第56話 ユール、風邪で倒れる
「風よ、雪を巻き上げろ!」
魔法を駆使して、雪かきをするユール。
おかげで町に積もった雪は、例年よりずっと早く片付けることができた。
「ありがとう、ユール君!」
「助かったよ!」
「魔法ってのは便利だねえ……」
「いえいえ、これが魔法相談役としての使命ですから!」
しかし、魔法で雪を片付けるのはかなりの魔力を消費する。見た目以上に重労働であった。汗をかき、息も上がっている。
とはいえ町のためになり、なおかつ自身の修行にもなるので、ユールとしては全く苦ではなかった。
家の近くまで戻ると、エミリーとガイエンがいた。
エミリーはお手製の保温クリームや乾燥に効くクリームを安価で売って、喜ばれていたとのこと。
ガイエンもスコップで雪かきを張り切っていた。
「お帰り、ユール!」
「いい汗をかいた……。雪かきもいい運動になるな、ユール!」
ユールは二人に笑顔で応じた。
夕食を済ませ、少しして、異変に最初に気づいたのはエミリーだった。
「ユール?」
ユールの顔が妙に火照っている。
「ちょっと……どうしたの?」
「いや、大丈夫だよ、エミリーさん」
明らかに強がっている。エミリーが右手を伸ばす。
「ほら、ちょっとおでこ触らせて」
「だ、大丈夫だって……」
右手がユールの額に触れた。
「すごい熱じゃない!」
エミリーの声に、ガイエンも驚く。
「なんだと!?」
二人に心配をかけまいと、ユールは気丈に振舞おうとする。
「大丈夫! ほら、この通り!」
元気よく立ち上がろうとするが、その途端、ぐらりと体のバランスが崩れる。
「あれ……? 体が……?」
「きゃあっ!」
「いかん!」
すぐにガイエンが駆け寄り、ユールの体を支える。
「エミリー、ユールの寝床を用意してくれ」
「うん、分かった!」
「す、すみません……」
頼りになる二人のおかげで気が緩んだためか、ユールの意識がみるみる混濁していった。
ベッドに寝かせられるユール。
「ユールはどうだ!?」
「落ち着いて、お父様!」
「そうは言うがな。こんなことは初めてなものだから……」
エミリーよりもガイエンの方がおろおろしている。
「風邪だとは思うんだけど……」
「風邪!? 吾輩が雪合戦などやらせたのがまずかったか!?」
「ただ、普通の風邪とはちょっと違うというか……」
「異常な風邪ということか!? ユゥゥゥゥゥル!」
「あーもう、落ち着いて! ユールがゆっくり休めないでしょ!」
「す、すまん……」
エミリーがユールの額を触る。
「熱は収まってきてる……けど、風邪よりももっと厄介なものがユールに宿ってる。そんな気がするわ……」
エミリーはぼそりとつぶやいた。
***
ユールは暗闇の中にいた。
「ここは……?」
周囲どこを見回しても、闇しかない。
「僕は……死んだのか?」
ユールは手足を動かす。
「いや、そんなはずはない。これは……夢だろうか」
「ほう……こんな状況でも動揺がほとんどない。さすがだねえ」
どこからともなく声が響く。
まもなく、ユールの前に一人の人物が姿を現す。
紫色の布切れをまとい、同じように紫色の長い髪を持つ。若くも見えるし、年老いているように見える。男にも女にも見える。なんともつかみどころがない存在だった。
「あなたは?」
ユールが問う。
「私は、君のことを昏睡させている存在といっていいかな」
謎だらけの存在はけらけら笑う。
「そうか。だったらすぐに僕を戻してくれ」
「おおう。せっかちだねえ。私と話す暇もないっていうのかい」
「エミリーさんとお父さんが心配する。迷惑もかけたくない。だから早く戻して欲しい」
「私が何者か興味はないのかい?」
「ない。さあ、早く戻してくれ」
迷わず即答され、謎の存在はさすがに面食らったようだ。
「ハハ、これは嫌われたものだ。だが、私が“魔法の神”だといったらどうするね?」
「……!」
今度はユールが面食らってしまった。
「信じてくれたかい?」
「もしかすると、“イタズラ”というやつですか?」
「イタズラ?」
「古代竜様が教えてくれました。魔法の神様は時に、魔法使いに“イタズラ”することがあると」
「あいつも余計なことを……。ま、その通り。私は優れた魔法使いにはちょっかいをかけたくなるんだ。光栄に思うといいよ」
高く評価されているようだが、ユールは警戒を崩さない。
「そう睨まないでおくれよ。これでも結構ナイーブなんだ」
「ナイーブなら、早いところ僕をこの状態から解放してくれるとありがたいのですが」
「もちろん、そうさせてもらうよ。君の答え次第では、君はすぐに目を覚ますことができるだろう。さて本題に入ろう。ユール・スコール、私からの試練を受けてみる気はないかい?」
「試練?」
