七話「戦うという事」
俺の操る機体の放った粒子の奔流が、巨大鼠の魔王を飲み込む……と思われた。しかし、鈍重に見えた魔王が跳躍。四肢を突き刺し、身体に生えた虫の頭で噛みついてビルの側面に張り付いた。
「嘘だろ……? このぉ!」
二度目の砲撃。しかしそれも、ビルを盛大に熔解させるだけに終る。魔王は意外な瞬発力を発揮しながら距離を詰めてくる。
「当たらん! あんなにでかいのに!」
「洞屋様、コンデンサーの残りにご注意を」
「え? ……げっ」
機体のステータスを表示するパネルを見て血の気が引く。たった二射の全力砲撃で、コンデンサーの残量が半分近くになっていたのだ。慌ててモードを通常砲撃に切り替える、がそれが不味かった。
「突撃、来ます」
「しまっ……うあぁぁ!?」
轟音と激震。さっきのジャンプとは比べ物にならない揺れが操縦席を襲う。軽くめまいがする頭を振ってステータスを確認する。ダメージはない。しかし、前面シールドのエネルギーが30%しか残っておらず、修復にさらにコンデンサーのエネルギーを食っていく。
体当たりで崩れた態勢が、自動で直っていくのを感じながら、うめく。
「不味い……これは不味いぞ……このままだと何もできなくなる!」
「一旦引いた方がよろしいかと」
「そうする!」
砲撃モードをさらに省エネへ。後退しながらけん制の射撃を繰り返す。コンデンサー残量はこの時点ですでに三分の一。かなり厳しい。
「というか、武器もエネルギー! 防御もエネルギー! エネルギー食い過ぎなんだよ欠陥だよ!」
「技術課に報告いたします」
「おねがい! ……やべぇこのまま下がれん」
すっかり忘れていたが、後ろにはルトラス光翼騎士団とかいうのが展開していたんだった。このまま下がれば巻き込んでしまう。マナ濃度を映し出す画面には、周辺の形状も描かれている。見れば、幸いにも横道があった。できるか? いや、やらなきゃ。
「ふんぬっ」
気合い一発、機体の上半身をひねり敵を正面にしたまま横道に入り込む。まともな人型ロボよりも上半身の旋回に自由が効いたからこそできた事。あとはフォークリフト経験のおかげだ。何でもやっておくものだな!
横道に入った俺たちを、魔王もまた追いかける。ビルの壁面から壁面へ飛び跳ねながら移動し、こちらに飛び込もうとする。が、突如慌てた様に大きく飛び跳ねた。奴が初めて見せた隙だった。
「食らえやぁ!」
両腕から伸びた粒子がついに魔王を焼く。咄嗟のことでモードの切り替えができなかったのが悔やまれる。だがヒットはヒットだ。続いて、白い尾を引いた飛来物が魔王に突き刺さった。爆発。
「おお!」
「騎士団の攻撃のようですね」
「さっきの隙はあの人たちのおかげか!」
一瞬コンデンサー残量を見やる。まだ40%に届いていない。前面シールドの修復は終わったが、攻撃を続ければあっという間に底を着くだろう。致し方が無しに省エネモードを継続。魔王は再び回避に専念。お互い命中打がなくなる。
「ええい、ちょこまかと! 魔王なら魔王らしくしろってんだ」
「洞屋様、ご注意を。魔王はこうしている間にもマナを吸収し続けています」
「ウソぉ!?」
ダメージを与えた直後は鈍かった動きが、気づけばもう先ほどと変わらぬものに戻っている。自己回復能力。そんなところばっかり魔王っぽいなんて!
「くっそう! 何とかしないと! 赤井さん魔法で何かない? あいつの動きを止められそうなやつ!」
「あることはあるのですが、ああも動きが早いと狙いが定まらず……」
「ぬうう、なら、エネルギーの回復を早めるやつ!」
「申し訳ありません。そういうものは……機体を修復するマナテックはあるのですが」
「あるんだ! それはそれですごいな!」
とはいえ、それでは現状は変わらない。何とかしなければ不味い。でもほかにどんな手がある? どうすれば正しい? 一つ間違いないのは、このままは絶対よくないし、むしろ悪くなるという事。だけど現状は手詰まりだ。せめてエネルギーがあれば……。
その時、唐突に魔王が今まで以上に大きく吠えた。周囲のビルにヒビが入り、シールドのエネルギーが若干減る。あの声は攻撃なのか?
