第21話 80歳のYouTuber(前編)
12月の寒空の下、世界有数の電気街・秋葉原は、熱気と電子音に包まれていた。
大通りを歩く人々の視線が、一点に集中している。
その先にいるのは、真冬だというのにへそ出しのショート丈ダウンジャケットを着こなした、金髪の美女だ。
「Wow! Look at that!(あれ見て!) あのグラフィックボード、日本限定モデルじゃない!?」
エミリー・ローレンスは、ショーウィンドウに張り付き、子供のように目を輝かせていた。
所長の阿部邦彦は、その背後で大量の紙袋を抱え、死んだ魚のような目をしている。
「……おい、カナダ。いつまで連れ回す気だ」
「デートでしょ? 文句言わないの、ダーリン」
「誰がダーリンだ。これは『業務用の備品調達』だと言ったはずだ」
「備品よ。私のゲーミングPCを最強にするためのね!」
エミリーは阿部の腕に自分の腕を絡ませ、強引に引っ張っていく。
彼女が『デジタル・アーカイブス社』に居候を始めてから数日。事務所の静寂は完全に破壊された。
彼女は朝から晩までEDMを爆音で流し、ジャンクフードを買い込み、そして阿部をこうして連れ回す。
阿部にとっては災難だが、端から見れば美男美女の国際カップルに見えなくもない。
「次はあっち! ジャンクパーツ屋に行きたいわ!」
「……勘弁してくれ」
二人は路地裏の雑居ビルに入った。
埃っぽい店内には、コンデンサや基板が無造作に積まれている。
エミリーは宝探しでもするかのように、ガラクタの山を漁り始めた。
「ねえクニ、知ってる? 古いマザーボードのコンデンサって、独特の匂いがするのよ」
「知らん。……早くしろ」
「冷たいわねえ。……あ、これ! 探してた真空管!」
彼女は小さなガラス管を掲げて微笑んだ。その笑顔は、秋葉原のネオンよりも眩しい。
阿部はふと、思う。
この底抜けの明るさは、どこから来るのだろうか。
彼女もまた、遺品整理という「死」に触れる仕事に関わっている。それなのに、彼女の周りには常に「生」のエネルギーが満ちている。
「……腹減ったな」
「Me too!(私も!) ケバブ食べましょ!」
二人は屋台でケバブサンドを買い、公園のベンチに座った。
スパイシーなソースがたっぷりと掛かった肉にかぶりつく。
「ん~! Yummy!」
「……口の周りについてるぞ」
阿部が無造作に指で拭ってやると、エミリーは一瞬だけきょとんとし、それから悪戯っぽく笑った。
「Are you hitting on me?(口説いてるの?)」
「拭いただけだ」
「ふふ。……ありがと、クニ」
エミリーは阿部の肩に頭を預けた。
冷たい風の中で、彼女の体温だけが温かい。
奇妙な安らぎを感じていた阿部だったが、その時、スマホが震えた。
事務所の石川彩からだ。
『所長、依頼人です。……ちょっと、急ぎみたいです』
阿部はケバブを飲み込み、立ち上がった。
「行くぞ、エミリー。仕事だ」
「OK! 今日のデザートは事件ね!」
エミリーも跳ねるように立ち上がり、残りのケバブを口に放り込んだ。
事務所に戻ると、重苦しい空気が漂っていた。
ソファに座っているのは、神経質そうな中年の男性。
牧村健一さん。大手商社の管理職だという彼は、貧乏揺すりをしながら腕時計を気にしている。
「……遅いですね。約束の時間は過ぎてますよ」
「申し訳ありません。……所長の阿部です」
阿部が頭を下げるが、健一さんは鼻を鳴らすだけだ。
その足元には、段ボール箱が3つ積まれている。
「単刀直入に言います。詐欺の証拠を見つけてください」
「詐欺、ですか?」
「ええ。先日、父が死にました。団地での孤独死です。死後2週間、誰にも気づかれずに腐っていましたよ」
健一さんは、実の父の死を、まるで汚らわしいゴミの話でもするかのように語った。
「警察から連絡があって、しぶしぶ遺品整理に行ったら……部屋中、ゴミだらけでした。弁当の空き箱、カップラーメンの容器、酒の空き缶。……そして、これです」
