初めての夜
暫くして扉をノックする音が響いた。
「御入浴の準備が整いました」
エマの声が聞こえ、クリフォードは残念そうに身体を起こす。痺れるまでと言ったはずなのに、結局彼はずっと膝枕したままでサラは少し足が痺れていた。しかしそれは彼女が痺れたと言えなかったせいであり、彼女は必死に平生を装って立ち上がる。
「お風呂ってやっぱり別々だよね?」
クリフォードは扉の奥に声を掛ける。失礼致しますと断った後で扉が開いた。
「当たり前でございます。私はサラ様を御案内致しますからクリフォード様はいつもの浴室へどうぞ」
エマはにこやかに対応していた。しかしどこか怒りを孕んでいるとサラは思ったが、クリフォードはそれに気付いていないようだった。
「わかったよ。じゃあサラを宜しくね」
そう言ってクリフォードは居間を出て行った。エマはため息を吐く。
「申し訳ございません。一緒に御入浴などさせませんので聞き流して下さいね」
「えぇ、勿論。でもそうなると浴室が複数あるの?」
「ございます。今はそれぞれ専用という形になりますね」
やたら広い屋敷だ。浴室が複数あっても不思議ではない。しかしたった二人しかいないのに別々に使うと言うのは何だかもったいない気がサラにはした。
「私はクリフォード様の後でも構わないのだけど」
「遠慮なさらなくて結構ですよ。この家のしきたりだと思って下さいませ」
エマが微笑むのでサラも微笑んだ。しきたりと言われると返す言葉がない。エマはこちらですと言ってサラを脱衣室まで案内した。
「必要でしたらお背中などお流し致しますけれども」
「申し出はありがたいけれど、出来れば一人がいいわ」
「かしこまりました。では何かありましたらこちらの呼び鈴でお呼び下さい。着替えはこちらにご用意させて頂いております」
「もう後は寝るだけでしょう? 今日は下がって大丈夫よ」
「宜しいのですか?」
エマは少し驚いた表情をする。公爵家では本来ならもっと侍女に身を任せるのが正しいのだろうが、サラはエマにそこまでしてもらう気持ちはなかった。
「えぇ。髪も自分で乾かすし、寝室の場所さえ教えてくれたら一人で行くわ」
「かしこまりました。寝室はあちらの階段を上がって左手、青色の花瓶が置いてある部屋になります。大きな花瓶ですのですぐにわかると思います」
「ありがとう」
「いえ。では失礼致します」
エマは一礼するとその場を去った。サラはエマの気配が消えたのを確認して着衣を脱ぎ、浴室へと続く扉を開けた。浴槽は床下に掘り下げられたもので、三人程入れそうな大きさである。香油が混ぜてあるのか心が落ち着くようないい香りがする。サラはそっと桶を手に取りお湯をすくった。限界まで張っていたお湯は溢れ彼女の足にかかる。湯加減は丁度よかった。彼女はかけ湯をしてからゆっくりと浴槽に身体を沈ませる。お湯が溢れるのは止めようがない。自分一人の為にこんなにお湯を沸かさなくてもいいのにと思いながら身体を確認する。昨夜母が止めてくれたので痣はいつもより少ないものの、それでも見せられるものではない。これを見たらクリフォードはどんな反応するだろうか。落胆させてしまうだろうか。それとも隠してる方が彼を傷付けてしまうだろうか。
サラは悩んだものの答えは出ず、しかしこのままではのぼせてしまう為、仕方なく浴槽から出て石鹸で全身を洗い、泡を流すと浴室から脱衣室へと戻り、バスタオルで全身を拭きながら用意されていた下着と寝衣を見た。嫁ぐ時に何も持ってこなかった。これはクリフォードが用意させたものなのだろうか。それともエマなどが選んでくれたものだろうか。そう言えばエマと会った時自分の部屋を作っていると言っていた気がする。つまりこれは彼の趣味の可能性が高い。
サラは恐る恐る手に取った。しかしそれは悪趣味でも卑猥でもなく、素直に可愛いと思えるものだった。複雑な心境でも着る物はこれしかない。どうせ別の物でも同じである。サラは深く考えるのはやめて着替え、髪を乾かした。クリフォードが喜ぶなら着せ替え人形にくらいなってもいいと思った。