「洞屋様、魔王から大型が生まれます」
「はぁ!?」
魔王の体表から生える虫たちが大きく蠢く。少しづつ、そこから這い出ようとしている。生まれるってそういう事か!
「不味い不味い不味い! 今でも手一杯なのに、この上増えられでもしたら……!」
「我々はともかく、騎士団は持ちませんね」
ぞっとする。持たない? 死ぬ? 人が死ぬ? 冗談じゃない。ふざけるな。認められるわけがない! こうなったらもうこいつをぶつけてでも……。
「あ」
「洞屋様?」
「赤井さん。こいつって元々はバリアー付いてなかったんだよね? ってことは、元から頑丈ってこと?」
「はい。重装甲で、最大口径の粒子砲を同じ個所に連続二発食らっても作動に問題なしとなっております」
「よくわからんが大変結構! 無茶するけどいいかな?」
「存分にどうぞ」
「さんきゅう!」
けん制射撃の片手間にヘルプを確認。幸いなことに見つかったそれを実行する。
「粒子障壁解除!」
ステータスからバリアー表示が消え失せる。同時に、コンデンサーの残量が急速に回復し始める。常時エネルギーを食っていたそれが消えた今、回復速度は予想通りに上がった。逃げ込んだ路地から飛び出して、魔王を正面に睨む。
魔王、再び吠える。今度ははっきりと見えるほどの黒い瘴気、汚染マナだと思われるものを機体に叩き付けてきた。鈍重なこちらは当然、避けられない。振動。
「ぬぅぅぅっ!」
「対汚染マナエンチャント、正常稼働。前面の全装甲、10%の破損。修復を開始します」
「任せたぁぁぁ!」
構わず前進。同時に、両腕の武装を通常砲撃で連射する。すると今度は、魔王が瘴気をバリアーにして己を守りだした。回避をやめた? なんでだ? 逃げ回っていた方が有利だろうに。
魔王の砲撃。着弾。機体が揺れる。俺の砲撃。着弾、瘴気が削れる。お互い、手は止めない。魔王は汚染マナを吸収し続け、俺は赤井さんの魔法で装甲を回復する。潰される前に潰し切らなけらば負けるのは自分。いや、自己強化もできる魔王の方が有利……そうか。この状況こそを、魔王は己の有利と判断したのか。
「ナメやがって……いや、好都合! 赤井さん! 捕縛のやつ、今ならいける?」
「可能ですが、装甲の回復まで手が回らなくなります」
「それでいい! このままじゃ削り負ける!」
「準備します。なるべく魔王の障壁を削ってください」
「了解!」
背後から再び、騎士団のミサイルが叩き込まれる。さらに、センサーに反応。両側に立ち並ぶビルの上を移動する複数の人影。パワーアーマーの性能か、それとも魔法の力か。戦闘に忙しくて細かくは見えないが、どちらにしても言えることは一つ。無茶するなぁこの人たち!
しかし、そうなると余計に流れ弾を出すわけにはいかない。俺の撃つ粒子砲も、魔王の瘴気弾も。であれば、お互い外れない位置まで行くしかない。
唐突に、笑いが込み上げてきた。バカをやっているな、と自分でも思う。いや、そもそも。自分が賢い選択ができるなんて思っていない。いつだって、その時やれることをやるしかないんだ。足を止めての撃ち合い。俺の砲撃が瘴気を削る。魔王の攻撃が装甲を削る。ステータス画面が徐々に色を赤くしていく。それでも撃つ! 撃つ! 信じて撃つ!