健一さんが段ボール箱を蹴った。
中から転がり出たのは、高価な撮影機材だった。
一眼レフカメラ、三脚、照明用ライト、高性能なマイク。そして、ハイスペックなノートパソコン。
「父は80歳です。認知症の疑いもありました。そんな年寄りが、こんなプロ用の機材なんて使えるはずがない。……きっと、悪徳業者に騙されて買わされたんです。『これを買えば儲かる』とか言われて」
「……」
「父は昔からそういう人間でした。見栄っ張りで、新しいもの好きで、家族には迷惑ばかりかけて……。母が死んでからは疎遠にしていましたが、まさか最期までこんな負の遺産を残すとは」
健一さんは憎々しげに吐き捨てた。
「このパソコンのデータを解析して、業者とのやり取りや、購入履歴を見つけてください。クーリングオフ……は無理でも、訴訟を起こして金を取り返してやる」
阿部は黙って機材を拾い上げた。
カメラを構え、レンズの状態を確認する。
手垢がついているが、レンズ自体は綺麗に磨かれている。
「……おい、エミリー」
「What?」
「これを見ろ」
阿部は機材をエミリーに渡した。
エミリーはカメラの設定画面や、マイクの接続端子をチェックし、口笛を吹いた。
「……Nice gear.(いい機材ね)」
「どう思う?」
「これ、ただ買わされただけじゃないわよ。……使い込んでる」
エミリーはカメラのグリップ部分を指差した。
「ここ、摩耗してるでしょ? 毎日何時間も握ってないとこうはならない。それに、設定もマニュアルモードで細かく調整されてる。露出、ホワイトバランス、フレームレート……素人の設定じゃないわ」
「なんだと? 父は機械音痴だったんだぞ!」
健一さんが反論するが、エミリーは首を振った。
「お父さん、本気だったのよ。……何かを撮ることに」
阿部はPCを起動した。
パスワードロックがかかっている。
阿部はいつものように解析ツールを接続した。
「……中身を見るぞ」
数分後。ロックが解除された。
デスクトップには、無数の動画ファイルが保存されていた。
ファイル名は『TEST_001』から始まり、『Vol_358』まで続いている。
数百本におよぶ動画データ。
「なんだこれは……」
阿部が最新のファイルをクリックする。
再生が始まった。
画面に映し出されたのは、散らかった部屋の真ん中で、カメラに向かって語りかける老人の姿だった。
痩せこけた体に、サイズの合わないアロハシャツ。
背景には洗濯物が干され、生活感が溢れている。
『えー、皆さん、こんにちは。マッキーチャンネルの時間です』
老人は、ぎこちない笑顔で手を振った。
声は枯れており、聞き取りにくい。
『今日はですね、この……コンビニの新作プリンを食べてみたいと思います』
老人は震える手でプリンの蓋を開け、一口食べる。
『うん、甘い。……美味しいねぇ。昔、息子と食べた味に似とる』
それだけの動画だった。
編集はされておらず、画角も少し傾いている。
ピントも甘い。
ただ老人がプリンを食べるだけの、退屈な映像。
「……はっ。なんだこれ」
健一さんが嘲笑った。
「YouTuber気取りかよ。80歳にもなって、恥ずかしい。……やっぱりボケてたんだな」
「……まだあるぞ」
阿部は他の動画も再生した。
『団地の公園の鳩と話してみた』
『一人で作るカレーライス』
『深夜のラジオ体操』
どれも、孤独な老人の日常を切り取っただけのものだ。
再生回数が伸びるとは思えない。
しかし、エミリーは真剣な眼差しで画面を見つめていた。
「……ねえ、クニ。これ、未公開設定になってるわ」
「ああ。アップロードされた形跡はない。……撮り溜めていただけだ」
「誰に見せるつもりだったのかしら」
その時、ドアが開いた。
葬儀屋の岡田アキだ。彼女は防護服のような作業着を着ており、手にはビニール袋を持っていた。
特殊清掃の現場から直行してきたらしい。
「お疲れ。……うわ、臭うね。ごめんごめん」
「アキ、それは?」
