第38話 ユールの故郷へ
ユールの故郷はフラットの町よりも田舎といってよく、日帰りできるような距離ではない。
少しの間留守にすると、特に縁のある人たちには伝えておかねばならない。
ガイエンの剣の弟子であるゲンマ、ニック、スイナ。
ユールの教え子であるイグニス、ネージュの兄妹。
エミリーが薬学を教えているノナ。
それからよく家に遊びに来るティカ。
この七人にはユールの故郷に行くことを伝えようということになった。
ユールからしばらく町を留守にすると説明する。
ゲンマとニックは笑う。
「楽しんでこいよ! 留守は俺らに任せとけ! しっかり鍛錬してるからさ!」
「そうっす! 楽しんできて下さいっす!」
スイナは心配そうな表情を浮かべる。
「大丈夫だろうか? できれば私も護衛としてついていきたいが……」
「平気よ、ユールとお父様がいるんだから!」
「それもそうだな。いらぬ心配だった、エミリー嬢」
笑顔のエミリーを見て、スイナは引き下がる。
イグニスとネージュは兄妹でニヤニヤ笑っている。
「ご両親に挨拶ってことは……ユールさん、ついにエミリー様と?」
「ゴールインってことですよね?」
「や、やだなぁ。そんな大げさなものじゃないよ」照れるユール。
「その通りだ! まだまだゴールなどさせんぞ! 吾輩、ゴールの位置をどんどん遠ざけてやる!」
「大きい声で変な宣言しないでくれる?」
エミリーは冷めた目で父を見る。
ティカも快活な笑顔を見せる。
「お土産よろしくねー! あと、この町も変な人が住み着くことが多くなったけど、ユール兄ちゃんの故郷からも、変な人を連れてくることになったりして……」
「その変な人ってのはお前だろうが!」
ゲンマに睨まれ、「そうかも……」と自覚するティカ。
ノナは無邪気にはしゃいでいる。
「行ってらっしゃーい!」
「行ってくるね、ノナちゃん。その間、私のお薬の本を読んでてもいいからね」
「うん!」
エミリーはノナの頭を優しく撫でた。
その後、酒場のブレンダにも報告に行くユールたち。
「久しぶりにご両親の元に行くなら、手土産ぐらい必要だろう。これ、持っていきな!」
ブレンダは町の名産である酒を手渡してくれた。
「ありがとうございます、ブレンダさん!」
深く感謝するユール。
「どうだろう、故郷に行く前に一杯ぐらい……」と名産の酒を飲もうとするガイエン。
「ダメに決まってるでしょ!」
エミリーに厳しく咎められた。
そして馬車の手配などの準備を進め、いよいよ出発の日を迎えた。
***
数日後、手配した馬車でユール、エミリー、ガイエンは、いざユールの故郷へと向かう。
ユールの故郷は“パトリ村”といい、フラットの町からは三日ほどの道程となる。
馬車内でエミリーがユールに尋ねる。
「ねえねえ、ユールの故郷ってどんな村だったの?」
「のどかで何もない村だよ」
ユールが照れ臭そうに言う。
するとガイエンが――
「ユールよ、“何もない村”など存在しないぞ」
「え」
「村には人があり、家があり、自然があり、畑があり、歴史というものがある。謙遜したつもりなのかもしれんが、軽々しく“何もない”などと言うものではない」
ガイエンにたしなめられ、ユールは反省する。
「そ、そうですよね。すみません……」
「ちょっと、お父様! ユールはそんなつもりで言ったわけじゃ……」
「実は吾輩にもこんな経験がある」
苦々しい表情をするガイエン。
「騎士団の遠征である村に駐屯した時にな、『何もない村だな』と軽口を叩いてしまったのだ。そうしたら、凄まじい剣幕で村長殿に怒られた。『何もないとは何事だ。ここには家もあるし人もいるし畑もある』と……。吾輩はその通りだと思った。深く反省し、村長殿に謝罪したよ」
騎士団は王国のエリート中のエリートといっていい存在である。そんなガイエンが小さな村の村長に謝罪をする。普通では考えられない事態であった。しかし、若き日のガイエンはそれをやってのけた。
「お父様もやらかしてるんじゃないのよ!」
「ま、まぁな」
「それで? その村長さんは許してくれたの?」
「すぐに和解して酒を酌み交わす仲になったぞ」
「男って単純!」
「何を言う! 単純なのは吾輩だけだ!」
「自分で言わないでよ……」
エミリーとガイエンのやり取りを聞きつつ、ユールはガイエンへの尊敬の気持ちを改めて噛み締めるのだった。
***
雲一つなく秋空が美しい日、ユールたちはパトリ村に到着した。
「やっと着いたぁ~」伸びをするエミリー。
「ここがお前の故郷なのだな」とガイエン。
「はい……!」