魔王が、突如現れた銀色の鎖で縛られた。叫び声をあげて抗う魔王。
「拘束術、展開! 長くは持ちません!」
「上ぉぉぉ等ぉぉぉ!」
俺は迷わずボタンを押し込んだ。前面がボロボロになった機体が噴射機を全開にして、跳ぶ。いくつか噴射機が壊れたか、先ほどより高さはない。だけど構うものか。さあ、魔王。お前はかなりでたらめのようだが、単純にクソ重いこいつに踏みつけられて無事でいられるかなぁ!
硬いものと柔らかいもの、両方が一度に砕ける音というのはなかなかどうして表現し辛い。それがこの封鎖区画に盛大に響き、魔王の絶叫が混じると余計に。
「……どうよ」
「致命的ダメージを確認。しかし、まだ吸収は続いています」
「それならポチっとな」
至近距離で情け容赦ない全力射撃。両腕からあふれた光が、潰れた魔王を盛大に焼いていく。こっちのステータスは赤ばかり。左足とかもう中枢にダメージ入ってて折れてもおかしくない状態だ。ここで手を抜く理由はない。キッチリとどめを刺してくれる。
だが、ここにきて魔王は最後の悪あがきに出た。
「反応が移動を開始! 魔王が逃げます!」
「はぁ!? え、マジ!? どこ!?」
離れるマナ反応をカメラが捕捉。映し出されたのはだいぶ小さくなった(といっても軽く熊ぐらいあるが)魔王だ。事もあろうに魔王は、死にかけた身体から新しい自分を生み出して逃がしたのだ。器用にもほどがある。
「小さすぎる! 狙えるのは……自動機関砲ぐらいか? げぇ、正面のがほぼ全滅してる! 赤井さん回復ぅ!」
「武装の修復には少々お時間が……」
「まずーい!」
慌てて追いかけるものの、小型化した魔王はさらに敏捷になったようだ。歩幅の差で何とか追いかけられているが、このままでは逃げられてしまう……そう思った時だった。左右のビル屋上から飛び掛かった幾人もの人影が魔王へ攻撃。銃、槍、剣が次々と命中し、魔王の動きを止めた。
「おお、騎士団!」
「今です、とどめを刺しましょう」
「そうはいけど、砲撃じゃあ騎士団の人たちを巻き込む」
「こちらで対処します。では、こちらを」
そういって赤井さんが差し出してきたのは、祭壇天井に飾ってあったあの粗末な短剣だった。こんなもので何をしろというのか。手に取ったその途端。
「ぐっ!?」
脳天からつま先まで、いやそれだけに止まらず。俺自身を伝わり、アドミンさんのオフィスで寝ている本来の身体にまで途轍もない力が伝わったのが感じ取れた。これは力だ。握ったことによりスイッチが入ってしまった、強烈な力だ。
≪さあ、それじゃやりますよー≫
俺を通して、アドミンさんが短剣の力を制御する。両腕が勝手に動く。切っ先を、魔王へ向ける。
俺の口を通して、アドミンさんの言葉が響く。
「有と無。始まりと終わり。流れるものと澱むもの」
一つ言葉が紡がれるたびに、短剣から力が生まれていく。無作為に放たれれば、機体が容易く爆散するほどの膨大な力。マナの激流。それを完全に制御しているのがアドミンさんだ。はるか遠くから、俺を通してという離れ業をしているにもかからわず、力に明確な形と流れを与えている。
「良きものは神となり、悪しきものは魔王となる。これなる極点は終わりを迎え、新たな始まりの始点と成る」
機体が勝手に動き両腕を前へ向ける。その間に短剣と同じ形の、光り輝く力が生まれた。同時に、魔王を中心に十重二十重とリングが生まれる。見ることはできない。だけど俺を通しているが故に分かる。あれは圧縮された力であり、それに命令を与える言語だ。リング一つさえ、人類に制御できる日は永遠に来ないだろう。
リングが、収束する。騎士団の施した拘束を易々と破壊し、魔王から自由を完全に奪う。機体の前に浮かぶ巨大な剣が、燦然と輝く。
「生けるマナたる我が意によりて、諸々の悪意、疾く退くべし! 大意、執行!」
光が飛び、魔王へと突き刺さった。封鎖区画全体、放棄された魔王、もしかしたら惑星全体から。一瞬で膨大なマナが突き刺さった光に集まって、そして消えた。……いや。
「こいつは……」
気が付けば、俺の目の前に光り輝く拳大の水晶のようなものが現れていた。片手でつかみ取ると、輝きは消えた。
「マナ結晶です。大いなる方々も魔王を退治した時にしか生成できぬ、マナの結晶体」
「よくわからんが凄そうなものという事はわかった。……これでおしまい?」
「はい。これを生成したことで一時的にこの星のマナ濃度が減少します。また一週間ほどは安全でしょう」
「これだけやって、たった一週間か……」
