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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: U3
第二章:黒い履歴と白い嘘

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20/23

第20話 消えたビットコインと太陽の女

 神保町の地下深く、『デジタル・アーカイブス社』。

 12月の寒空とは無縁のこの熱帯びた空間に、今日は異国情緒あふれる濃厚な香りが充満していた。


「……焦がすなよ。極限まで煮詰めるが、炭化させてはならない」


 所長の阿部邦彦は、巨大な中華鍋の前で仁王立ちしていた。

 鍋の中でグツグツと煮えたぎっているのは、茶色い泥のような物体――ではない。

 牛肉の塊だ。それも、大量のココナッツミルクと、数え切れないほどのスパイスで煮込まれた、至高の肉塊である。


「石川、レモングラスとカフィアライムの葉を追加だ。香りのレイヤーを重ねろ」

「は、はい! ……でも所長、これ何時間煮込むんですか? もう4時間経ってますけど」

「甘いな。本場のルンダンは、水分が完全に飛び、ココナッツミルクから滲み出た油で肉が『揚げ煮』の状態になるまで続けるんだ」


 ルンダン。

 インドネシア・西スマトラ州の伝統料理であり、かつてCNNの「世界で一番美味しい料理」ランキングで1位に選ばれたこともある、牛肉のスパイス煮込みだ。

 阿部はその「世界一」を再現するために、朝からスパイスを石臼で挽き、牛肉をマリネし続けていたのだ。


「水分を飛ばすことで、旨味とスパイスが肉の繊維一本一本にまで凝縮される。これは料理じゃない。保存食であり、芸術だ」


 阿部は木べらで鍋底をこそげ取りながら、哲学者のような顔で語る。

 鍋の中の水分は飛び、褐色のペーストが肉に絡みついている。

 ココナッツの甘い香りと、唐辛子、ガランガル、ターメリックの刺激的な香りが混ざり合い、脳髄を直撃する。


「……そろそろ完成だ。飲み物の準備をしろ」

「はい! ビールですか? ワインですか?」

「水だ」

「えっ? 水?」

「本場では常温の水か、甘い紅茶を合わせるのが一般的だ。ルンダンの濃厚なコクとスパイスの刺激を受け止めるには、余計な味のしない『水』が最適解だ。……あえて言うなら、硬度高めのミネラルウォーターだな」


 阿部は冷蔵庫から、フランス産の高級ミネラルウォーターを取り出した。

 とことんこだわる男だ。


 その時。

 地下室のドアが、ノックもなしに勢いよく開かれた――いや、蹴破られたかのような音がした。


「Heeeeey!! いい匂いさせてるじゃない!」


 突風と共に現れたのは、太陽そのもののような女性だった。

 身長180センチはあろうかという長身。

 輝くようなブロンドのロングヘアをなびかせ、真冬だというのにタンクトップに革ジャンという薄着。

 引き締まった腹筋が見え隠れする、モデルのようなプロポーション。

 そして何より、その青緑色の瞳は、好奇心とエネルギーでギラギラと輝いていた。


「Are you Kuni? 伝説の整理屋、クニヒコ・アベはどこ!?」


 彼女は流暢だが独特なイントネーションの日本語で叫び、土足でズカズカと部屋に入ってきた。


「……誰だ、お前は」


 阿部が木べらを持ったまま睨みつける。

 しかし、金髪の美女は動じるどころか、阿部の目の前まで詰め寄り、いきなりガバッと抱きついた。


「Found you! 会いたかったわ、サムライ・ハッカー!」

「ぐっ……! 離せ、暑苦しい!」

「私はエミリー! エミリー・ローレンス! カナダから来たの!」


 エミリーと名乗った彼女は、窒息しそうなほどの力強いハグから阿部を解放すると、ニカッと白い歯を見せて笑った。


「あんたに依頼があるの。……これよ」


 彼女は革ジャンのポケットから、無造作に一枚のメモリーカードを取り出した。

 いや、よく見るとそれはただのSDカードではない。

 特殊な端子がついた、黒いスティック状のデバイスだ。


「……ハードウェアウォレットか」


 阿部の目が鋭くなる。

 ハードウェアウォレット。暗号資産の秘密鍵を、ネットから切り離して安全に保管するための物理デバイスだ。


「Exactly(その通り)! これ、私のクライアントの遺品なんだけど……パスワードが分からなくて、中にある1000BTCビットコインが取り出せないのよ」

「1000BTC……!?」


 私は思わず計算してしまった。

 今のレートで換算すると……す、数億円? いや、もっと?


