金で買われた花嫁
「まず最初にサラ様の事を色々と調べさせて頂きました。この家に相応しいのか知るには致しなかった事とはいえ、御無礼をどうぞお許し下さい」
ヘンリーは頭を下げた。サラは微笑んだ。
「気にしないで。それは当然の事よ」
「ご理解頂きありがとうございます。クリフォード様がある日を境に妙な行動を取り始め、それがサラ様を忘れる為の行動との事と旦那様に報告した所、サラ様を調べるよう指示されました。その報告書を見て旦那様はサラ様をクリフォード様に嫁がせようと画策をしました」
サラは眉を顰めた。
「サラ様の婚約解消から当家は動いております。そんなに都合よく婚約解消になるはずがありませんから」
ヘンリーの言葉にサラは視線を伏せた。騙されていたという思いは不思議となかった。
「そう、そう言う事。確かに今思えば出来過ぎた話だったわね。でもあの時は私にとっても救いの手だと思ったの。だからその件について何も気にしなくていいわ」
「ありがとうございます。そしてこの結婚にあたり、当家の爵位の一つをラディーナ家に譲渡しております。このお話は御存知でしょうか?」
サラは目を見開いた。そんな話を聞いているはずもない。
「シーン伯爵領を爵位・土地・建物全てを譲渡しております。これからラディーナ家は男爵家ではなくシーン伯爵家としてそちらで暮らす事になるでしょう」
シーンは王都から離れた田舎町であるものの農業が発達した地域であり、そこの領主になるならば一生暮らすには困らない。
「そこまで? シーンと言えば有名な葡萄の産地だったはず」
「えぇ。赤ワインが有名ですね。その全てを旦那様は譲渡されたのです」
サラは父親が信頼出来るのかと聞いてきた意味を理解した。確かにいきなり爵位とその土地を譲渡すると言われて信じられる方がおかしい。肩書だけの爵位ではなく、本当に伯爵家になれるのだ。しかもシーン伯爵領そのまま全てを引き継いで。こんな話前代未聞である。
「私にそこまでの価値があると?」
サラは不安そうにヘンリーに尋ねた。彼は相変わらず無表情である。
「噂好きの者達がどう言うのか想像は難くありません。金で買ったと言われるのならば、本当に金で買ってやろうというのが旦那様の趣旨でございます。サラ様も金で買われたと言われるのは御承知ですよね?」
「そう言われてもおかしくないだろうと想像はしていたけど」
「そのうちわかります。間違いなく言われます。しかし言われたままではいけません。最終的にはサラ様の出自など誰も覚えていないような立派な公爵夫人になって頂きます」
ヘンリーは無表情のままサラをまっすぐ見つめる。彼女はそれを受け止めた。
「それは勿論。ここへ嫁いだ以上それは最低限の事。努力は惜しまないわ」
「おわかり頂けて助かります。クリフォード様はこの件に関し、旦那様に借金をしたという形になっています。シーン伯爵領分の働きを旦那様に返す為仕事も真面目に取り組まれるようになり、それだけでもこの結婚は価値があったかと思います」
先程のクリフォードは以前と大して変わった感じはしなかった。真面目に仕事に取り組んでいるというのがサラにはいまいち想像が出来なかった。
「しかしその借金は当家にとっては大した額ではありません。クリフォード様が次期当主として立派になられたらそれで宜しいのです。ですからサラ様もそのつもりでお願い致します。クリフォード様の言いなりになる必要はありません。むしろ上手に飴と鞭を使い分けてクリフォード様を掌で転がして頂いて構いません」
ヘンリーの想定外の頼みにサラは少し困った表情をした。
「なかなかに難しい事を要求するわね」
「今でしたらまだ間に合いますよ。結婚の書類はまだ提出していませんから」
「悪いけどその選択肢は持っていないわ。一度嫁ぐと決めたものを変える気はないの」
サラの向ける力強い眼差しをヘンリーは相変わらずの無表情で受け止める。
「さようでございますか。それでしたら結構です。暫くは公爵家に慣れて頂く必要があるかと思いますが、いずれウォーグレイヴ公爵夫人としても立派に振る舞って頂きます。この家には長らく夫人がいらっしゃいませんでしたから」
