25.呆けておらずに何か言え
ここにきて、ガー様とランスロットを会わせる作戦は一気に進展をみせた。
コネや伝手は大切である。特に貴族社会においては。
リリスは王太子の成人の儀式の二日前に大公の屋敷でランスロットに会えることになった。
シオンが儀式での結界を張る任務の前にどうしても相談しておきたいことがあると、ランスロットの時間を融通してもらったのだ。
シオンが言うには、承諾したランスロットの表情は清々しかったらしい。最期を決め、その残りの人生を後輩の育成に使おうとしているようで、リリスとしては不安が募る。
そわそわしながら迎えた約束の日。昼下がりにリリスはシオンと貸衣装屋にて合流した。
ここでリリスがお仕着せに着替えてから、大公家に向かう計画なのだ。ランスロットに面会するのはあくまでもシオンだけなので、リリスはお付の侍女として行くのである。
貸衣装屋に並ぶお仕着せには、クラシカルなものや可愛さに特化したものもあって胸が踊る。
ガー様のことが決着して落ち着いたら、こういう人形ドレスを作ってもいいかもしれないな、なんて思いながらリリスは普通のお仕着せを選んだ。
「うん。いいんじゃないかな」
更衣室でさっそく着替えて鏡に映った自分は、ちゃんと侍女っぽい。
地味な顔と雰囲気が役に立ったなあ、と誇らしげに出てきたリリスだったのだが、待っていたシオンはリリスを見るなり盛大に眉間に皺を寄せた。
(あれ?)
ばっちり侍女になれている、と思ったのにダメだっただろうか。シオンはまるで何かに耐えているような、ものすごく険しい顔である。
「変ですか?」
「…………いえ」
そう言ったシオンは両手で顔を覆ってしまった。
「あの」
「俺、サイテーだ。何考えてんだ……」
ぶつぶつと呟くシオン。
何を考えたんだろう。悪口だろうか。
「そんなにダメでしょうか? けっこう似合ってると思うんですけど」
リリスはしょんぼりして聞いた。
因みにリリスとしては、“似合っている”は“可愛い”という意味ではなく、“それっぽくなっている”の意味である。
「ダメではないです! とても似合っています」
リリスの問いかけにシオンは間髪いれずに肯定してきた。
もちろんシオンの方の“似合っている”は“可愛い”の意味だ。先ほど考えたのも悪口ではない。男の夢とか浪漫的なやつである。
「そうですか、よかった。じゃあこれでお願いしますね。ところで、今日はシオン様のことは、ご主人様、と呼べばいいでしょうか?」
リリスはシオンの言葉を“それっぽくなっている”と解釈してほっとしながらシオンへの呼びかけ方を聞いた。
「!」
息をのむシオン。顔が変だ。
「旦那様の方がいいですか?」
「!!」
「すみません、旦那様は違いますよね。あ! 坊ちゃま、かな」
「………………………………」
なんかがっかりされた気もするけど、シオンは当主ではない。坊ちゃまが正解だろう。
「坊ちゃま?」
「そこは、シオンのままでいいと思います」
答えたシオンの声は低く唸るようだった。
年上だから坊ちゃまはまずかったんだろうか、と反省しながらリリスはシオンと共にラズロ伯爵家の馬車へと乗り込む。
シオンはしばらくの間、妙にぎくしゃくしていて、リリスはランスロットに会うのに緊張しているのだと思った。
❋❋❋
ラズロ伯爵家の馬車で大公家へと乗り付ける。あっさりと門が開き、広い庭を横切って屋敷へと向かう。
(か、簡単……)
流れる庭園の景色を見ながらリリスは感動すると同時に、これまでの苦労を思うと複雑な気分になった。
手紙を送り、屋敷付近をうろつき、図書館で魔法を調べ、夜会でアタックまでした自分は何だったのだろうか。
(ううん、リリス。これまでがあったからこそ今があるのよ。だから無駄なんかじゃない)
自分を鼓舞して顔を正面に戻すとシオンと目が合った。
「シオン様。今日は本当にありがとうございます」
「お礼はまだ早いですよ。無事に閣下に会えてからにしてください」
いつものシオンだ。リリスの顔は自然に綻んだ。
シオンのアメジストの瞳が揺れて、きゅっと唇を結びなおした。
「気を緩めないでくださいね。あなたに聞こえるという、人形……いえ、ガー様の声は私には聞こえません。なので閣下との対面中、私には何も出来ません。私は誤魔化すのは苦手ですし、部屋に入ったらリリス嬢はすぐに前に出て、追い出される前に本題を告げるのが良いと思います。いいですか?」
「はい」
「よろしい、では、行きましょう」
屋敷に着き、シオンが馬車から降りる。リリスもそれに追従した。エスコートはない。
本日のリリスはシオンの侍女という体なので、粛々とシオンの後に続く。
リリスは布に覆われた荷物を持っていて、この荷物がガー様だ。本日のガー様は黒のドレスに身を包んでいる。
「ようこそ、ラズロ様。閣下は執務室でお待ちです」
大公家の執事が出迎えてくれて、リリスの持つガー様にちらりと目をやった。
「そちらは?」
「閣下へのお土産です。今日はわざわざお時間をいただきましたので」
「お預かりしましょうか?」
「いえ、とても貴重で大切なものなので、このままお持ちします」
シオンがにこやかに言うと執事はすぐに引き下がった。
