十一話「彼女の笑顔の為ならば」
体をピッタリと覆う、薄手のボディスーツ。頭にはごっついフルフェイスのヘルメット。右手には力場装具の剣、左手には盾。それが今の俺の恰好。
そして目の前にAR投影されているのは、人体構造のモデルみたいな人形。それも等身大の。アスキーアートのように棒線や点で顔が書かれている。
「ようこそ! ハイランダー社製ファイタートレーニングメニューへ! 私は君のトレーニングをサポートするティーチャーAIのスケルトンだ! 気軽にスケルトン先生と呼んでほしい!」
人形が、口をパクパク動かして喋っている。いつもなら愛嬌があるとか思ったりもするが、今の凪いだ精神状態の俺にはやや辛い。
あの後俺は、学校を早退するとこの世界での自宅に戻ってきた。最初にこの身体があった、あの殺風景なビルの一室が俺の家という事で登録されている。実際、身体はここに保管するのだからそう間違っているというわけでもない。
治療を済ませ、ゼリーモドキの栄養パックで昼食を取り、休んだ。おかげで身体の方は問題ない。流石特別製の身体と未来の薬と回復魔法。元の身体だったら骨の一本や二本折れていたかもしれない。
あれだけ泣き叫んだおかげなのか、心はだいぶ落ち着いている。むしろ、あの醜態をアドミンさんたちに見られた事の方が今は辛い。
で、赤井さんが持ってきたこのボディスーツとヘルメットを装備し、言われた通りスイッチ入れたらこれである。どうしろというのだ。
「んん? 聞こえていないのかな? システムは正常かな?」
「ああ、聞こえてるよスケルトン先生」
「グゥッド! では早速初めていこう! 君は、弊社、または他社のARトレーニングシステムを使ったことがあるかな?」
「いいえ」
「なるほど! では基本的な事からだね! いいかい君? 人間が物事を覚えるのって、とっても大変だって思わないかい?」
「まあ、そりゃあ。仕事一つ覚えるのも時間がかかるし……でもまあ、それが普通でしょ」
「その通り! でも覚えるって言っても、忘れてしまったり間違って覚えてしまったりもするよね? そこでこのARトレーニングシリーズの出番さ! 覚えたい事柄に合わせて極めて効率的にAIがサポート! 日常生活上でも様々な事を関連付けて、極めて自然に学習し続けられるってわけさ!」
まるでテレビでよくある通信教育教材のコマーシャルのようである。聞いてるだけで外国語が覚えられるとか、そんなアレ。
「じゃあ先生。これつけっぱなしにしていれば、だれでも剣の達人になれるとかそういうわけ?」
「まさか! これは基礎トレーニング用だよ! 勉強すればだれもが百戦百勝とか、物理的にあり得るはずがないじゃないか!」
「まーそりゃそーだー……で、具体的には?」
この世界の学習方法に興味がないわけではないが、今はどうでもいい。この格好で突っ立っているのもいろいろ辛いものがあるし。
「OK! それでは早速初めていこう! まずはチュートリアルから! さあ、今持っているその剣を、思いっきり振ってみてごらん!」
「剣を? 思いっきり?」
「そう!」
やってみるとしよう。思いっきりという事だから、それなりに構えなくてはいけない。左足を前に、右足をやや後ろに。ボールを投げるように剣を上段から思いっきり振り切る。
音を立てて剣が空を切った。
「いいね! それじゃあ次は、ボディスーツのサポートを入れるよ!」
「ん? お、おう?」
薄っぺらだったボディスーツが膨らみ出して一cmぐらいの厚みができた。同時に、なんだか少しばかり動き辛くなる。
「それじゃあ、次はボディスーツが動くよ! 力を抜いていてね!」
「お、おおお?」
服が動く。足の位置、構え、姿勢、次々と服によって修正される。そしてさっきと同じ剣を振る動き。ゆっくりとした動作だが、明らかにさっきの俺のものとは違う。
「動きはなんとなくわかったかな? 次は少し早くなるよ!」
「うっす」
あとは反復練習。少しずつ服の動きは早くなる。しかし同じ動きなのでそれほど戸惑いはない。回数を重ねるごとに空を切る音が早く鋭いものになっていく。
振って、振って、また振って、振り切って……あ?
