11.目の潰れそうな美しい男
本日2話更新です。こちらは2話目。
「ふう、びっくりしましたね」
化粧室へ入り、リリスはほっと息を吐いた。
『さっきの男の魔力、かなり統制されていた。あれはなかなかの魔法の使い手だぞ、リリス』
「そうですよ。あの方はシオン・ラズロ伯爵令息。魔法塔のエースでもあります。このままいくと大公閣下の副長官就任の最年少記録を抜くかもと言われてるんですよ」
リリスの説明にガー様の雰囲気がピリリとなった。
『はっ、リリスよ、何でも若くしてなれば良いというものではないぞ。あいつの魔力にはまだ少々のムラがあった。あの男の静かで暗い魔力とは比べものにもならんわ。大体だな、あの男は23才で副長官となった数年後に長官まで登りつめたのだぞ。あの若造がそこまでなってから比べるべきだ』
ランスロットが抜かれるかも、という言葉がガー様の機嫌を損ねてしまったようだ。
(なんか、可愛いなあ)
必死にランスロットの優位を保とうとするガー様にほのぼのしてしまうリリス。
「そうですね。さすがのラズロ伯爵令息でも大公閣下の実力には遠く及ばないでしょう」
『うむ! 分かればよい』
「ねー」
『何をニヤニヤしているのだ?』
「何でもないですー、さ、ラズロ伯爵令息も行ったことですし行きましょうか。彼が残って仕事をしていたということは魔法塔長官の閣下は必ず執務室に居ますよ、チャンスです、ガー様」
リリスは意を決して化粧室を出た。
再び暗い廊下を歩き出したリリス。先ほど感じた不安はもうなくなっていた。
ランスロットのことになるとムキになるガー様を見て、やっぱり何が何でも会わせてあげるべきだと思ったのだ。
シオンに声をかけられたが上手く乗り切れたのも大きい。リリスには次も何とかはなるだろう、という根拠のない自信が湧いてきていた。リリスは状況や人に流されやすいのだ。
ランスロットに拒絶されようが怒られようが一生懸命説明してみよう。
ガー様に妻しか知れ得ないような夫婦の事柄を聞いて話してみるのもいいかもしれない。
(うん。会いさえすればきっと何とかなる)
リリスは迷いのない足取りで廊下を突っ切り、二階への階段に辿り着いた。
ここまで来ると舞踏会のざわめきはかなり遠く聞こえた。灯りは消されており、窓からの月明かりだけでかなり薄暗い。
普段のリリスであれば尻込みするような展開だが、今のリリスにはガー様が居る。そのガー様を愛しい男と会わせるという使命まである。
『階段の先は右だ。そのまま進むと渡り廊下に出る。廊下は庭園からも見えるから壁側を進むようにしろ』
「はい」
リリスは階段を駆け上がると右に曲がる。
所々で灯りの漏れている部屋があり、二階の廊下は足音をたてないようにそろそろと進んだ。
部屋が途切れて渡り廊下が現れる。
リリスが窓の並ぶ側を避けてそろりと足を踏み入れた時だった。
「こんばんは、茶色い子猫ちゃん」
ひっそりとした妙に甘い男の声が響いた。
途端に冷たい何かがリリスの全身を貫く。
背中がぞくぞくして両足が止まった。
(えっ、なに!? 魔法?)
嫌な汗がどっと噴き出す。
「っ…………」
恐怖で叫びたかったが声も出ない。
リリスは、はくはくと口を動かす。幸いなことに息は出来た。
「あはは、びっくりしてる。魔法だと思ってる? 大丈夫だよー、俺は魔法は使えないんだ。これはねえ、殺気というものだよ」
陽気ともとれる楽しそうな男の声がすぐ背後から聞こえた。
つう、とリリスの首筋がなぞられる。冷たい革の手袋の感触がした。
「茶色い子猫ちゃんは何してたのかな? かくれんぼかな?」
笑みを含んだ声はどこか甘い。そして同時にぞっとするほど冷たい。
リリスの首筋をなぞっていた手がゆっくりと広げられてリリスの首を掴む。
このまま壁に押し付けられれば、その手で簡単に首を絞めれるだろう。リリスは全身の血の気がひくのが分かった。
「答えて?」
男の催促に何とか顔を回して、自分の首を掴む男を見た。
リリスの後ろには、窓からの月明かりに照らされて幻想的なまでに美しい男が一人立っていた。
神秘的な長い銀髪が肩から一筋流れ落ち、金色の瞳が妖しく光っている。広い肩や喉仏の浮いた首筋がなければ女かと思うほどの目が潰れそうな美人である。
「…………」
リリスは男の美しさに呆気に取られた。
「驚いてないで答えて? 黙るってことは黒なのかな?」
「っ……」
すりすりと首をなぞられてリリスは現実に引き戻された。
とにかく何かを喋ろうとしたが言葉は出てこない。
「ごめん、ごめん。どうやら殺気が強すぎたね? でもこの程度で喋れないってことはプロじゃないね?」