ユールの前には懐かしい景色が広がっていた。
道はあまり舗装されておらず、小さな家が点在し、周囲は山と森に囲われている。秋真っ盛りで紅葉が美しい。
ユールはこの村で生まれ、この村で育ち、そして巣立った。
数年ぶりとなる故郷に、ユールの目は潤んでしまう。そんなユールを見てガイエンとエミリーも優しく微笑む。
村の中を歩くと、中年の村民がユールたちを発見する。
「ん? おめえ……おめえ、ユールか!?」
「そうだよ! 僕だよ、ユールだよ!」
これをきっかけに大勢の村民が集まってくる。
「なかなか帰ってこねえで!」
「心配したわよ!」
「魔法使いになれたのかい?」
矢継ぎ早に歓迎を受け、ユールは戸惑いつつも喜ぶ。
村民の一人がエミリーたちに注目する。
「えーと、そちらのお二人は?」
ユールが紹介する。
「騎士団長のガイエンさんとその娘のエミリーさんです」
これには皆が驚く。
「き、騎士団長!?」
「雲の上の人じゃないか!」
「ははーっ!」
全員がひれ伏してしまう。
「やめてくれ。吾輩、そういうのは苦手でな」
「そうそう、お父様はそこまで大した人じゃないんだから!」
「大した人じゃない、は言い過ぎだぞエミリー」
たとえガイエンが偉ぶらなくとも、村民からすれば遥か見上げる人間には変わりない。
皆が一気に緊張してしまう。
「ユール、お前はこの人たちとどういう関係なんだ?」
ユールと同世代の青年が聞く。
「えぇっと……エミリーさんとは恋人」
この言葉で再び村人たちが沸いた。
「お前……やるなぁ!」
「村で一番大人しかったのに!」
「こんな美女と付き合えるなんて……!」
エミリーは美女という言葉に喜び、ガイエンは二人の恋人関係が村公認になってしまったような気がして、少しむすっとしていた。
このままだと収拾がつかなさそうなので、ユールは一度話を打ち切ることにする。
「父さんと母さんは今、家にいるかな?」
「ああ、多分いるぜ」
「よかった。じゃあ行きましょう、お父さん、エミリーさん」
久々に会った村民らと別れ、いよいよユールたちはユールの生家に向かう。
すると、ガイエンの歩みが遅くなる。
「どうしました? お父さん」
「緊張してきた……」
「は?」とエミリー。
ガイエンは青ざめている。本当に緊張しているようだ。
「すまんが、ユールの家には二人だけで行ってくれんか。吾輩はここで待ってる」
「“ここで待ってる”じゃないわよ! お父様も来ないと意味ないでしょ!」
「意味がないということはないだろ。若い二人で楽しんでくるといい」
「なんで急にしおらしくなってるの!」
「まあまあ、エミリーさん」
ユールがなだめる。
「お父さん、一体どうして……」
「ほら、なにしろ“娘の恋人の両親に会いに行く”なんて初めての経験だし……」
「そんなこと言ったら私だって“恋人の両親に会いに行く”のは初めてだし、ユールだって“恋人とその父親を自分の両親に紹介する”のは初めてでしょ!」
ぐうの音も出ないガイエン。
「お父さん、僕からもお願いします。僕も自分の両親にあなたを紹介したいです」
ユールからも言われ、ガイエンは覚悟を決める。
「分かった……男ガイエン、初めての経験に挑もう!」
ガイエンが覚悟を決め、ホッとするユールだった。
***
ユールの生家は、木造の一軒家だった。
質素だが、みすぼらしくもなく、小奇麗なデザインといえる。
「変わってないなぁ……」
ユールがしみじみとつぶやく。
深呼吸してから、ドアをノックする。
「父さん、母さん! 僕だよ、ユールだよ! 帰ってきたよー!」
まもなくドアが開く。
「ユール!?」
「ユール!?」
ユールの父はロニー・スコール。ユールと同じく明るめの茶髪で、穏やかな顔つきをしている。
母はセレッサ・スコール。黒髪を後ろに結わいて、エプロンをつけた優しそうな女性であった。
「よく帰ってきたな、ユール!」
「うん! 心配かけてごめん!」
「本当よ、手紙も寄こさないで……」
「ごめん、色々と忙しくて……」
しばらくユールと両親は再会を喜び合った。
「ところで、そちらのお二人は?」とロニーが尋ねる。
「騎士団長のガイエンさんとその娘のエミリーさん」
これを聞いた両親は、目を見開いてしまう。
エミリーはお辞儀をして、上品に挨拶する。
「エミリー・ルベライトです。初めまして」
普段あまり見せない恋人の貴族令嬢らしい姿に、ユールはドキリとする。
さて、その父親であるガイエンは――
「吾輩はガイエン・ルベライト! 騎士団長、やっとります!!!」
緊張のせいで、恐ろしく甲高い声での挨拶となった。




