第42話 ユールとお父さんvs幻術士
エミリーがリンネに怒鳴りつける。
「あなた、どんな幻術をかけたのよ!」
「彼らにかい? ずばり、“彼らが最も愛する者”の幻を見せているんだ」
「なんで、あなたにそんなことが分かるの!? 誰を愛してるかなんて……」
「もちろんボクは君らのことなんか知らないさ。だけど術にかかったら彼らの脳が勝手に作り出してくれるのさ」
「そんなことまでできるの……!?」
「そろそろ愛する者の名前でも口に出すんじゃないかな?」
リンネの予告通り、ユールがゆっくり口を開く。
「エミリー……さん……」
「ユール!」
ガイエンも同様だった。
「エマ……」
「お父様まで!」
それぞれ恋人と亡き妻の名前を出している。
「ユールったら私の名前を……。お父様もお母様を今でも愛してるのね……って、喜んでる場合じゃないわね! 二人とも目を覚ましてー!」
リンネが邪悪に笑う。
「無駄だよ、君の声は届かない。完全にボクの術中だ。さあ、二人がどんな醜態を演じるか楽しみだ!」
***
ユールは幻覚のエミリーと会っていた。
「エミリーさん……?」
エミリーは顔を赤らめている。
「ユール……」
「な、なに?」
「私、あなたのこと大好きよ」
「エミリーさん……!?」
エミリーはトロンとした目つきで、ユールに迫ってくる。
「ねえ、ユール……愛してる」
「……」
「さ、私に体を委ねて……」
エミリーが服を脱ぎ始める。
しかし、ユールは毅然とした態度で言った。
「お前はエミリーさんじゃないな」
「は?」
「誰が化けてるのかは知らないけど、エミリーさんはお前みたいな女じゃない」
「何を言ってるのよ。ほら、私はエミリーよ! 信じて……!」
ユールはゆっくり首を振る。
「信じない。お前はエミリーさんじゃない!」
「何を言うのよぉ! ほら見てぇ!」
さらに服を脱ごうとするので、ついにユールが怒号を発する。
「やめろ!!!」
***
ガイエンは亡き妻エマと出会っていた。
エマはエミリーと同じく金髪で、儚い美しさを持つ貴婦人であった。エミリーにもその面影は引き継がれている。
「あなた……」
「エマ……お前なのか……?」
「そうよ……」
「しかし、死んだはずでは……」
エマはにっこり笑う。
「私を憐れんだ神様が特別だって、生き返らせてくれたの」
「そうなのか……」
「さあ、久しぶりに私と楽しみましょう」
迫るエマに、ガイエンも頬を赤くする。
「そ、そうだな。久しぶりに……」
しかし――
「ん?」
「どうしたの、あなた」
「お前はエマに似ているが、どこか違う気がする」
「え? そんなことないわ、私はエマよ」
エマはこう答えるが、ガイエンの疑念はますます深まっていく。
「エマの美しさはこんなものではなかった。もっと華やかで、もっと色っぽく、もっと上品で、もっとなまめかしく……」
「何を言うの、あなた!」
「とにかく、お前は“エマの美しさを再現しきれていない存在”という気がするのだ。さては、お前は吾輩の記憶から生み出されたエマか?」
ギクリとするエマ。
「図星か。吾輩の記憶力ぐらいでエマの美しさを再現することなどできんからな。どういうカラクリか知らんが、エマの物真似をやめぬと……」
ガイエンが剣を構える。
「ひっ!」
「今すぐその首を叩き斬るぞ!!!」
***
ユールとガイエンは同時に幻術を打ち破った。
「な、なんだって……!?」驚くリンネ。
「ユール! お父様!」安堵するエミリー。
ユールは叫ぶ。
「エミリーさんはあんなにふしだらじゃない!」
「どんなことしてたの!? 幻覚の私!」
ガイエンも同様に叫ぶ。
「エマはもっと美人だ!」
「お父様もすごい破り方をしてる!」
攻略不可能なはずの術を破られ、リンネも焦り出す。
「くそっ、まさか自力で幻術を破るなんて! だったらもっと違う幻術を……!」
再び先ほどのように手を動かし、術をかけようとするが――
「無駄だよ。僕にはもう通じない」
ユールは冷たく言い放つ。
「え……!?」