「今、サポート切った?」
「その通り! さて、ちょっと休憩。これを見てくれ」
スケルトン先生が動いて見せる。剣を振る動きだ。最初の振りは、素人目から見ても宜しくないものだった。動きがふらふらしている。
「これがキミの最初の動きだ」
「うわぁ、ひどい」
「次はキミの最後の動きだ」
再び先生が剣を振る。明らかに動きが違う。上体のブレがほとんどないのが分かる。
「スーツによって動きをサポート! 正しいフォームを簡単に学ぶことができる! もちろん、短時間で身に付くものではないけれど常に正しいフォームをトレースすることで、その学習効果は非常に高いものになることは統計学的に証明されているのさ!」
「おおー」
さわやかな笑顔でサムズアップを決めてくるスケルトン先生。顔、棒線だけなのに。しかし、確かに。たった5分ほどのトレーニングで驚きの効果だ。
「人体が必要な時に必要な力を発揮するには、正しく身体を動かさなければならない! だからまずはフォームから! フォームを学んだら次はシミュレーション! どのような時にどのようなフォームが必要か、模擬戦闘を通して学んでいこう! そうすれば君もファイターだ!」
「はい、先生!」
「いい返事だ! それじゃあハイランダー社製ファイタートレーニングメニュー、基礎トレーニング編、レッツトライ!」
はじめはどうなるかと思ったが、さすがは未来世界のトレーニング器具。これならば俺でもやっていけそうだ。心は凪いでいる。でも、怒りと屈辱は腹の中でいまだ熱い熱を放っている。やってやる。俺は早速剣を振り始めた。
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高校のころの話。俺の通っていた高校の野球部は弱かった。そのくせ、結構クラスじゃ威張り散らすものだから、内心バカにしていた。今なら言える。すまん、俺が間違っていた。お前ら凄かったんだな。毎日毎日、バット振ってたんだろ? 同じ動きを繰り返すという、その単調作業がこんなにも辛かったなんて。
全力で剣を振った。何回も何回も。少しでもずれるとスーツが修正してくる。これが地味に効いてくる。全力で動かしている身体に、別の力が加わるわけだ。硬いものをぐっと押し込まれるような感覚。一振りごとにそれがある。塵も積もれば山となるわけだ。
慣れない運動と、修正による負荷。今日のアレも重なって、あっという間に足元がおぼつかなくなってきた。
「疲労度、許容限界。今日のトレーニングはここまで! ゆっくり休んでまた明日ね!」
そのセリフと企業ロゴを残して、スケルトン先生は唐突に消えてしまった。
「せ、先生ー? おーい? まだできますよー?」
この程度で音を上げるわけにはいかない。再び剣を構えようとすると、赤井さんが現れた。
「洞屋様、ARトレーニングはここまでです。次は、あちらに戻って別のトレーニングです」
その言葉に従って、元の身体に戻ってきた。あちらの身体は生命維持装置に寝かせてある。一晩寝ればすっきり回復だそうだ。さっきまでふらつく程の疲労が身体にあったのに、それがさっぱりなくなっているというのはかなりの違和感がある。
で、寝ていたカプセルから出ると、脱いだ服の上にさっきと同じようなボディスーツが置いてある。なるほど。今の俺はあちらとこちら、身体が二つある。片方が疲れ切っても、もう片方で訓練すれば常人の二倍やれるってわけだ。
身体が二つあればいいのに、と忙しい人は良くぼやく。よもや自分がリアルでそうなるとは。動かせるのは一つだけだから、一度に二倍の作業をこなしたいという本来の趣旨とは違ってしまうがそれはさておき。
ボディスーツを着る。違和感に首をかしげる。着心地が違うのだ。
「何か違……うっ!?」
ボディスーツが身体全体を締め付ける。動けないほどではないが……。
「準備が整ったようですね。では、こちらに」
「赤井さん。この服、何?」
「肉体強化用のスーツです。以前こちらとあちら。二つの身体に差異があると操作が難しくなるという話があったかと思います」
「ええ、ありましたね。だから派手な改造とかはできないとか」
「現在、あちらの身体を鍛え始めました。そうしますと、こちらの身体との差異が大きくなってしまいます」
「なりますなぁ」
なんせ、俺は運動とか全くやってない。鍛えてない弛んだ身体だ。あちらの身体は細マッチョに近い。
「そこで、肉体の強化も基礎訓練と一緒にやっていくという流れです。いざという時にあちらの身体がうまく動きませんので」
「お、おう……」
つまり? このメジャーリーガー養成ギブス的なスーツを着た状態で、また型練習をしろと。あっちの身体でさえきつかったのに、この鈍った俺自身の身体で。
顔を引きつらせる俺に、赤井さんは力場装具を渡してきた。