やっぱ不味いんじゃねぇかなぁ、この星。両手にそれぞれ持った短剣と結晶を眺めながらそう思う。
「さて、それでは撤退いたします」
「了解……騎士団の人になんかお礼とか言わなくていいのかな」
ぶっちゃけ、最後の止めかすめ取ったようなものではなかろうか。ディスプレイを見れば、魔王を拘束していた騎士団の人たちが映っている。こっちを見ている……睨んでいる気がするのは気のせいじゃないはずだ。
「実を言いますと、いろいろ不味いのです。まず、この封鎖区画に入るのは許可がいります。我々は無許可で侵入しました」
「ありゃ。そりゃ怒られますな」
「さらに、やや古い法律になりますが、歩行戦機の所有と運用は、惑星政府の許可が必要となります。無許可で所持し、運用しています」
「明らかによろしくありませんな」
「最後になりますが、ルトラス光翼騎士団の活動、とりわけ魔王退治のための出動はすべてにおいて優先されるとされています。それを妨害するということは情状酌量の余地なく重犯罪に……」
「逃げよう赤井さん」
「かしこまりました。増幅術式自動起動」
こうして俺たちは、包囲を狭めつつある騎士団のみなさんから転移をつかって逃げ出したのだった。
/*/
「おっかえりなさーい。お疲れさまでしたー」
「うっす、ただいまっす」
カーテンを開けると、笑顔のアドミンさんが迎えてくれた。オフィスの姿は、朝と何も変わっていない。まあ、事が起こったのがあちらの世界なのだから当然か。
あの後、倉庫に戻った俺たちはさらに転移をつかって最初のビルへ。今日の予定はすべてキャンセルとなり、こちらに戻ってくることになった。機体はボロボロになったので分解整備するとの事。早速すさまじい音を立てて破損パーツを取っ払ったりしていた。なお、すべて作業用ドロイドがやるらしい。
「コーヒー淹れますから座っていてくださいね」
「あざーっす」
椅子にどっかりと座りこむ。正直疲れた。こちらの身体は疲れていないはずだが、気持ちの疲れがひどかった。よもや初日からロボで魔王退治とは……。
「お疲れさまでした洞屋様。お見事でございました」
そして、いつの間にやら赤井さんも戻ってきていた。
「いーやー、赤井さんのおかげだって、本当に、8割、いや9割。っていうか全部」
「ご謙遜を。私はお手伝いしかできませんので」
「そーですよー。赤井だけで全部できるなら、私たちも苦労してませんからー」
例によって水を空中で沸騰させているアドミンさんの御言葉。そういえば、戦闘中で暴露されたあの話を聞いておかねば。
「で、さっきの話なんすけど。アドミンさんが赤井さんを……その、命を吹き込んだとかなんとか」
「ええ。赤井を作ったのは私です。まあ、私に限らず皆作ってるんですけどね、現地の作業員として。本当は赤井達だけで直接介入をする予定だったんですがねー」
「未熟な私たちでは、大いなる方々の御意思を成すには不足なのです。必要な力を与えていただきながら、それを使いこなすことができず……己の至らなさに情けなく思うばかりです」
悲しげに頭を下げる赤井さん。コーヒー豆を用意しながらアドミンさんが言葉を続ける。
「とっさの判断とか、予想外の事態とかに弱いんですよねー赤井たちは。なのでザコモンスターはともかく、中ボスとか魔王とか強い相手に後れを取ると。あれですよあれ、強力な武器でPvPゴリ押しするプレイヤーみたいな」
「つまり俺とかアドミンさんですな」
「ううう、おかしいですよあの人たち。なんであのタイミングでショットガン当ててくるんですか……」
世の中には見る、狙う、撃つ、が一瞬でできるプレイヤーもいるのだ。そしてできない俺たちはカモられるのだ。それはさておいて。
「なるほどなぁ……力があるから何でも上手くいくってわけじゃないんすな」
「ゴリ押しできない事って意外と多いんですよねー。後に問題が残ったり」
「人の歴史を紐解けば、だいたいいつもそんな感じだったり……そういえば、赤井さんたちの……種族名とかそんなの、なんかあるんですか? エルフとか天使とか」
「……私たちが名前付けるの苦手なの、スケクロさんもご存じじゃないですか」
苦笑いを浮かべる彼女。ふむ、そういえば覚えがあるな。
「そーいやアドミンさんも最初はプレイヤーAだったし。いつだか名前を付ける方法聞いてきて、じゃあ電話帳を適当に開くって、赤井ーーー!?」
「はい、なんでしょうか?」
律儀に反応してくれる赤井さん。だけど今はそれどころじゃない。非常にアレな事実に気づいてしまったぞ俺!