「君の幻術は確かに恐ろしい技だ。だけど、魔力を使うという点では魔法と同じ。癖も強いから、一度喰らえば、無効化するのはそう難しいことじゃない」
幻術は強力な“初見殺し”であったが、それゆえ一度体験すると破るのもたやすいようだ。
「じゃあ、そっちのおじさんは……!」
「惑わされないよう、気合を保っておけばはねのけられるわ!」
ユールは技術で、ガイエンは気合で、幻術をはねのけた。
こうなると、もはやリンネは無力な人間に過ぎない。
「エミリーさんを侮辱するような幻を見せて……君のことは許しておけない!」
「うむ……懲らしめるだけでは済ませられんな」
愛する者の幻を見せるという悪趣味な攻撃は、男二人の逆鱗に触れてしまい、リンネは腰を抜かす。とはいえ、このぐらいでは二人の怒りは収まらない。
小刻みに震えるリンネを見て、エミリーが止めに入る。
「待って、二人とも!」
「エミリーさん?」
「どうした、エミリー」
「えぇっと……ちょっと庇わせてもらいたいの」
「どうして?」とユール。
「そやつのしたことは、許されることではないぞ」
「うん、分かってる……。だけど、やっぱり同じ女の子だから、庇ってあげたくなっちゃって……」
「へ?」
「何を言っておる。そいつは男だろう!」
「ううん……この子、女の子よ。そうでしょ?」
エミリーが確認すると、リンネは涙ぐみながらうなずいた。
「えええええ!?」
「なにいいいいい!?」
ユールとガイエンは驚いてしまう。
「そ、そんな……男だとばかり……」
「そうだ! だって、自分のことを“ボク”と言ってるではないか!」
「自分をボクっていう女の子だっているわよ! お父様だって騎士団長なのに自分を“吾輩”って言うじゃない!」
「確かに!」
勢いで納得してしまうガイエン。
「エミリーさん、よく分かったね」
「そりゃ分かるわよ。やっぱり女同士の波長っていうのかな。細かい仕草とかで分かっちゃった」
リンネはポロポロと涙をこぼしている。
「ご、ごめんなさい……」
ため息をつくガイエン。
「泣くぐらいなら、最初からこんなことをするでないわ。しかし、エミリーに免じて吾輩の剣の露にすることは勘弁してやろう」
「僕も水に流しますよ。えぇとリンネちゃん、でいいかな? こういうことをしたのはこの村が初めて?」
「うん……」
「分かった。だったら村の人に謝って、お金を返そう。僕らも付き添うから」
「うん……」
涙を拭くリンネに、ユールももう怒っていないことを示すために微笑みかける。
エミリーはそれを見て、私はユールのこういうところに惚れたのよね、と感じた。
しかし、時を同じくして村人たちの悲鳴が聞こえてきた。
「うわぁっ!」
「古代竜様だ!」
「こっちに来てる!」
今まさに偽神官を懲らしめたのに、どういうことだろう。
ユールたちはすぐさま悲鳴がした方向に向かう。
そこには――古代竜がいた。
家屋よりも遥かに巨大で、黄土色の鱗に覆われ、禍々しい威圧を放っている。
「なにこれ……幻覚?」立ち尽くすエミリー。
「いや、違う……本物だ!」ユールは断定する。
「なんで本物が!?」
「おそらく怒りを買ってしまったんだ」
「怒り……?」
「古代竜様の名前を悪用した怒りだよ」
ユールの不安が的中してしまった。リンネはすっかり青ざめている。
「ボ、ボクのせいで……?」
古代竜が鋭い牙を生やした口を開く。
「ワシの名を悪用して、小銭稼ぎをしている愚か者よ……出てこい! この村にいるのは分かっている! このワシ自ら罰を下してくれようぞ!」
古代竜は地中で眠りつつも、地上の動向は伝わってきていたのだろう。
そして、リンネの行いに激怒した。
リンネからすればちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったのだろうが、本物の竜の逆鱗に触れてしまった。
下手にリンネを逃がすと、ネイバー村にも迷惑がかかりかねない。
ユールは決断する。
「行こう、リンネちゃん。大丈夫、君のことは僕が守ってみせる」
ユールは古代竜と対峙することにした。