「ああ、ただし、クリアしたとしてもメリットは小さく、危険は大きい。そんな試練だ。なにしろ、失敗すれば本当に死ぬこともありえる。さあ、どうするね?」
魔法の神はねちっこい口調で問う。
「受けます」
またしても即答するユール。
「おお、なんの迷いもなく受けるのかい」
「せっかく神様が与えてくれる試練です。それに、ここで逃げてしまうとエミリーさんやお父さん、みんなに顔向けできない気がしたので」
「大人しい顔つきで、なかなかの闘志を持っているようだね、君は」
魔法の神はユールをこう評した。
「それで、どんな試練なんです?」
「“君が今最も望んでいること”に関する試練だ。よかったら、当ててみるといい」
試練が始まるのかと思いきや、クイズを出されてしまう。回りくどい神様だ、とユールは思う。
「僕が望んでること……エミリーさんともっと仲良くなるとか?」
「違うね。君とエミリーはすでに十分愛し合っている。それは君も十分承知してるはずだ。今更試練などしてもしょうがない」
ユールは考える。
「じゃあ……もっとすごい魔法使いになりたい、とか」
「それも違う。君の向上心は確かに凄まじいが、私のような存在に力を与えられて喜ぶタイプではないよ。自分のレベルアップは自分の手で行いたい、と思ってるタイプだ」
「それじゃあ、王都に返り咲きたい、とか?」
「それも違う。君はフラットの町に居心地のよさを感じている。王都に返り咲きたいという思いはだいぶ薄れている」
ユールはだんだんと苛立ちを覚えてきた。なにしろ自分の心の奥底を的確に探られているようなものだ。いくら神の仕業とはいえ、気分がいいわけがない。
「だったら答えはなんだというんです?」
「教えてあげよう。君は……エミリーの父ガイエンに認められたいと思っている」
これにユールは思わず反発する。
「そんなわけありません! お父さんは……僕を認めてくれている!」
「その通り。“今”のガイエンにはね」
「どういうことです!?」
ユールは心の動揺を抑え切れない。
「君はガイエンと過ごすうち、彼の持つ剣術や伝説といったものにコンプレックスを覚えてしまっているのさ。そしていつしかこう思うようになった。『もっと若く、ギラギラしてた頃のガイエンにも認めてもらうことはできるのだろうか?』とね」
図星だった。
ユールはガイエンと共に過ごし、決闘まで行い、ある程度認めてもらった自覚はもちろんある。
だが、同時に「認めてもらえたのは自分がエミリーの恋人だからではないか?」「本当に一対一の男として認めてもらえているのか?」という不安も抱えていたのだ。
もしもっと若く、厳しい騎士だったとされる頃のガイエンに出会ったとして、認めてもらえる自信は……なかった。
「だけど、そんなもの今更どうしようもない……」
「ところが私ならそれが可能だ。君と若い頃のガイエンを引き合わせることができる」
「え!?」
「さあ、楽しんでおいで。ただしくれぐれも気をつけることだ。さっきも言ったように私の試練の中では――死んだら本当に死んでしまうからね。それに手を差し伸べるほど私は優しくないよ」
魔法の神からまばゆい光が放たれる。
ユールはたちまち光に包まれ、暗い空間からさらにどこかに飛ばされる感覚を抱いた。
「うわああああああっ……!!!」
***
気づくと、ユールはどこかの町中にいた。
フラットの町ではない。建物の華やかさ、人の多さ、どれもがフラットの町以上である。
「ここは王都だ……!」
ユールも数年間は王都に住んでいたので、すぐに分かった。
ひとまず歩いてみる。
この実在感。魔法や、リンネが使うような幻術によるものではないことはすぐに分かった。本当に王都に来てしまったのだ。
しかし、どこか違う。彼の記憶にある王都とは、ところどころ何かが違うのだ。
あるはずの店がなく、ないはずの店がある。市民のファッションにも違和感がある。全体的に、どことなく古臭いといった印象を受けてしまう。
ユールは近くにいた市民に尋ねてみる。
「すみません。書類を書かなければいけなくて……今何年でしたっけ?」
「今年? 今年は――」
市民は快く答えてくれた。
その答えは、ユールたちがいた時代よりも30年も前だった。
礼を言いつつ、ユールは愕然とした。
僕は過去の王都に来てしまったのか――
どうすればいいのか分からず、ユールは過去の王都と思われる町をしばらく歩き回った。
すると、前から歩いてきた人物に驚愕する。
「あ、あれは……!?」
長身で腰に剣を差した、精悍な若者が歩いてきた。
ユールは一目で分かった。あれは――若き日のガイエンだと。
「ん? なんだ貴様は? 吾輩になにか用か?」
ガイエンも自分をじっと見つめてくるユールに不審の念を抱き、声をかけてきた。
30年前のガイエン。ユールは、まさに今の自分と同じ年頃のガイエンと出会ってしまった。