「あんたもっと大事にしてやれよ! 名前って大事だぞ! なんで最初のページから選んだ!」
「だ、大事にしてますよー! ほかの仲間なんか番号で呼んでるのもいるんですし! それに私Aだし、赤井だから関連もついてるしそれっぽいじゃないですかー!」
「本当かー!? こじつけてないかー!? あ、そうだ、そうだよ! 名前! 苗字は聞いた! 名前は付けてあげたんだろうな!?」
「……」
アドミンさん、全力で目をそらす。
「こらー! 付けてあげようよ名前も! 苗字だけなんてかわいそうだろうが! 結婚したらどうするんだよ!」
「そ、そんなに言うならスケクロさんがつけてあげればいいじゃないですかー!」
「生みの親はあんただろーが! あんたがつけなくてどーする!」
「いーんです! 私はもう赤井ってつけたんだからー! はい、命令! 上司命令!」
「うっわパワハラー! 超パワハラー!」
「あ、あの。洞屋様。私のことはどうかお気になさらず……」
困り顔の赤井さんが仲裁に乗り出してきた。まあ、彼の立場ならそうもなるか。
「しかしなぁ、やっぱ名前は大事だよ。……本気で俺につけろって?」
「そーです。赤井もそれでいいですね?」
「はい、頂けるのでしたらうれしい限りです」
いつも微笑んでいるような赤井さんであるが、今回は特に嬉しそうだ。むむむ、世話になった身だ。望むのであれば答えねばなるまい。
「あー、じゃあ、ちょっと調べたりして考えておきます」
「よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げられてしまった。さあ、困った。犬猫ならともかく、まともに人の名前を考えたことなどない。帰ってから命名本とか買ってみるか。
そんなこんなしていたら、良い香りが漂ってきた。
「はーい、お待たせしましたー」
「あざーっす、あざーっす」
アドミンさん特製コーヒーの登場である。こいつを口にしたらもうほかのコーヒーは飲めない。……いや飲むけど。味と香りが段違いで、どうしても比べてしまうのだ。
コーヒーをいただく。ああ、美味しい。この一杯のために生きてるんだなぁ。疲れた精神に染みるなぁ……さっきのやり取りで無駄に疲れたし。それでなくても疲れてたのに。
「さっきの話に戻りますけど。スケクロさんは本当にうまくやったと思いますよ? 今までの人たちの中で、ここまでスムーズに魔王の退治まで行けたのはいませんでしたから」
「あれでスムーズって……どんだけグダグダだったんですか、ほかの人たち」
とはいえ、気持ちはわかる。今まで荒事などしたことがない連中が、いきなりロボットに乗せられて魔王を倒せと言われてまともにできるはずがない。俺がうまくやれたのは……やはりゲームパットのおかげだったのだろうか。
「私も、洞屋様の落ち着いた戦いぶりには大変驚きました。おそらく、被害者の数も今までで一番少なかったかと」
…………え?
