35.日が沈む前に解散する健全なデート
ガーデンパーティー当日の朝、空は天晴れな秋晴れであった。雨の時はサンルームとテラスを解放してしのぐつもりだったがそれは杞憂に終わった。
パーティーが始まるのは昼前なので、リリスは早朝より起きて支度をしていた。
「リリス、終わったか?」
リリスが侍女に髪型の仕上げをしてもらっていると扉が開き、ガーベラが顔を覗かせた。
リリスは現れたガーベラに息を呑む。
「っ、ガー様、すっごく似合ってますよ!」
感激して胸が苦しくなるリリス。
ガーベラは本日、リリスがガー様人形のために作成した黒のドレスを、人間用に作り直して着ている。
試着の際は当日のお楽しみだと見せてくれなかったので、リリスがガーベラのドレス姿を見るのは本日が初めてだ。
軽やかなレースを重ねたAラインのふりふりドレスである。
首元は詰まったデザインでリボンをチョーカーのように巻く仕様だが、袖やスカートの裾はレースで透けていて重たくは感じない。
黒一色なので甘さはあるがどこか尖っていて、ガーベラの美人だがきつめの顔立ちにとてもよく似合っている。
そして揃いで作ったボンネットは黒い小さなシルクハット付きだ。これが抜群に可愛いとリリスは思う。
「可愛いぃ、可愛いです。ガー様。なんだろうこの感情。可愛くてしんどいです。私の作ったドレスが等身大になって、しかもガー様が着てて、おまけに滅茶苦茶似合っているっ」
息が荒くなるリリス。
「リリス、落ち着け。さっそく目も潤んでいるぞ、化粧が落ちる」
「ふうううっ、これが落ち着いていられますか! とってもとっても素敵ですよ!」
「喜んでもらえるのはありがたいが」
「何言ってるんですか! むしろ着てくれてありがとうですよ!」
「リリス、気持ちは分かったから」
「可愛いすぎるぅ。悔しいですっ、もっとちゃんと褒めたいのに可愛いしか出てこない!」
リリスのテンションに呆れたガーベラは何度もリリスを宥めた。
「落ち着いたか?」
やっと一息ついたリリスにガーベラが聞く。
「はい。お見苦しかったですね。昨晩から緊張していたので、変なテンションになってしまいました」
「こんなことなら、試着の時に見せておけばよかったな」
「本当ですね。ところで今さらですけど、大公閣下の色が入ってないのはいいんですか?」
リリスは改めてガーベラを見る。ドレスは黒一色である。
ランスロットの淡い金髪も水色の瞳のもその要素は一切ない。
「まだ付けておらぬが、イヤリングがアクアマリンだ」
「おおー、それならばっちりですね」
「うむ、さて、そろそろ気の早い招待客が来る頃だからわたくしは行く」
「もう?」
「ホストであるから忙しいのだ。ここへはお前に一番にドレスを見せたくて寄っただけだ」
「ガー様」
一番に見せたくて、と言われ感動して再び目が潤むリリス。
「こら泣くな。場は温めておいてやるから、お前は主役らしく後から登場するのだぞ」
「えっ、トリってことですか? それはかえって緊張するのでは」
「何とかなる。最悪ラズロ伯爵令息が何とかする。伯爵家嫡男として場数は踏んでるはずだからな。だから案ずることはないぞ、リリス」
「は、はい!」
「うむ、その意気だ。やつが来たら応接室に通すから二人で歓談でもしていろ。準備が出来たら呼びに行かせる」
「はい!」
「よろしい」
ガーベラは満足そうに頷くと部屋を出ていった。
優雅でありながら堂々とした後ろ姿。ホストで主役で四年ぶりの社交なのに、その輝きは微塵も揺らいでいない。
リリスは自分も及ばずながら胸を張ろうと思った。
身支度が終わり手持ち無沙汰にしていると、会場の庭から人の話し声が聞こえてくるようになる。招待客達が到着しだしたようだ。
この度のガーデンパーティーは渦中の大公夫人主催とあって、多くの貴族達が参加予定である。王都在住の家で欠席している家なんてないんじゃないだろうか、というほど大規模なものとなった。
パーティーの最終盤には王太子も顔を出すらしい。
ガーベラからパーティーについて聞いたランスロットは呆れ返ったが止めたりはせず、費用や警備面では力を貸している。
(閣下からすれば、ガー様は危なかっしくて仕方ないんだろうな)
目が離せなくなって惚れてしまったのかなあ、なんて思う。
窓から庭を窺うと、ガーベラの横に寄り添って客に囲まれているランスロットが見えた。
時折ガーベラの耳に何かを囁いているのも分かる。愛の囁きっぽくしているが、ガーベラの笑みは作られたものなので、耳にふきこんでいるのは対面している貴族の情報なのだろう。
