第33話 お父さん、薬の力で弱気になる
朝食後、ユールは瞑想をしていた。
あぐらをかき、目を閉じ、両手は膝の上に置き、精神を集中させる。
体内を巡る魔力を意識し、練り上げていく、魔法使いにとっての基礎的な修行である。ある程度魔法を使えるようになるとやらなくなる者も多いのだが、ユールは毎日必ずこなすようにしている。
エミリーはその近くでユールをうっとりと眺める。
「うーん、かっこいい。こういう日々の積み重ねがユールをもっとすごい魔法使いにしていくってことが分かるわ……」
するとそこへガイエンが飛び込んできた。
「ユールよ!」
「なんでしょうか、お父さん?」
ユールの瞑想が中断される。
「先日、町でパズルの本を買ったんだが、どうしても解けないものがあってな。一緒に考えてくれんか?」
「いいですよ!」
ユールは快諾するが、エミリーは不満顔だ。
「ちょっとお父様、今ユールが瞑想してたでしょ!」
「しかし、吾輩もパズルを解いていたし……」
「パズルなら私が付き合ってあげるから!」
「お前だと『お父様ったらこんなのも解けないの?』なんて言ったりするから、ユールの方がいいのだ」
「ったく……!」
「さ、ユールよ、パズルだパズルだ!」
「はい!」
強引にユールを連れていくガイエンを見て、エミリーは不満げな顔を浮かべた。
***
数日後、エミリーはニヤリと微笑んだ。
「できた……!」
エミリーの様子を察したユールとガイエンがやってくる。
「お父様、これ飲んで!」
青い丸薬を差し出され、ガイエンがきょとんとする。
「なんだそれは?」
「“人を弱気にする薬”よ」
「前にもそんな薬を作っておったな……」
「前のとは逆。これを飲めば、強引な人も思慮深くなる効果が期待できるわ」
「どうしてそんなものを?」とユール。
「決まってるでしょ。お父様ったらいつも強引だから、たまにはこういう薬を飲んで、大人しくなった方がいいのよ」
「吾輩のどこが強引だというのだ!? なぁ、ユール!?」
「は、はい!」
「そういうところでしょ! いつも大声出して、ユールが大人しいのをいいことに……!」
「うぐぐ……」
ガイエンも多少自覚はあったようだ。
「いいから、これ飲んで。体に悪影響はないと思うから」
ガイエンも丸薬を受け取らざるをえなくなる。
「よかろう。こんな薬で変わるほど、吾輩の精神は軟弱ではないがな!」
一息に飲み込んだ。
満足そうなエミリー、心配そうなユール。
しばらくすると、ガイエンに異変が起こる。
顔色が青くなり、いつも背筋を伸ばしているのに猫背になり、眉毛もへの字になってしまった。
「お父さん……?」
「ユールよ……」
ガイエンの声は信じられないほど小さかった。
「なんでしょう?」
「ユール……いや、ユール君。いえ、ユールさん……いえ、ユール様!」
わずか数秒の間に呼び方が三回も変わった。ぎょっとするユール。
「吾輩はこれまであなたに申し訳ないことをした……たかが騎士崩れの分際で、あなたに傲慢に振舞い、ああっ、なんということでしょう!」
「騎士崩れって……お父さんは立派な騎士じゃないですか!」
「おおっ、なんというもったいないお言葉……」
ユールはエミリーの方を向く。
「エミリーさん、これはどういうこと!? お父さん、まるで別人みたいだ……」
「うーん、お父様は騎士として勇猛な生き方をしてきたわ。だから気弱になる薬を飲んだら、暴走しちゃったのかも……」
「暴走!? どうにかならないの?」
「しばらく放っておくしかないわね……」
「そんな……」
ガイエンが揉み手をしながら近づいてくる。
「ユール様、何かやることはございませんか?」
「やること、ですか?」
「ええ、ユール様のために役に立ちたいのです」
ユールは困ってしまうが、役目を与えないとガイエンも困ってしまうだろうと判断し、やむを得ず自分の本棚を指差す。
「じゃあ、本棚の整理をお願いできますか」
「分かりました。やらせて頂きます」
元々しっかり整理されているので、ガイエンの本棚整理はすぐに終わってしまう。
「次は何をしましょうか?」
「次? 次はえぇっと……」