/*/
夜の自室。缶のプルタブを引き上げ、ビールを開ける。飲む。……やはり、苦い。社会人になってそこそこ飲んだが、やはりどうしてもビールは好きになれない。あまり酒も強くないし、飲みに行くような友達もいない。なので酒を飲むこともあまりない。しかし、今日はコンビニで買ってきたビールを一人で呷っていた。
赤井さん曰く。汚染マナは生物、無機物問わず変異させる。完全に変異したものを元に戻すことはできない。モンスターに変異したものは、生物を見境なく襲うようになる。だから、たとえそれが人間の成れの果てであっても、倒す以外の方法はないそうだ。アドミンさんたちであっても、元に戻すことができないというのだからそうなのだろう。
つまるところ変異してしまった時点で手遅れであり、俺が吹き飛ばした諸々のモンスターの中に元人間がいたとしても致し方がない事、であるらしい。あの世界でも罪には問われないそうだ。
「……ぷはぁ」
すきっ腹に熱いものが広がる。一応ツマミは買ってきたが、あまり食べる気にならない。すぐに酔いが回るだろう。今はそうありたい気分だった。
さて。半ばゲーム感覚でポチポチと、誰かの家族であったモンスターを吹き飛ばしてしまったわけだが。……正直に言う。全く実感がない。あの時、モニター越しに見たモンスターには、脅威しか感じなかった。人の負の感情がマナを汚染させそれがモンスターに変異させるという話である以上、その姿はどれもおぞましくなるのは当然の事。なのであの怪物どもと、人がどうしてもつながらない。
やったぜ! 俺は魔王を倒したんだ! 俺は勇者様なんだ! たとえ元は人間であっても、モンスターになったのだから全滅させればいい! ……などと。思考を停止して達成感に酔っ払うのは、間違いなく違うだろう。残されたご遺族の事を思えば、当然のことだ。
なんてことをしてしまったんだ。俺は取り返しのつかないことをしてしまった。たとえどんな姿になっていても、人を殺してしまうなんてやってはいけない事なんだ。……というのも、完全に正しいとは思えない。それを放置した場合、自分とは違う人を傷つけるだろう。命を奪うこともあるだろう。で、被害者の家族に相手の人命を尊重して見逃しました、などとはとても言えない。
こんな話は聞いていなかった! なんでもっと早くいってくれなかったんだ! よくも俺に人を殺させたな! ……などと、アドミンさんたちに当たり散らすのは論外だ。そういう気持ちがないわけではない。だけど、仕事をやるといったのは俺だ。もっといろいろ聞くこともできた。知らなかっただから聞きようがない、悪いのは全部あいつらだ……責任押し付けて自己弁護。バカを言うな。ボタンを押したのは俺だ。吹っ飛ばしてちょっといい気分になってたのも、俺だ。俺なんだ。
仕方がなかった、で済ませていい話ではない。さりとて開き直るのも違う。気持ちは晴れない。もやもやとした気分が胸に残っている。
「……ふう」
ビールはまだ三分の一近く残っているが、もう酔ってきた。どくんどくんと心臓が跳ねているのが分かる。寝るのも風呂に入るのもまだ早い。時間の流れが遅い。惰性で、なんとなくパソコンのスイッチを入れた。
すぐに、アドミンさんからメッセージが飛んできた。
『こんばんわー。スケクロさん、大丈夫ですかー?』
大丈夫であるはずがない。だが、そうも言えない。何より、彼女に心配をかけるのは心苦しい。
『大丈夫っすよー。酔っ払ってますが』
『そうですかーよかったー。今日、ゲームどうします?』
そんな気分ではもちろんない。疲れているし、酔ってもいる。ゲームパットを握れば、いやでも今日の事を思い出すだろう。だが、それでも。
『やりますかー。ああ、あのゾンビゲーのDLC今日じゃなかったっすかね?』
『ですねー! 今日は久しぶりにあっちをやりますか』
『今から落としますわ。久しぶりにゾンビを改造鈍器でかち割るかー』
ゲームをすれば、この気持ちも少しは晴れるだろうから。たとえ、何の解決にもならなかったとしても。