ガーベラはその情報を元に、素知らぬ顔で会話を続けている。
なんかいいなあ、と思うリリス。
支え合う夫婦って感じだな、とニマニマしているとシオンの到着が告げられて、リリスは応接室へと向かった。
「とても素敵です」
ソファから立ち上がって迎えてくれたシオンは開口一番でリリスを褒めてくれた。
「流行りとは真逆なんですけど」
そう言いながらリリスは自分の全身を見回す。
リリスが纏うのはコーラルピンクのふんわりとした形のドレスだ。
ガーベラのドレスとは違って、こちらにはレースやリボンは使っておらず装飾はフリルだけである。襟口にたくさんのフリルがあしらわれており、袖はリリスの好きなパフスリーブで花のつぼみのようになっている。
スカートはウエストで一旦広がった後、裾を絞るぽこんとした形で、こちらもつぼみを模している。スカートの絞りの部分にはもちろんフリル。
ここ最近のシンプル細身ドレスとは対極なドレスだ。
「正直、私は女性の装いには疎くて、あまり違いが分からないんです。ですが似合っているのは分かります。お似合いですよ」
「ありがとうございます」
シオンらしい実直な褒め方にリリスはほっとした。
この人のこういう所、いいなあ、と思う。
思ってから、いいなあ、って何だとドギマギもする。
シオンとは二週間ぶりである。
エスコートしてくれることが決まってから一度会って、お互いの衣装を確認しあった。
本日のシオンは青に近い紺色のスリーピースで、ポケットからリリスのドレスに合わせたピンクのハンカチーフをのぞかせていた。
「シオン様も、か、かっこいいですね。ハンカチも私のドレスに合わせていただき、ありがとうございます」
褒めながら、かあっと顔に熱が集まってしまい、リリスは思わずシオンから目をそらした。
どうしよう、なぜ火照っているのか。
(困るなあ……)
絶対に、針で指を突いた時に考えてしまった変な考えのせいだ。
エスコートを申し出てくれたのにも、もしや……なんて思ったりした。
しかし最終的にはサイラスの名前が出てきて困っている自分を助けてくれたのだ、という結論にリリスは至っていた。
だからドキドキしてしまうのは困るのだ。
ちらりとシオンを伺うと、シオンも顔が赤い。
「と、とりあえず、座りましょうか」
「は、はい、そうですね」
ソファに腰掛ける二人。
「あ、待っている間にお茶もどうぞ。侍女の方が淹れてくれました」
「はい」
ソファの前のテーブルには二人分のお茶が用意してある。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
口を開いたのはシオンだった。
「今日は強引にエスコート役をもらってしまい、すみませんでした。あの申し出は断りづらかったですよね」
「そんな、そんなこと、ないです。う、うう嬉しかったですよ」
声が上擦るリリス。答えながら、嬉しかった、って何だと思って真っ赤になる。
(ひええ、何だこれ)
リリスは焦った。
これではまるでシオンに恋してるみたいだ。
聞いてない。そんなの聞いてない。
マズい、マズいぞ、と思ってシオンを見ると、シオンも真っ赤だった。
何かを期待するような目でリリスを見ている。
(やめて、そんな目をしないで。こっちが期待しちゃうじゃん)
ガーベラのせいで涙腺が緩んでいるリリスの瞳が潤む。
「俺のエスコートを受けてくれたのは、サイラスさんのエスコートが嫌だったからだと思っていたんですが」
シオンが真っ赤なまま聞いてくる。
本来は一人称が私じゃなくて俺なんだ、なんてどうでもいいことに気付くリリス。
「その、少しは期待しても……?」
「へっ、き、期待?」
びっくりして聞き返すとシオンは真っ赤だけど真面目な表情になった。
「すみません。今のは姑息でした。その、俺……私はリリス嬢に好意を抱いています」
「ふあっ」
己の変な考えがまさかの当たりだった。
「あなたが閣下を好きだと思い込んでいた時から、あなたが好きです。だからこのエスコートは義務感とか友情からではなく、少しでもあなたに近づきたいと申し出ました。なのでリリス嬢に嬉しいと言われればその先を期待します。期待してもいいですか?」
今や真っ赤っ赤になったシオンが真っ直ぐにリリスを見つめてくる。
(ひええええええっ)
見つめられたリリスも真っ赤っ赤になった。
(いいですよ、って言っちゃっていいのかな? えっ、でもいいのかな? いや、ちょっと待って、その先って何? はっ、まさかキスとか!? いやいや、それはまだ早くない? ………………ねえリリス! まだ早いって何!? キスをするつもりなの!?)
