高嶺の花 8
タイト視点。
「始め!」
騎士団長の号令とともにシュナイルが飛び込んで来た。
それは常の訓練と同じだが、いつもはある剣が無いだけでタイトの遠近感が狂った。
シュナイルの右の拳を木刀の腹で受け止める。しかしその衝撃は想定より弱く、タイトは後ろに跳んだ。寸前までいたそこをシュナイルの左足が通る。
体幹が狂わずに動くシュナイルにタイトは感心し、振り抜いた足のせいで視界が狭まっただろうシュナイルに木刀を振り下ろした。
しかし、遠心力を使ってさっと振り向いたシュナイルは木刀の腹を掌で叩いて弾くと踏み込み、頭突きを狙ってきた。
だが木刀を弾かれた瞬間に体を沈みこませたタイトが、今度は木刀でシュナイルの踏ん張った足を払いにいく。
それを察知したシュナイルは頭突きの勢いのまま前に飛び込み、地面に一度転がって体勢を整えた。
向かい合って息を吐く二人に会場は湧いた。
「全く、かすりもしないとは」
「そりゃあ、こっちの台詞だ」
さてどうしたものかとタイトは木刀を握り直す。得物がある分有利なはずだが、素手に弾かれるとは。シュナイルは元々生真面目な男ではあるが、鍛えた甲斐があるとここでもタイトは嬉しくなり、今度はタイトから飛び出した。
―――んー。シュナイルは、クラウスさんとコムジを足して三で割った感じ……か?
お互いに決定的なものが決まらず、付いたり離れたりを繰り返すうちに、ふと、マークがシュナイルについて言っていたのを思い出した。
「……例え下手か」
「雰囲気で良いって言ったろうがっ!?」
夜、屋敷の男部屋にいた連中は全員笑ったのでマークが慌て、その姿もまた笑いを誘った。
「いやお前だけだろ」
「へんっ!」
マークは不貞腐れてタイトのベッドにふて寝をしてしまった。
「それってさ、俺の割合はどれくらいなの?」
腹を抱えたコムジが聞けば、マークはあっさりと起き上がった。
「クラウスさんが五、コムジが五だな」
「……余計に分からん」
「集中特訓で頭が馬鹿になってんだよ。タイトはもう寝ろ!黙って寝ろ!」
「じゃあお前は家に帰れ。俺のベッドから降りろ」
「だってルルーも子供もこれから女子部屋に泊まるから、家に帰っても寂しいんだよー!」
「知るか退け」
「ニックさん!こっちに泊まって良いですよね!?」
「簡易ベッドは自分で持って来いよー」
やったー!と嬉々として大部屋を出て行くマークに、笑いが起きた。
「マークはじいちゃんになってもあんな感じなんだろうね」
コムジが微笑ましく出入り扉を見る。タイトも口にはしなかったが同意である。
「マークの言った意味は分かったか?」
ニックが自分のベッドに座りながらタイトに聞いてきた。疲れ過ぎて正直よく分からない。だが、分かったような気もする。
「ま、今分からんでもシュナイルとやる時に思い出せばいいよ」
その後のやり取りを覚えてないのでそのまま寝たのだろう。そして今の今まで忘れていた。
クラウスさんが五、コムジが五で、足して三で割る……なるほどね。
ゴッ!
シュナイル渾身の正拳突きで、タイトはガードした両腕ごと吹っ飛ばされた。シュナイルがまさかという表情をしたのをどこか面白く思いながら、着地する。
「三、三、四の四だな」
上にしていた左腕がびりびりと痺れているが、タイトはそう呟くと木刀を場外に放った。
シュナイルと審判のハーメルス騎士団長がポカンとした。
しかしシュナイルは眉間に皺を寄せる。
「ここで素手になるとは……俺も軽く見られたものだ」
シュナイルの言い分はもっともだが、タイトにそのつもりはない。
「いいや。素手のお前には武器が邪魔だと分かったんだよ」
「……ほぅ?」
「証明できるぜ?」
シュナイルが小さくニヤリとした。どうやら本気で怒らせたようだ。腰を低くした一瞬後にシュナイルがタイトの目の前に迫って来た。
左の拳がタイトの耳をかすり、顎を狙った下からの拳はシュナイルの頬を縦にかすった。
二人同時に飛びずさる。しかし視線はお互いに外さない。
「確かに、動きが変わったようだ」
「やれやれ。もう少しビビってくれよ」
「本気のタイトとやりあえるなら、やはり出場した甲斐があったな」
「……ほんと、騎士なんて馬鹿ばっか……」
こうして殴り合いが始まった。
拳を、蹴りを繰り出し、避けて避けられ。
タイトは当たらない事が楽しくなってきた。自分も馬鹿だったと、思考のどこかで小さく呆れた。
ゴガッ
お互い利き手は右であり、やはり力の入りが容易い。
今シュナイルの右拳は避けなかったタイトの左頬を打ち、タイトの視界がブレる。しかしタイトの右拳の勢いには何の影響もなく、シュナイルの左頬を打った。
ほぼ同時だった殴り合いは若干シュナイルをよろめかせた。
それでもシュナイルの体勢の立て直しは早く、すぐさま左拳がタイトの腹を打つ。
タイトの喉を何かがせりあがった感じがあった。が、ニックやラージスに殴られた時に比べれば序ノ口である。これがトエルだったならタイトには耐えられない。
集中特訓で、耐えられない状態までの限界を自分で把握できた。自分の終の住処には鬼ばかりがいると毎晩ベッドに入る度に思った。
今、目の前にいるのはその鬼達ではない。
それだけで、自分も含め誰もが強い男と認めるシュナイルを相手にしても、タイトの心には楽しいと思える余裕があった。
マークの言った通りだとタイトは少しだけ感謝した。
クラウスの素早さには届かない。
コムジのような体幹でも、手数が多くても、力は及ばない。
総合力ではタイトの方が劣るのだろうが、持久力と腕力だけは自信がある。あのマークとずっとやり合って来たのだ。
殴り合いが始まってからは純粋な耐久戦だ。
シュナイルにやられた技をすぐさま返していく。
農業で鍛えられた足腰はそれを可能にしてくれる。
目の前の男を倒す。
その先にあるものに蓋をして、タイトは集中した。