サラは髪を乾かし終え、タオルを畳んで籠に入れると脱衣室を出た。廊下は煌々と蝋燭の灯が輝いており手燭など必要もない。彼女は階段を上って左を向いた。いくつか花瓶が置いてある。その中で青い花瓶の置いてある部屋の扉をノックしたが返事はない。彼女はゆっくりとその扉を開けた。
部屋の中はベッドの脇机の上にある燭台しか灯っておらず、やや暗かった。しかしクリフォードの姿はない。サラはベッドがあるのだからここで間違いないだろうと室内に入った。天蓋付キングサイズのベッドは立派でサラは暫くそれを凝視していた。その後部屋を見渡す。鏡台とソファーにテーブルも置いてある。彼女はどこにいるのが正しいのかわからず、とりあえずソファーに腰掛けた。
暫くしてノックの音にサラが返事をするとクリフォードが寝室に入ってきた。彼女はどうしていいのかわからずそのまま座っていた。彼は彼女の横に腰掛ける。
「先に言っておくけど、無理矢理抱いたりはしないよ」
クリフォードの言葉にサラは意外そうな顔をした。
「俺が押し倒すと思ってたの?」
「初夜はそういうものかなと思っていたわ」
サラの言葉にクリフォードは拗ねた表情をする。
「俺はサラに嫌われたくない。だからサラがいいって言うまでは我慢する」
「一生いいって言わなかったらどうするの?」
「俺は既に嫌われてるの?」
クリフォードが悲しそうな表情をする。それを見てサラは微笑みながら首を横に振った。
「でも私が今夜いいわよと言うのを想像出来る?」
サラの言葉にクリフォードは想像する。しかし全く想像出来なかった。
「出来ない。サラ絶対そう言わない」
「えぇ、多分心で思っても声に出して言えないと思うわ」
「それならどうしたらいいの? 一生は嫌だ。本当は今すぐ抱きたいのに」
思った事をそのまま口に出すクリフォードを羨ましいと思いながら、サラは困惑の表情を浮かべた。彼女も本当は身を委ねる気でいたのだ。心は既に彼に惹かれているがそれを上手く表現出来ない以上、身体だけでも繋がれば彼を安心させられると思っていた。しかし彼に惹かれているからこそ、痣のある身体を見せたくない。
「少しだけ時間を頂戴。何ヶ月ではなく少しだけ、ね?」
サラは出来るだけ優しい口調で微笑みながら言った。クリフォードは首を傾げる。
「少しだけ? 何十日とかそんな短さでいいの?」
今度はサラが首を傾げた。
「短い? 嫁いだ女が言うには十分我儘な日数だと思ったのだけど」
「サラちゃんとわかってる? 一回許したらもう拒否権はないからね? 何十年と続く俺との夜の生活を死ぬまで続けるんだよ?」
「死ぬまでは大袈裟だわ。途中で飽きるでしょう?」
「飽きるの? サラは途中で俺に飽きちゃうの?」
「一般的にそうではないの? だから貴族は一夫多妻制であって、私も別にクリフが何人妾を持とうとそれを特に――」
「それ以上は言わないで!」
サラは自分の言葉に被せてきたクリフォードを見る。彼は泣きそうである。
「俺は飽きないよ。絶対飽きない。それだけは自信がある」
サラは異常なクリフォードの愛の重さを改めて思い知った。一体自分は彼に何をしたのだろうか。ここまで想われるような事をした記憶がない。
「どうしても飽きると言うならせめて嫌わないで。愛してくれなくてもいいからとにかく嫌わないで」
苦痛の表情を浮かべるクリフォードにサラは何と声を掛けていいのかわらなかった。彼が一体何に怯え、何故こんなにも嫌われる事に恐怖を抱いてるのか見当がつかなかったのだ。
「無理矢理私の嫌がる事をしないのなら嫌う理由もないわよ」
「本当? 一生嫌わない?」
悲しそうな表情のクリフォードにサラは微笑んで頷いた。一生なんてわからないけれど、この愛しい人を嫌うなんて今の彼女には考えられなかった。
「抱きしめていい?」
クリフォードは恐る恐る尋ねた。馬車で断ったのが堪えているのか、その時とは違い弱々しい声だった。サラは微笑んで頷く。彼は瞬時に笑顔になると彼女を抱きしめた。
「サラ大好き、愛してる」
そう言ってクリフォードはサラの髪を撫でた。それが彼女の恐怖を呼び起こす。次の瞬間、彼女は彼の腕を振り払っていた。彼は驚き慌てて彼女から離れた。