「肩揉みでもしましょうか?」
「じゃあ、お願いします」
ユールの肩を揉み始めるガイエン。ユールはただ困惑している。
しかし、ガイエンは力が強いので――
「痛っ!」
「ああっ、申し訳ありませんユール様!」
平謝りするガイエンを、ユールは必死になだめる。
「未来の大魔法使いであるユール様のお体を、吾輩が傷つけてしまうなんて……」
「お父さん、落ち着いて!」
いたたまれなくなったユールはエミリーに助けを求める。
「このままじゃまずいよ。どうにかならない?」
「うーん、そろそろ眠気が押し寄せてくると思うんだけど……なかなか来ないわね」
以前ユールが強気になった時は、彼がひと眠りしたら元に戻った。ところが、今回はその兆候が起こらない。
「エミリーさんの気持ちは嬉しいけど、僕はやっぱり強気だったお父さんの方が好きだよ」
「そうね……」
エミリーとしても、必要以上にへりくだる父の姿を見るのは痛ましかった。とはいえ今のところ自然治癒以外に方法はない。
ユールは必死に呼びかける。
「目を覚まして下さい、お父さん!」
「何をおっしゃってるのだ、ユール様。吾輩はこの通り……」
「お父さんはもっと強く、僕なんかにへりくだらない人だったはずです!」
「吾輩が……!? いや、そんなはずはない! 吾輩はユール様のしもべ!」
もはやガイエンは違う方向に強気になっているともいえる。
エミリーは一計を案じる。
「埒が明かないわね……そうだ!」
「エミリーさん?」
「ユール、私に迫って!」
「せ、迫る?」
「私を口説こうとして! もちろん本気で!」
ユールは戸惑うが、なにか考えがあるのだろうと察する。
「分かったよ!」
ユールはエミリーをまっすぐ見据える。
「エミリーさん」
「は、はい」
言いだしっぺのエミリーも緊張している。
「僕は君が好きだ。君と出会ってから色々あったけど、今の今まで君に何度も助けられてきた。本当にありがとう。宮廷魔術師を解任された時もそうだ。落ち込んでいる僕を君は励まし、こうしてついてきてくれた。君がいたから、今の僕があるといっても過言じゃない。だから僕はこれからも君を好きであり続けるし、愛し続けたいと思う」
ユールらしく生真面目に愛を伝える。
エミリーも予期しない言葉だったのか、頬を赤らめてしまう。
すると――
「ゆ……ゆ、ゆ、ゆ……」
ガイエンに異変が起こった。
「お父さん?」
「お父様?」
「許さんぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
ガイエンが吠えた。ユールは驚き、エミリーはしてやったりと拳を握る。
「エミリーはまだまだ渡さな……あれ? 吾輩は何をしておったのだ?」
「よかった! 元に戻ったんですね!」
「う、うむ……」
弱気になっていた時の記憶はないらしく、ガイエンはきょとんとしていた。
……
「エミリー! お前の薬のせいでまた変なことになったではないか!」
ガイエンに叱られ、頭を下げるエミリー。
「ごめんなさーい!」
「まあまあ。でもよかったですよ、お父さんが元に戻って」
「そうか? 本当は弱気のままの方が扱いやすかったと思ってるんじゃないか?」
ユールは首を振る。
「いいえ! やはりお父さんは強気でないと! そしてそんなお父さんを超える男になることが僕の目標でもあるんです!」
凛々しく言い放つユールに、ガイエンは微笑む。
「そうか。しかし、このガイエンという山を超えることはたやすくはないぞ」
「はいっ!」
エミリーがユールの腕に組みつく。
「いつかユールならお父様を超えられるって! あ、そうそう。さっきの口説き文句もう一度やってくれない?」
「え、今?」
「そう、今! 私をときめかせて、ユール!」
ガイエンは顔を真っ赤にする。
「いかん、いかんぞぉぉぉぉぉ! 吾輩がいる限り、お前たちのイチャイチャは認めんぞぉぉぉぉぉ!」
これを聞いてエミリーは笑う。
「やっぱりお父様はこうでなくちゃね」
「うん、そうだね!」
娘のために自力で薬の効果から脱したガイエンを見て、ユールは「お父さんのように強くなる」という決意を新たにするのだった。