「では、訓練を始めましょう」
ハードだった。とてつもなく、ハードだった。正しい剣の振り方すらまともにできない。純粋に、筋肉が足りていないのだ。剣を振るという運動が要求する筋肉が弱いため、形を保てない。スーツの補助があるから最低限の形はとれるが、その補正が身体に負担をかける。
休み休み行うが、練習量はさっきとは比べ物にならない。あっという間に全身に疲労が蓄積する。これではいけない。俺自身の身体を鍛えなければ、あっちの身体で上手くなっても意味がない。
激情を糧に剣を振る。怒り、痛み、悔しさ、恥ずかしさ、情けなさ。それは俺自身を燃やし尽くすように自己主張を続けるが、しかし身体がいう事を聞かない。
乾いた音が床を打つ。剣が手からすっぽ抜けた。安全装置があるようで、手から離れると力場は消えてしまう。短剣状態のそれが床に落ちているだけなのに、なんだかとても情けないものを見ている気分になってくる。
ふらふらした足取りで近づいて、剣を拾う。
「……あとどれだけやれば、あいつに勝てるのかねぇ」
「どれだけやっても、これだけでは勝てませんね」
赤井さんの容赦のない言葉。真剣な表情で、ただ事実を伝えてくる。
「……勝てないの?」
「はい。相手もまた、洞屋様が行ったトレーニングメニューをやっていると思われます。となれば、先にやったものの方が長じるのは自明の理です。ですので……洞屋様、私に剣を当ててみてください」
赤井さんも剣と盾を構えてくる。実に様になった立ち姿だ。俺とは大違い。
言われた通り、上段から斬りつける。俺が降った剣に対し、赤井さんは盾を斜めに当ててきた。縦の表面を剣が滑る。次の瞬間、俺ののど元に赤井さんの剣が迫っていた。
「狙うはカウンターです。相手の守りを突破するのが難しいなら、最もそれが薄い時を狙うしかありません」
「カウンターって……難しくない? あいつの剣、かなり早かったよ?」
こうやって訓練し始めて初めてわかるあいつの動き。踏み込みや剣の振りにブレや無駄がなかった。当然、その分だけ動きが早く、威力が上がる。あれを防いでカウンターを取る? 俺が?
「しかしながら、これが現在取れる最も勝率の高い戦法なのです……武器なり、身体なり、何かしらの強化を施せば話は別ですが」
「それはしない」
きっぱりと、それだけは否定する。それじゃあ俺が勝ったことにならない。力の誘惑に負ければ、さらに俺は情けない気分になるだろう。二連敗だ。だが、しかし。そうするならば。俺は独力でヤツに勝たなければならない。
盾を構える。イメージする。あいつの剣の動き。瞬く間に放たれる剣撃。あれを防いで、カウンターを入れる?
「ふっ!」
振ってみた。……遅い。あいつなら、楽々俺に逆撃を入れてくるだろう。勝ち目は、見えない。
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アドミンさんのオフィス。面接を受けたあのテーブルに、俺はだらしなく上体を預けていた。疲れた。疲れ切っていた。もともと運動不足の身体であれだけ動けば当然の事だった。
「疲れた……」
口から自然に声が漏れる。午前にヤツにボコられて、午後は体二つ分くたくたになるまで訓練だ。流石に心が悲鳴を上げる。あれだけ強く湧き上がっていた感情も、今はただの不快感でしかなかった。疲れは頭も鈍らせる。
こうなってくると、あれだけ強かった決意すらも鈍ってくる。
勝ちたい、強くなりたい、己に自信を得たい……いまさら何を言う。洞屋景、お前はいつだって困難から逃げてきたろう?
疲れるのは嫌だ、運動なんてしたくない。もっと遊びたい、勉強なんてしたくない。あいつは頭がいい、運動神経がいい、だから俺が負けるのもしょうがない……いつだって、逃げて、言い訳して、楽な方へ逃げてきた。その結果がこのざまだ。
何もかもが自業自得だ。今日の敗北も、社会人になってからの苦労も、学生時代の劣等感も。努力をして成果が出なかったのであれば、また違っただろう。お前は努力すらしなかった。唯一やりこんだゲームでさえ、お前はスケアクロウじゃないか。
お前には何もない。何もないから自信も持てない。高額の報酬を提示されたあの時だって、お前はビビった。自分はそんな金をもらえるだけの働きはできない。そんな働きを期待されても困る。やりたくない、冗談じゃない……また逃げた。
だから今回も逃げてしまえ。いつも通り逃げてしまえ。自分は情けないものだから、罵倒されて当然だから、弱くて哀れな洞屋景だからと言い訳して……
『そんなことも分からずその歳まで生きてきたのか。全く、親はどんな教育をしたのか。まあ、貴様のような平民の親だ。ろくなものではないだろうよ』