大公家の廊下を進む。
「ガー様、今度こそ会えますね」
廊下を進みながらリリスは、そっと包みに話しかけた。
『うむ……』
ガー様の歯切れは悪い。
「どうしました?」
『リリスよ。最悪、あの男が何も信じない時は、自死だけでも止めてくれ』
ガー様がいつになく自信なさげだ。リリスはぎゅうっとガー様を抱きしめた。
「大丈夫です。私が絶対になんとかします」
小声で、しかし力強くリリスは言った。
ほどなく二人はランスロットの執務室へと案内された。
執事のノックに中から返事があり、シオンとリリスは部屋へと通される。
ランスロットは奥の執務机に座っていた。
淡い金髪は無造作におろされ、ラフな服装である。
机の上はたくさんの書類が積まれていた。
「シオンか、すまない。儀式の準備で今夜から城に泊まり込みになるから、領地と屋敷のことを片付けている最中だ。ソファに座って少しだけ待ってくれ」
ちらりとシオンを認めたランスロットが言う。
口調は暗くなく、からりとした明るさまで感じられた。だが、どこか空虚だ。
リリスは抱えるガー様が震えた気がして、もう一度ぎゅっと力を込めた。
「無理を言ったのはこちらですので」
シオンが答えながらリリスに目配せをする。
リリスはごくりと唾を飲み込んで、執務机へと向かった。
「なんだ? シオン、彼女は?」
シオンではなく、侍女姿のリリスが歩いてくるのに気付いたランスロットは咎める視線を向けてきたがリリスは立ち止まらなかった。
「閣下、お叱りは後でいかようにも。危険はないと判断して連れてきました」
「危険だと?」
シオンの答えに険しい顔になるランスロット。リリスはびくつきながらも執務机の前まで来た。
ガー様から布を外し、机の上に置いてから後ろへ下がる。
ランスロットは厳しい目つきでガー様を一瞥した。すぐにその目に驚きと悲しげな光が宿る。
「……これは」
「見覚えはありますか? ガーベラ夫人が持っていた人形です」
リリスは一音一音、はっきりと聞き取りやすいように伝えた。
「この人形の中に、夫人の魂が入っているんです」
そう言った途端、ぶわりとランスロットから殺気が立ち上がった。
「っ……」
リリスの足が竦んで、背中に冷や汗が噴き出す。
いつかのサイラスのなんか比べ物にならないくらい、激しい怒りを含んだ殺気だ。
「か、閣下」
背後でシオンが焦っているのが分かる。
「よりによって、妻を持ち出すか!」
ランスロット立ち上がって怒鳴り、ビリビリと部屋の空気が震えた。
「しかもこのタイミングでっ」
だんっと机が叩かれ、机の上の書類やペンがガタガタと震える。本棚の本がバサバサと落ちた。
「閣下っ、魔力を抑えてください」
背後からシオンの切羽詰まった声。
リリスの頬に熱さが走る。反射的にそこに手をあてると、ぬるりと生温かい感触がした。
「リリス嬢、下がって! 閣下の魔法が暴走しています!」
「…………」
「リリス嬢!」
シオンの声は聞こえていたが、リリスは下がらなかった。
それどころか、リリスは無理やり足を動かしてさらにランスロットに近づく。
これが最後のチャンスなのだ。
殺気がなんだ。
頬が切れたくらいで怖気づいてたまるか。
何が何でもランスロットにガー様のことを話す。
絶対に信じてもらうのだ、口づけもしてもらう。
夜会の夜、クロークルームでシオンに言った“何でもします”は本心で本気である。
(何とかして説得するんだ。私が)
その瞬間、リリスは自分の身はどうでもよかった。リリスはガー様のことだけを思っていた。
強い思いにガー様が呼応して光る。
「リリス嬢!」
シオンがリリスを掴んで止めようとするが、リリスはそれを払いのけた。
そのまま執務机を挟んでランスロットに向き合う。
ガーベラは息を深く吸い込むと一喝した。
「このっ、ド阿呆が!! 女の顔に傷だと!? どう責任をとるつもりだ!」
そう怒鳴ったのはリリスだったが、リリスではなかった。
「……………………っ」
ランスロットが小さく短く息を呑む。
「しかも貴様、腑抜けた顔をしおって、それでも王族か? わたくしの死くらい乗り越えられなくてどうする。まあ、わたくしは死んでなどないがな」
ニヤリと笑うリリス。本来のリリスであれば絶対にしない凄みのある笑顔だ。
「……………………」
絶句するランスロット。水色の瞳が大きく見開かれる。
「呆けておらずに、何か言え」
「…………はっ、ガー、ベラ、なの、か?」
ランスロットは何度も浅く息を吐きながら聞いてきた。
「姿が変わっただけで、わたくしだと判らないとはお前の愛とはそんなものか?」
「まさ、か、ほんとうに、ガーベラ?」
ランスロットがおずおずと傷付けてしまったリリスの頬へと手を伸ばした。
「まだ疑うか、本当にどうしようもなく迂闊であるな。大体貴様がさっさと砦に来て、む? いかんな、持たん」
唐突に言葉が途切れ、がくんとリリスの体が前のめりになった。
倒れる瞬間、リリスの意識が戻った。
(私、今……)
意識は戻ったが、ひどい目眩がする。
(ムリだ。このまま、落ちる)
リリスの視界は暗転した。暗くなる直前、自分を抱きとめるランスロットが見えた。




