第32話「裏切りの物語」
『封印を解いたのはお主か……』
勇者正の首に振り落とされる直前で裕也の後ろから低く響いた声が、裕也の剣を止める。
裕也が声の方に振り返ると同時に、辛うじて立っていた勇者正が倒れる。
『現世に降りたのはいつぶりか……』
封印されし獣はまるで懐かしむように呟いた。
無数の尻尾を持つ巨大な猫科の獣。
獣が放つ威圧感、存在感は異能を学んだ者の方が強く感じる。
封印儀式の間は広い。だが、獣はそこを狭く感じさせるほど巨大。
『……おい。何か言え……下種』
心も体も凍りつくようなプレッシャーにさらされた裕也は封印されし獣へ視線を向けるので精一杯だった。封印されし獣から問われても口が動かない。そこに無線が入る。
(勇者本家、灯嬢確保!)
ゆうやの後ろに倒れている正、仲間に確保された灯。これで勇者本家は瓦解した。
勇者本家が機能しなければ封印されし獣を止める術はない。
封印されし獣がまず行うのはこの国の破壊だろう。
つまり反乱軍側の最大戦力は封印されし獣ということだ。
報告を聞いた裕也の瞳に力が宿った。
『ふむ、こざかしい下衆よ。答える気になったか?』
「ええ、私たちはあなたの復活をお待ちしておりました」
封印されし獣の口が愉悦に歪む。
『ほう……吾輩を?』
「ええ、新たなる我らの神よ」
実際に封印されし獣を神に奉じることで制御をしようと計画している。裕也は計画がうまくいっていることを確信した。
『ほほう。それはそれは面白いことを言う。では吾輩を神と崇める信徒よ。望みはあるか? 今は気分が良い、叶えてやろう』
封印されし獣はその巨体を震わせながら笑う。そして裕也に囁いた。
「良いのですか!」
『うむ……遠慮なく言うが良い』
裕也は歓喜に震える。封印されし獣がそのようなことを言うとは思っていなかったのだ。封印されし獣により殺されるのも裕也の任務の一つだった。だが裕也にここで生き残る希望が灯る。封印され、怒りに震える獣に蹂躙されることもなく。贄として消費されることがないかもしれない。封印されし獣に願えば。新たなる勇者本家として、封印されし獣の奉じるものの代表として栄誉を預かることができるかもしれない。
裕也は、だから望んでしまった。
『東京の異能教会を滅ぼしてください』
確実な勝利を。そこから繋がる己の栄華を。
裕也がそれを望み、封印されし獣という神が答えた。
その結果を。
『よかろう、吾輩最近お主らから一つ学んだことがあるそれを使ってやろう……』
封印されし獣はそう言うと前足を軽く上げる。するとどこからかスマートフォンが飛来する。
『力を使うのに良い道具がある。これをなこうして……ほいっとな……ふふふ、やはり面白い』
宙に浮いたスマホを介して一瞬だが濃厚な力が迸る。
その光景に裕也は思わず息を呑む。そして結果をまった。
長く、緊張感にあふれる時間が流れる。
そして結果は無線で伝えられた。
(はっ……はっ……はっ……は……)
通信先の人間が過呼吸を起こしているのがはっきりと聞こえる。
裕也は期待と緊張を混ぜたような声で無線先に相手を急かす。
「こちら勇者本家攻略部隊、何がありましたか!」
(…………。ほっ本国が……)
東京のことを本国とは言わない。思わず裕也は眉を顰める。
(……本国の首都が……)
要領を得ない無線に苛立つ裕也。
『……どうした? 結果がわからぬのならこれを見るが良い』
封印されし獣から投げ渡されたのは封印されし獣が操っていたスマホ。
裕也はそれを大仰に受け取るとそっと画面を覗き込む。
・XX国(敵国)首都で同時多発テロが発生。現在被害規模は不明。外国報道機関も多数が被害を受けており、未だ爆発は止まず