「現場から出てきた遺品だよ。……これ、捨てられそうになってたから拾ってきた」
アキが袋から取り出したのは、一冊の大学ノートだった。
しかし、その状態は酷いものだった。
黒ずんだ液体――おそらく、ご遺体の体液が染み込み、ページが張り付いて塊になっている。
強烈な腐敗臭が鼻をつく。
健一さんが顔をしかめて後ずさりする。
「汚い! 捨ててくださいそんなもの!」
「捨てるわけにはいかねえよ。……これ、日記だ」
アキは手袋をした手で、ノートの表紙を撫でた。
「部屋の壁にさ、『動画企画案』っていうメモが貼ってあったんだ。その下に、これが落ちてた。……お父さん、死ぬ直前までこれを書いてたんだよ。たぶん、動画の台本か、ネタ帳だ」
「だから何だと言うんです! ボケ老人の落書きでしょう!」
「違う!」
アキが叫んだ。元ヤンの迫力に、健一さんが怯む。
「現場を見た私には分かる。……あの部屋は、地獄だった。ゴミと害虫と孤独の地獄だ。でもな、カメラの周りだけは……聖域みたいに綺麗だったんだよ」
アキの目には、現場で見た光景が焼き付いているようだった。
「お父さんは、あの孤独な部屋で、カメラに向かってる時だけは『誰か』と繋がろうとしてたんだ。……このノートには、その想いが書いてあるはずだ」
「……読めるのか?」
阿部が尋ねる。
アキは首を横に振った。
「無理だ。ページが腐敗液で固まっちまってる。無理に開けばボロボロに崩れる」
「……そうか」
阿部は腕組みをし、天井を見上げた。
デジタルデータは復元できた。しかし、その「意図」を知るためのアナログな鍵が壊れている。
健一さんは「もういいでしょう、詐欺の証拠がないなら帰ります」と腰を浮かせている。
このままでは、ただの「痛い老人の道楽」として処理されてしまう。
阿部は決断した。
彼は引き出しから「長い棒」を取り出し、天井をドンドンと突いた。
「……出番だ、大家」
数分後。
不機嫌そうな足音と共に、後藤かほりが降りてきた。
彼女は鼻をつまみ、顔をしかめた。
「……臭いわね。何なの?」
「仕事だ、大家。……いや、後藤先生」
阿部はアキが持ってきた汚れたノートを指差した。
「この日記を修復してくれ。……文字が読める状態まで」
「はあ? 私は古書店主よ。特殊清掃員じゃないわ」
「紙のプロだろ。カビた古文書や、水没した書物を修復する技術があるはずだ」
「……限度があるわよ。これはタンパク質で汚染されてる。酵素分解して洗浄しないと……」
かほりはブツブツ言いながらも、職業柄か、損傷した本を見ると放っておけないらしい。
彼女はポケットからルーペを取り出し、ノートの断面を観察し始めた。
「……紙質は上質紙ね。インクは油性ボールペン。……やれるわ」
「本当か!?」
アキが身を乗り出す。
「ただし、別料金よ。薬品代も手間賃も高いわよ」
「払う! 私が払うから!」
「……依頼人に請求しろ」
阿部が健一さんを顎でしゃくった。
健一さんは渋い顔をしたが、アキとかほり、そしてエミリーに囲まれて、拒否できる雰囲気ではなかった。
「……わ、分かりましたよ。やればいいんでしょう」
かほりは「商談成立ね」とニヤリと笑い、汚れたノートを慎重にトレイに乗せた。
「24時間頂戴。……このノートが語りたがっている言葉、私が掬い上げてあげる」
阿部、エミリー、アキ、そしてかほり。
デジタルとアナログ、それぞれのスペシャリストが動き出した。
80歳の老人が、孤独な部屋でレンズの向こうに何を見ていたのか。
その真実を暴くために。
「……さて、私たちも仕事ね、クニ」
エミリーがPCを開く。
「動画のメタデータ、編集履歴、削除されたテイク……全部洗うわよ。このおじいちゃんの『演出』を見抜くの」
「ああ。……今夜は徹夜だ。石川、コーヒーを淹れろ」
「はい!」
私はキッチンへ走った。
外はもう暗い。
秋葉原のネオンのような煌びやかさはないけれど、この地下室には、別の種類の熱気が満ちていた。
それは、死者の声を拾おうとする、生者たちの執念の熱だった。




