安易にぶつけるわけにもいきません。本人もケロッとし、丁寧な対応をしているので私もそれに倣って対応します。
追っていたドゥーシマンの後ろ姿は、既に見えません。残念ながらこれ以上追うのは難しいでしょう。
「不躾で失礼いたしますが、テニトーレ様はどうしてこのような場所に?」
「いやはや、お恥ずかしながら道に迷ってしまいまして……。初めての場所でも方向感覚はしっかりしているので、あまり道に迷う事は普段無いのですが、過信してしまいましたなぁ」
レジスタンスとしての職が既に彼にバレているのなら、このくらいの質問は許容範囲内でしょう。
路地裏なんて怪しい場所に見合わない人がいるのですから、誰だって聞く質問のハズです。
そうして聞いてみるとテニトーレ氏は恥ずかしそうに道に迷ったのだと答え、その恥ずかしさを誤魔化すように笑っています。
「サフィーリア殿は職務中ですか?」
「そう言われればそうですが、私は移動中だっただけなので。地元ですから裏道を知っているんです」
「そうでしたか。……もしよろしければ人通りのあるところまでご案内いただいても?」
「勿論構いませんよ」
しれっと嘘をついて誤魔化すと、迷子になってしまっているというテニトーレ氏に道案内を頼まれる。
当然、こんな奥まった裏路地の道の事情なんて知る由もありませんが、私は通って来た道をそのまま帰ることが出来ますから全く問題ありません。
むしろ、何故テニトーレ氏がここにいるのかを少しでも聞き出した方が良いでしょう。少なくとも本来ここにいるような人ではありません。
何を思ってここにやって来たのか、職務質問として聞き出すことも必要でしょう。
「それにしても、何故ここに?普段は迷子にならないとはおっしゃってましたが、それでも土地勘のない場所でむやみやたらに動き回るのは危険ですよ?」
「おっしゃる通りで。次の売り場に向かうつもりだったのですが、予定の時間より遅れそうになってしまいまして……」
「それでイチかバチかで裏路地に?それで道に迷っていては完全に無駄足では?」
「いやー、耳が痛いです。もう完全に遅刻ですからね。雇っている方々からは怒られてしまいますな」
仮に本当だとしたら、呆れた話だ。まぁ、言うほど深刻でも決してないのでしょうけど、上の失敗は下の不信を招きます。特にその内容がどうしようもない、下らないことになればなるほど、部下からの信頼度は下がるというもの。
帝国からの腕利きの商人だという話だったけど、本当にそうなのか怪しくなってきましたね。
「ではではサフィーリアさん、道案内をお願いしてもよろしいですかな?なんだかここはあまり良い予感のしない場所でして」
「悪い感じがすると?」
「はい、長年の商人の勘を頼りにしますとそんな雰囲気が。人の悪意に触れることも多い職業なので、そういったモノには鼻が利くのですよ」
その割には道に迷ったと言っているじゃないですか、という言葉は飲み込んでおくことにした。
私もじめじめとして薄暗い路地裏にはあまりいたくありませんから。
悪い予感がするというのなら、それに倣っておいて損は無いでしょう。テニトーレ氏のような獣人族の方々は実際に鼻の利く方が多いですからね。
「こっちです。ついて来てください」
この時、先導を始めた私はテニトーレ氏が私が進もうとしていた路地の奥をじっと見ていたことに特に疑問も持たずに帰り道を進み始めた。
「……サフィーリアさん。あまり暗いところを歩いてはいけませんよ」
「それはテニトーレ様の方ではないのですか?」
そしてこの忠告の意味をちゃんと理解していれば、私は道を踏み外すことはなかったのだろう。
深く昏い、獣の巣へと続く道へと足を踏み入れたのは、きっとこの時だった。