「は?」
裕也は言葉の意味がわからなかった。
『喜べ、滅ぼしてやったぞ。小さな爆発だが、あの地域は怨念が多い。爆発物には困らんなぁ。楽しいな。ゆっくりと人間が死んでゆく。絶望を感じながら死んでゆく。おお、我が信徒よ。敵国の首都にいる貴様の家族もちょうど……』
「な、なんでだーーーー!!!!」
裕也は叫ぶ。
『喜べ、吾輩は破壊の神となる。崇めよ。そして死と破壊を受け入れよ。喜ぶが良い、貴様の神が貴様の大事な家族を送ってやったのだ。吾輩、良いことをしただろ?』
「……」
言葉を発するのをやめた裕也は必死にスマホを操作する。必死に。やがて一つのニュース動画にたどり着いた。この革命が終わるまで裕也の家族が避難しているはずのビルが……崩れ落ちる動画に……。
「……なんでだ」
『お前の望んだことだ』
絶望に染まった裕也の言葉に封印されし獣が楽しそうに答える。
「なんで……こんなひどいことを……」
『ん? 貴様が望んだことであろう』
「違う! 俺が望んだのは東京だ! 母国じゃない!!」
『誤差だ。そんなに気にするな信徒よ。そして貴様も同じようなことをしたではないか?』
そう言うと封印されし獣は術を使い回復し、立ちあがろうとしている勇者正を前足で指す。
『あの者の家族を殺し、あの者を直接殺そうとしたのは貴様であろう?』
言われて裕也は正を見る。血を失いすぎたのか青い顔をしている。刺された腹の止血を異能で行ってはいるが何もできないはずなのに……正は立ち上がっている。
「……」
裕也は怒りを禁じ得なかった。
「なんでだ! なんでお前が生きている! お前は死ぬべきだ! 俺の家族が死んだのに……なんでお前が生きている!!」
裕也は正には伝わらない母国語で叫び、小太刀を振り上げる。
『よきかな、よきかな。素晴らしい感情だ。信徒1号、もっと吾輩を楽しませるのだ』
「黙れ! 黙れ! 黙れ! しね! しね! しね! 正、お前だけは絶対に俺が殺してやる!!!」
吠える裕也に対して正は青い光を纏う。正の瞳は死んではいない。この状況を理解し、諦めてはいない。
『よきかな、よきかな。それでこそ勇者の末裔。しかし惜しい……これで勇者ではないとはな……本当に惜しい人材よ』
封印されし獣の言葉に目を見開く裕也。
「勇者では……ない……だと」
『然り然り、過保護にも隠し通そうとしておったわ』
時間経過とともに正は回復していく、それは命を消費しているような不思議な輝きを放ちながら……。
「……でも、それでもお前を……」
『信徒よ来たぞ、真の勇者が』
封印されし獣の言葉に釣られ、入り口に目をやる裕也。
そこに立っていたのは、正の妹灯。
その手には勇者本家に伝わり、裕也がついぞ見つけることができなかった宝剣が握られている。
「獣、もう満足したよね。お遊びはここまでだよ」
灯の声は冷たく、その身には正とは比較にならない濃度の光を纏っていた。
その瞳に裕也は映っていない。ただ封印されし獣だけを見ていた。
「裕也さん。……あなたの相手は私が受け持ちますよ」
その声は灯とともに現れた灯の友人大神。
魔王や邪神様と親交のある転生者がただの人間な訳がなかった。
正を守るように立ち塞がった2人。
裕也の理性はここで潰えた。
「……よっ、邪魔するよ」
そんなシリアスな空気を壊すように邪神様が入ってきて辛うじて意識を保っていた正を抱える。
「おっと、邪魔したね。じゃあね!」
邪神様は酔っ払って潰れた仲間を迎えにきた人のような自然な流れで正を回収するとそそくさと立ち去っていった。
しまらない空気。
真の勇者と封印されし獣の戦いが始まろうとしていた。
しまらない空気だが。