「クライアントは急死した個人投資家。遺族はパスワードなんて聞いてない。メーカーのサポートも『秘密鍵がないなら復旧不可能』の一点張り。……そこで、あんたの噂を聞いて飛んできたってわけ」


 エミリーはウィンクをした。


「あんたなら開けられるでしょ? 元警察のサイバーエースさん?」

「……断る」


 阿部は即答し、鍋に戻った。


「俺は投機には興味がない。金のために数字を弄るのは、俺の美学に反する」

「Oh, come on!(おいおい!) 金のためだけじゃないわよ!」


 エミリーは阿部の背中に回り込み、大げさに肩をすくめた。


「これは『夢』の欠片なのよ。彼はこのビットコインで、故郷に学校を建てるつもりだったの。それがパスワード一つで電子の藻屑になるなんて、悲しすぎるじゃない?」

「……知らん」

「それに、成功報酬はこれの10%。……今のレートで数千万よ?」

「……」


 阿部の手が止まった。

 背中から「金欠」というオーラが立ち上っている。

 大家への家賃先払い、子猫の餌代、そしてこだわりの食材費。この事務所の財政事情は常に火の車だ。


「……話を聞こうか」

「Good boy!」


 エミリーは阿部の背中をバンバンと叩いた。


 解析作業が始まった。

 エミリーも自分のノートPCを取り出し、阿部の横に陣取った。

 彼女のPCは、見たこともないような形状をしていた。画面が3つに展開し、キーボードが七色に光っている。


「へえ……すっげ。何これ」


 いつの間にか起きてきた住み込みバイトの小川みずほが、エミリーの手元を覗き込んでいる。

 普段は無愛想なみずほだが、ガジェット好きの血が騒ぐらしい。


「これ? 特注のモバイルワークステーションよ。CPUはオーバークロック済み、GPUはデュアル構成。……触ってみる?」

「いいの? ……うわ、キーの打鍵感、最高じゃん」

「でしょ? アヤ、この子誰? 妹?」


 エミリーが私に尋ねる。


「あ、いえ、アルバイトのみずほちゃんです。音響解析のスペシャリストなんです」

「Wow! Cool! よろしくね、ミズホ!」

「……よろしく、派手な姉ちゃん」


 みずほは生意気な口調だが、まんざらでもなさそうだ。

 エミリーは誰とでも一瞬で距離を詰める才能があるらしい。


「さて……解析状況はどうだ、カナダ」


 阿部がモニターを見ながら尋ねる。


「タフね。このウォレット、物理的な改ざん検知機能がついてる。無理にこじ開けようとすると、中のチップが自壊する仕組みよ」

「だろうな。総当たり攻撃は3回でロックされる。……バックドアを探すしかない」

「メーカーのファームウェアに脆弱性があるって噂を聞いたことがあるわ。バージョンは……あった、v2.1.4。これなら行けるかも」


 エミリーの指がキーボードの上を舞う。

 その速度は、阿部に勝るとも劣らない。

 彼女はただの明るいお姉さんではない。超一流のハッカーだ。


「……おい、クニ。ここ、暗号化のアルゴリズムがおかしいわ。SHA-256じゃなくて、独自のハッシュ関数を使ってる」

「クニ? 俺をその名で呼ぶな」

「いいじゃない、可愛いわよ。……ねえ、これ見て。ハッシュ値の末尾に、規則的なパターンがある」


 阿部がエミリーの画面を覗き込む。

 二人の顔が近い。

 阿部は嫌そうな顔をしているが、技術的な興味には抗えないようだ。


「……なるほど。タイムスタンプを利用したソルトか。生成時刻を逆算すれば、シード値を特定できるかもしれん」

「Bingo! さすがクニ、話が早いわ!」


 エミリーと阿部。

 水と油のように見えて、技術者としての言語は共通している。

 二人の連携攻撃により、鉄壁に見えたウォレットのセキュリティが、一枚ずつ剥がされていく。


 数時間後。

 最後のロックが解除された。


「Open sesame!(開けゴマ!)」


 エミリーがエンターキーを叩く。

 画面に、ウォレットの残高が表示された。


 『1,000.00000000 BTC』。


「……やった」