ガツンと、思いっきり額をテーブルに打ち付けた。ダメだ、あれだけは許せない。俺への罵倒はプライド捨てて流せても、あれだけは無理だ。
どうもいかん。疲れてろくな気分にならない。さっさと風呂に入って寝てしまった方がいいだろう。と、なればアドミンさんに挨拶して今日は帰ろう。……そこではたと気づく。こっちに戻ってきてからアドミンさんと顔を合わせていない。
正直言えばあの情けない姿を見られたから顔を合わせずらいというのもあるのだがそれはともかく。挨拶無しに帰るというわけにもいかない。
ぐるり、とオフィスを見渡す。普段このオフィスで何かをするという事はない。あっちの世界への通過点か、ロボの訓練時とかに休憩に使う程度だった。なのであまりこの中を歩き回った事もないのだが……普段いかない奥に、扉が見えた。あそこを開けた覚えはない。
とりあえず、ノックでもしてみるかと扉に近づく。すると。
「うっ……ひっく……ううっ」
泣き声が、聞こえてきた。
「アドミンさん!? どうしたの!?」
扉を叩く。アドミンさんが泣く? いったい何が起きたんだ。
「ひうっ……な、なんでもないですよー」
「何でもないならなんで泣いてるの! 入るよ!?」
「ええっ!?」
有無を言わさず扉を開ける。なあに、本当にダメだったら扉は開かないはずだ。それぐらい軽くやってのけるはず。あるいは俺を吹き飛ばすとか。
あっさりと扉は開いた。中は私室のようだった。大きなテレビにつなげられた各種ゲーム機。ゲームパット接続してあるからまず間違いなくゲーム用であろうPC。棚に並べられているのは古い時代のゲーム機達。ゲームソフトは塔のように積み上がり、ゲーム雑誌も多い。まごうことなき、ゲーマーの部屋である。
そして、部屋の主はテレビに対して正面に配置されたベットの中だった。布団をかぶっているので姿は見えないが、そこにいるのははっきりとわかる。
「アドミンさん」
声をかける。彼女は俺を見た。まだ、泣いていた。
「どうしたの。何かあった?」
人様の部屋に勝手に入るのは良くないとはわかっているが、今回ばかりはしょうがない。彼女の正面に座り込む。しばらく、部屋の中は彼女がすすり泣く声だけが響いた、そして、
「だって、悔しいじゃないですか」
彼女はそういった。俺は、頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。ああ、そうだ、そうだった。俺をあちらの世界に送っている最中、彼女は考えを読めるんだった。なら、感情が伝わってもおかしくはない。つまり、彼女は『俺の』悔しさで泣いているのだ!
「アドミンさん、それは俺のだ。アドミンさんが泣く必要なんてないんだ」
「けど、でも! 私もあそこにいたんです! 同じ気持ちになったんです!」
彼女の嗚咽交じりの声が響く。ああ、ああ! 今俺が感じていることを、何と表現すればいいのだろうか。泣かせてしまった。俺が、彼女を泣かせてしまった。俺が不甲斐無いばっかりに!
布団からのぞく、彼女の手を取る。俺の目からも、再び涙があふれてきた。
「ごめんよアドミンさん、ごめん……」
彼女は、手を重ねてきた。アドミンさんは、ずっと泣いていたのだろうか。あれが終わってから、ずっと。何故気づかなかったのだろう。思い至らなかった自分に腹が立つ。
手を通して、彼女の気持ちが伝わってきた。比喩ではない。そういう力を使ったのだろう。そして理解した。
あれほど怒ったのも、屈辱を感じたのも、悔しさを覚えたのも、初めてだったらしい。あまりに強烈な感情だったため、それがぐるぐると頭の中を回り続けた。どうやって泣き止めばいいか、それすらも分からなかった。彼女は初めて涙を流したのだ。
「本当に、ごめん」
謝ることしかできない。いや、謝るだけじゃだめだ。彼女の悲しみを止めなければならない。それは絶対だ。何をおいても、俺のありとあらゆるものを総動員して成さねばならない事だ。
「俺、勝つよ。絶対あいつをぶっ飛ばす。絶対に」
あいつの方が強い? 早くてカウンターなんか無理? 訓練が辛い? 泣きごと言うな。たとえ100%敗北が確定していても、奇跡でも詐欺でも何でもやって勝たなければならないのだ。だって彼女が泣いているのだから!
見えないけれど、そこにあるであろう彼女の瞳を見ながら、もう一度言う。
「必ず、絶対に、俺は勝つよ」
「……本当に?」
「本当だよ」
「あれ、強いですよ?」
「死ぬほど訓練するから大丈夫」
「チートは?」
「それはやだ」
「……うん、わたしもやだな」
笑った。彼女が少しだけ笑った。やろう。やってやる。何が何でもやってやる。あいつも、弱い俺も、まとめてぶっ飛ばして勝利をつかむ。
彼女の笑顔の為ならば。
おかげさまでブックマークが500件を超えました。今後とものんびりとお付き合いいただければ幸いです。




