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高嶺の花 11


亀様が予告していたので、ボロボロのタイトにドレスの裾が砂埃まみれのレリィスアが現れても、ドロードラング領屋敷執務室にいた面々は驚かなかった。


「レシィを俺の嫁にもらったから」


亀様転移でレリィスアを連れ帰ってすぐにタイトは当主に宣言した。

すると侍従長のクラウスは当主サリオンに了解を取って部屋を出て行く。そしてサリオンはボロボロのままのタイトに近づきながらレリィスアに微笑んだ。


「良かったね、レシィ」


そう言ってサリオンが治癒魔法を唱えるとタイトの傷はあっという間に治った。


「はあ?ちょっと待ちなさいよ。教師の件は?」


作業着姿で優雅にお茶を飲んでいたサレスティアがカップを置く。


「まずは俺の嫁だ。レシィの仕事についてはサリオンに頼む事もあるだろうが、お嬢は黙ってろ」


「だからあんた言い方を気をつけなさいっての!?」


「じゃじゃ馬に気を使っても何にもならねぇだろうが! レシィに何を教えたんだコラ! 観客もいる前で手すりを飛び越えたんだぞ!」


それを聞いたサレスティアは明後日の方を向いて音の出ない下手くそな口笛を吹いた。


「なななななに言ってんの? どどどこからでも逃げられる訓練は大事じゃないの」


「……ドレスの裾も引っかけないとか、どれだけやらせたんだよ?」


ああん?と続けたタイトにサレスティアはだらだらと汗を流しながら目を合わせない。


「まあまあ。うちの子供たちと遊ぶのにそれくらいできないと付いて行けないでしょ。それにお城や学園じゃしなかったんだから、ちゃんと姫としてやりきったじゃないか」


ルイスがタイトを軽く窘めながらもレリィスアに良かったねと席をすすめた。

しかし、レリィスアはそれを断った。タイトも少し驚く。


「祝福をもらったのにごめんなさい。今はタイトを休ませたいの」


しっかりつかまえられたままのレリィスアにはタイトのふらつきが全部伝わっている。傷は塞がったが体力は試合後そのままだ。結婚の約束も祝福も嬉しいのだが、いつ倒れるかと気が気ではない。


「しまった……まだ家を用意していなかった……」


タイトにそんな事は後でいいとレリィスアが言いかけた時。


「あ、準備できたみたい。優勝したから家は僕からの褒賞とするね。家具は最低限しかないから他に必要な物は姉上に請求していいよ」


は!?ちょっと!とサレスティアがサリオンに駆け寄るところで風景が変わった。

窓がひとつにベッドと簡素なドレッサーがあるだけの小さな部屋。


《ここが寝室だそうだ。タイトよ、横になれ》


亀様の説明にタイトの体が重くなる。レリィスアは慌ててタイトを支えた。

ベッドにのろりと横になったタイトはすぐに寝付かずにレリィスアをベッドに座るようにポンポンと端を叩いた。

二人で上がっても少し余裕のあるベッドが嬉しくも少し恥ずかしい。少しだけ躊躇ったのち、レリィスアは素直に座り、タイトの前髪をそっと直した。


「ゆっくり眠って」


「ああ……バタバタして悪いな」


「そんな事……ドロードラングでは日常だわ」


おどけてみせたレリィスアにタイトもそうだったと笑う。

その素直な笑顔にレリィスアはとても新鮮な気持ちになった。なかなか見られなかった笑顔に、本当にタイトと結ばれるのだと実感する。


そっと、タイトの手がレリィスアの頬に触れた。


「夢じゃない……」


自分の心の声が漏れたと思った。タイトがそう言うとは思わなかった。レリィスアの心が、恋心がふるえた。


タイトに優しく引き寄せられる。タイトの両手に包まれた。大きな手に触れられた耳が熱い。


そして。

唇が触れた。

また、触れる。

また。


自身を支えていた腕の力の入らなくなったレリィスアは、タイトの胸の上にしなだれかかった。

それをタイトは己の腕で囲う。

レリィスアの涙が止まらない。

喜びで止まらない。


「あーあ。初夜のベッドが埃っぽくなっちまったなぁ」


レリィスアの涙がびたりと止まった。

むくりと起き上がったレリィスアは、もうひとつあった枕をタイトに投げつけた。


「ばか~!」


そうして部屋を出て行ってしまった。

しかし、腕まで真っ赤になっていた姿が可愛いくて、タイトは一人で悶えた。


とうとう手折った高嶺の花は今日もいとおしい。

唇の感触を思い出しながらタイトは大きく息を吐いた。





寝室を飛び出したレリィスアは、深呼吸をして心を落ち着けてから新居を探索し始めた。全部合わせても王城の自室よりも小さい平屋造り。何度も行ったり来たりを繰り返し、これからの生活を想像した。


コンコンと鳴った玄関の扉を開けてみるその行為すらレリィスアにはくすぐったいもの。

扉の向こうにはドロードラングの侍従長、クラウスが立っていた。執務室をすぐに出て行ったのはこの家の準備の為だったと思い至る。


「クラウス、ありがとう。とっても素敵なお家だわ。サリオンにもお礼を……あ!」


これから自分は姫ではない。平民になれば、クラウスにもサリオンにも今までのように接っする事はできないのだ。さっそくの失態だとレリィスアは恥じ入った。


「喜んでもらえたようで何よりです。どうぞ遠慮せずにお好きに飾り付けてください」


いつもの穏やかな笑みにレリィスアはホッとした。


「レリィスア様をお迎えできて領民一同、とても喜んでおります。タイトをよろしくお願い致します」


「こ!こちらこそ!ふ、不束者ですが、よろしくお願い致します」


二人で見本というべき綺麗なお辞儀から直ると、お互いに小さく吹き出した。


「今夜はご馳走だそうですよ。料理長のハンクが張り切っていました。たくさん召し上がっていただけるように、今はどうぞお休みください」


クラウスのいつもの様子にレリィスアも自身の疲れを自覚する。今日はずっと気を張っていた。

だからいつもなら皆が来るのにクラウスしかいないのだろう。レリィスアはその思いに甘える事にした。


そうしてまた寝室を覗く。タイトの規則正しい寝息に、レリィスアは髪飾りを外してドレッサーに置いた。櫛が無いので手櫛で髪をほどき、一瞬迷ってドレスのままベッドに入った。

どうせタイトも埃だらけだ。洗濯するのはかわらない。

それに、まだ下着姿を見せるのはとてもとても恥ずかしかった。


隣でごそごそとしてもタイトは仰向けのまま寝ている。横向きになってその横顔を見つめる。


望んで望んで諦めるしかなくて、でもしぶとく諦められなくて、諦めることを諦めた。

自分が望まれたとは、まだ信じられない。


タイトはレリィスアの高嶺の花。


だらしない程に頬が弛んでいる。先ほどタイトに触れた自身の唇に手を添えたまま、レリィスアは眠りについた。











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