ぐるぐる考え過ぎてリリスは目が回ってきた。
「困らせてしまってますね」
シオンの目が悲しそうに揺れる。リリスは慌てて口を開いた。
「あのっ、その先って何ですか?」
「えっ」
「その先、です。こ、好意を返せるかは分かりませんが、内容によっては、その先を期待してもいいです」
言いながら何様のつもりだ、何を言ってるんだと、自分で自分に呆れる。
でも言ってしまったものはしょうがない。
リリスがじっとシオンを見上げると、シオンは相変わらず真っ赤なまま目をそらした。
「その先は……えーと、デートに誘いたいなと思ってました。お昼にお迎えにあがって、前みたいにリリス嬢の見たい店を巡ってからカフェでも行けたら、と。きちんと日が沈む前には解散する健全なデートです」
恥ずかしそうにシオンが言う。
「日が沈む前に解散する健全なデート」
思わず繰り返すリリス。こうして繰り返すとちょっとおかしい。
リリスはふふっと笑った。
それなら出来そうだ。
「そういう、その先、でしたら期待していただいてもいいですよ」
笑ったせいか、返事は滑らかに返せた。
「本当ですか!」
嬉しそうにするシオンが嬉しい。
「出来たらシオン様の好きな場所にも行きたいです」
「はい! 是非!」
双方、真っ赤なまま、リリスとシオンのデートが決まった。
「…………」
「…………」
決まると恥ずかしさがこみ上げてくる二人。向かい合ったまま顔を俯かせる。
「……リリス嬢、とりあえず、お茶を飲みましょうか」
「そ、そうしましょう」
二人はそろりと紅茶のカップを手に取った。
「これからパーティーなのに気持ちを乱してしまいましたね。すみません。本当なら帰り際にもっとスマートに誘うつもりでした」
何となく無言でお茶を飲んでからシオンが言う。
「びっくりしましたけど、でもパーティーへの緊張は吹っ飛びました」
「そうですか。なら、よかった、かな?」
「はい、多分、よかったです」
照れながら笑い合っていると、大公家の執事がそろそろ行きましょうかと呼びに来た。
リリスは、はにかみながらもシオンの腕に手を乗せてパーティー会場へと入る。
会場の人々の視線が一斉に突き刺さるが、先ほど散々真っ赤になったので、もはやこれくらいは平気だ。
「リリス! こっちだ!」
ガーベラがぶんぶんと手を振って呼んでいる。
リリスは笑顔で応えてエスコートされながらそちらへと足を進めた。
「…………?」
歩きながら異質な視線を感じて振り返ると、一人の青年と目が合った。
相手の青年は振り返ったリリスにぎょっとしている。
(誰だろう? 見たことあるような……)
だが、思い出せない。
リリスは青年にぎこちなく曖昧な笑みだけ浮かべると、前に向き直る。
そして向き直ってから気付いた。
(しまった、あれ、元婚約者だ)
と。
「………………」
がっつり無視をしてしまった。きっと誰だか分からなかったこともバレただろう。
(…………まあいいか)
どういう対応が正解だったかは分からないし、所詮その程度の縁だったのだ。気にすることはない。
リリスはゆったりとガーベラの元へ向かった。
Fin
お読みいただきありがとうございます!
こちらで完結です。
ブクマや評価、いいね、感想、誤字報告、いつもありがとうございます。いつもいつも感謝しております。
こちらは、人形を愛でる男を書きたいなあ、という変な衝動から書き出したものでして、だから書きたかったのは28話29話あたりです。
やっと書けるとハァハァしながら書きました笑
因みに18話は泣きながら書きました。通勤電車で改稿しながらもうっすら泣いた。隣の人は怖かったと思う。
そして実はこの話、構想当初はガーベラは死んでる設定だったんです。でも書き出すと「えっ、そんな悲しい設定ムリ」となってそれなりに葛藤した後、生きてることにしました。
後半は予想外にシオンを弄んでしまった。けっこう楽しかった。作者の中では、サイラスルートもまだあると思う。いろいろ妄想しちゃいますね。
そんな好き放題した作品でしたが、楽しんでいただけたかな?
何度もなりますが、ここまで読んでいただきありがとうございました。