銀髪の男はとろりと微笑むと、殺気を少し緩めたようだ。それでも金色の瞳は底しれなく暗く冷たい。
「お喋りできるかな?」
首を傾げて男がリリスを見下ろす。
幼子に話しかけるような口調と暗い瞳がアンバランスで怖い。
リリスははっはっと浅い息しか出来なかった。
「うーん、俺、めんどうなのは嫌いなんだよね、始末しちゃおうかな」
「!」
パニックになりそうなその時、いつもより数段低く静かなガー様の声が聞こえてきた。
『リリス、この男がこの眼の時はマズい。勘もいいから話しかけるのはこれ以降止める。余計なことはもう考えるな。迷ったで通せ』
「まっ、ま、迷ってしまって」
ガー様の言葉に弾かれたようにリリスは答えた。
喋ったおかげで肺にしっかりと空気が入ってくる。
しっかりしなくてはと自分を奮い立たせた。
「迷った?」
「はいっ、春の舞踏会に参加していたのですが迷いました!」
「本当に?」
再びすりすりとリリスの首が撫でられる。
「ほ…………ほんとです」
「迷ってわざわざ二階に?」
「見下ろせば、ここがどこか分かるかなって」
「ふぅ~ん」
「ほ、方向音痴なんですっ」
「方向音痴ねえ……それはよく分かるな」
男が頷く。
どうやらこの美しい男は方向音痴らしい。殺気がぐんと和らぐ。
男はリリスの首から手を離すと、その手を自身の顎にあてて考えだした。
リリスはよろよろと後ろの壁にもたれかかる。腰が抜けそうなのだ。
「まあ、君は明らかに刺客や間諜の類じゃないもんねえ。過去に色仕掛け目的の女はいたけど、体つきからして違うしな…………いや、かえってこっちの方が閣下はそそるのか? お嬢もあんまり肉感的ではなかったしな」
ぶつぶつとした独り言が聞こえてくる。
「よりによってお嬢から受けた最後の命令が閣下を守れだもんなあ……果たさないことにはお嬢を追えもしない。はあ…………いっそ閣下殺そうかな。そしたら何の憂いもなくお嬢の元に死に行ける……………あれ? 名案か? いや、ダメだ、閣下を殺す俺から、俺が閣下を守ることになる。それは難しいよなあ」
聞こえてくる独り言が不穏だ。
しかも閣下とはランスロットのことではないだろうか。どうして殺すことになるのか分からないけれど、殺すとかは絶対に止めてほしい。リリスは生きている大公閣下とガー様を会わせたいのだ。
「あ、あああのっ、舞踏会会場はどちらでしょうかっ。迷ったので戻りたいのですが」
リリスは男から不穏な考えをなくそうと必死に話しかけた。
銀髪の男がリリスへと視線を戻す。
「そうだね、子猫ちゃんの処理が先だね」
にっこりしてくれるけど、その金色の眼は冷たく暗いままなのでやっぱり怖い。しかも“処理”ってなんだ、“処理”って。無駄に怖い言い回しをしないで欲しい。
「おいで、送ってあげよう。こっちだよ」
びくびくするリリスに背を向けて男が歩き出す。
(よかった。穏便な“処理”だった)
リリスはほっとして男を追おうとして、はたと止まる。
銀髪の男は渡り廊下をリリスが進みたかった方向へ、つまり舞踏会会場とは逆の方向へと歩き出していたのだ。
「…………」
(そっちは絶対に違うと思う……罠なのかな?)
どうしたらいいのかと途方に暮れるリリス。
「……ん?」
男はリリスの様子に気がつくとのんびりと周囲を見回した。
「間違えたね。こっちだよ」
そうして再びにっこりすると、今度こそリリスを舞踏会会場の手前まで送ってくれた。しっとりとしたダンスの曲が聞こえてくる。
「ここからは分かるよね」
「はい、ありがとうございました」
リリスはぎこちないが笑顔でお礼を言った。
どうやら危機は脱したらしいと安堵したのだが、男はリリスの方へと屈むと耳元でこう囁いた。
「気にしないで。でも次はないからね、子猫ちゃん」
「……は、はい」
「ふふ、大丈夫だよ。子猫ちゃんが真っ当な生活を送っていればもう二度と俺とは会わないはずだよ」
銀髪の美しい男はリリスの頭を撫でた。
指を髪の毛に絡ませる手つきは少しだけ官能的だ。
「ひゃっ」
リリスは小さく悲鳴をあげたが男は構う様子なく髪の毛をいじる。
「なんだろ、なんか懐かしいな君の手触り。俺達会ったことある?」
「ないです」
こんな目の潰れそうな美形、会うどころか見たこともない。
「だよねえ。ねえ、その人形さあ」
男の興味がリリスの抱えるガー様に移ってリリスはびくりと肩を竦めた。
「なんか気になるんだ、俺にくれない?」
「ダ、ダメです。すごく大切なんです!」
「そっか、残念。じゃあね」
男はついっとリリスの頬を撫でるとすぐに廊下の闇へと消えた。