「Easy peasy!(楽勝ね!)」


 エミリーはハイタッチを求めたが、阿部はスルーしてコーヒーを飲んだ。


「……仕事は終わりだ。帰れ」

「冷たいわねえ。お祝いしましょうよ!」

「そうだ、祝いだ!」


 その時、またしてもドアが開いた。

 今日は来客が多い。

 現れたのは、大家の後藤かほり、葬儀屋の岡田アキ、情報屋の中島鞠、そして弁護士の藤田涼子だった。

 示し合わせたかのようなタイミングだ。


「いい匂いが上まで漏れてるわよ、阿部くん」

「ルンダンでしょ? 私、これ大好物なのよね」

「ビットコインが見つかったんですって? 脱税の相談なら乗るわよ」

「阿部ちゃん、酒持ってきたよ!」


 全員集合だ。

 狭い地下室の人口密度が一気に上がる。


「……お前ら、どこから湧いてきた」

「あら、賑やかでいいじゃない! パーティーね!」


 エミリーは臆することなく、新入りのメンバーたちに挨拶回りを始めた。

 アキさんとは「イエーイ!」とノリが合い、涼子さんとは英語で何か話し込み、かほりさんとは本の話題で盛り上がり、鞠さんとは……何やら怪しい情報交換をしている。

 コミュ力お化けだ。


「……はあ。動物園かここは」


 阿部は諦めたようにため息をつくと、キッチンへ向かった。

 そして、完成したルンダンを大皿に盛り付けた。

 茶褐色の肉塊。余分な水分は飛び、油が照り輝いている。


「食え。世界一の味だ」


 阿部がテーブルに皿を置く。

 全員が歓声を上げた。


「いただきます!」


 ルンダンを口に運ぶ。

 噛み締めた瞬間、凝縮された旨味が爆発した。

 牛肉の繊維がほろりと崩れ、中からココナッツの甘みとスパイスの辛味が溢れ出す。

 濃厚だ。あまりにも濃厚で、暴力的ですらある旨味。


「……んんっ! 美味しい!」

「何これ、お肉じゃないみたい!」

「辛いけど、止まらないわね……」


 そして、すかさず水を飲む。

 冷たい水が、口の中の油分と辛味を洗い流し、リセットしてくれる。

 すると、また次の一口が欲しくなる。

 無限ループだ。


「Yummy! クニ、あんた天才よ! 私と結婚してカナダに来ない?」

「断る」

「じゃあ、私がここに住むわ!」

「は?」


 エミリーはルンダンを頬張りながら宣言した。


「私、日本の文化も、ここのメンバーも気に入ったわ。特に、このルンダンを作るシェフと、クールな妹がね」

「姉ちゃん、私は妹じゃねーよ」

「いいじゃない。……私、しばらく日本に滞在する予定なの。ここのソファー、借りていい?」

「ダメだ。定員オーバーだ」


 阿部が拒否するが、かほりさんが口を挟んだ。


「いいんじゃない? 家賃、多めに払ってくれるなら」

「大家!」

「それに、彼女のスキルは使えるわ。海外のサーバーへのハッキングや、暗号資産の追跡……『ファントム』を追うのに必要でしょう?」


 かほりさんの言葉に、場の空気が一瞬だけ変わった。

 鞠さんと涼子さんも、意味ありげな視線を交わす。

 ここにいる全員が、ただの飲み仲間ではない。それぞれの分野のスペシャリストであり、阿部が抱える「闇」と戦うためのチームなのだ。


「……勝手にしろ」


 阿部はルンダンを飲み込み、そっぽを向いた。

 それは、実質的な承諾だった。


「やった! よろしくね、みんな!」


 エミリーがグラスを掲げる。

 私たちもグラスを合わせた。


 阿部邦彦。石川彩。

 中島鞠、岡田アキ、後藤かほり、小川みずほ、藤田涼子。

 そして、太陽のようなエミリー・ローレンス。

 8人のスペシャリストが、この地下室に揃った。


 子猫が「ミャー」と鳴き、エミリーの膝の上に乗った。

 彼女は嬉しそうに子猫を撫でる。

 

 賑やかで、カオスで、でもどこか心地よい空間。

 ルンダンのスパイシーな香りが、私たちの新しい門出を祝っているようだった。

 最強のチームが、今ここに完成したのだ。


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