ヘンリーの言葉にサラは小さなため息を吐いた。彼女は女性同士の付き合いというものに慣れていない。しかも相手は生まれが伯爵以上になるだろう。会話が成り立つのか不安で仕方がなかった。
「晩餐会に呼ばれるなど、そういう付き合いの話かしら?」
「お茶会やサロンもございますよ。御安心下さい。必要な作法や知識は責任を持って教育させて頂きますから」
全く安心出来ないとサラは思ったが言葉にするのはやめた。
「そう。お手柔らかにお願いしたいわ」
サラは身分差をひしひしと感じていた。やはり簡単な事ではない。しかし公爵夫人として自分が立派に振る舞わなければ、クリフォードの足を引っ張る事になる。それだけは嫌だと彼女は思った。彼女は落ち着こうとテーブルの上に置いてあったティーカップに手を伸ばし紅茶を口に運んだ。その紅茶は彼女が今まで飲んだ事のない物で、とてもいい香りがした。
「これがリデルの紅茶なの?」
「さようでございます。当家の領地であるリデル地方で生産しているものです」
リデルの紅茶は王家御用達の紅茶であり、貴族でもなかなか手に入るものではない。噂は聞いた事があったがサラも飲んだのは初めてだった。
「普段からこの紅茶を?」
「いいえ。今日は特別です。違いが判るかどうか知りたかっただけでございます。普段はオーティスの紅茶でございます。クリフォード様はこの違いがわかりませんから、リデルを淹れるのが勿体ないのでございます」
オーティスと聞いてサラは安心した。それなら彼女の実家でも来客用として使用していたものである。しかしオーティスとリデルでは香りが全然違う。違いがわからないとは思えなかった。
「こんなに香りが違うのにわからないの?」
「残念ながら。紅茶がお好きではないようです」
確かにサラにはクリフォードが紅茶を飲んでいた記憶がない。そもそもお互い家に遊びに行った事がないのだから、紅茶を飲む機会も今までなかった訳ではあるが。
「よく考えたら彼の事を何も知らないかもしれないわ」
学校で毎日のように顔を合わせていたとはいえ、クリフォードの私的な事は特に話さなかった気がする。あまり深い関係にならないようにと無意識で当たり障りのない会話をしていたのかもしれない。
「これから嫌という程わかりますよ。とにかく甘やかすのだけは御遠慮願います」
無表情のヘンリーにサラは困ったような表情で微笑を零す。
「それは難しい話ね。私が嫁いだ事が既に甘やかしているのではないの?」
「これは旦那様の甘やかしですからお気になさらずとも結構です。最初が肝心です。正直いつあの扉が開くか、こちらも不安になりながら話しているのです」
ヘンリーの言葉にサラは微笑む。
「マシューでは監禁が難しいの?」
ヘンリーはサラを見つめた。別に珍しい名前でもないのに数回呼んだだけで名前を覚えたのが意外だった。
「マシューとは本日が初めてですよね?」
「そうね。クリフ……ォード様は一人で通学されていましたから」
サラはクリフォードを気軽に呼べなくなった事に今気付いた。本来なら愛称でなど呼べない間柄だったのである。これはクリフォードの要望であり、またエリオットもクリフと呼んでいたので深く思わずそう呼んでいたわけだが、これは慣れるのに時間がかかりそうだと彼女は思った。
「マシューはクリフォード様の従者です。クリフォード様の事はマシューが一番わかっています。ですから今説得をしてくれているとは思うのですが、クリフォード様が聞く耳を持つかは別の話です」
そこまで言ってヘンリーは小さなため息を吐くと紅茶を口に運んだ。
「政治学ではないのね」
「従者は家庭教師ではありませんから。適当に言っただけです」
サラは目の前の男の考えがよくわからなかった。この家に尽くしている家宰なのだろうが、無表情のままであるし、クリフォードに対して優しいのか厳しいのか彼女には判断出来なかった。
「そう。ではあの扉が開くまで話を続けて」
サラは微笑んだ。ヘンリーは無表情のまま頷いた。




