第八話 ソフィア護衛
グランヴァール王国に来てから早くも1ヶ月が経とうとしていた。鳴は毎朝夜が明ける前に起床し、アレクセイと剣術の模擬戦をして、汗を流す。かれこれ1ヶ月も続けていると、すっかり熟練の剣士という感じだ。二人の剣が静寂に包まれる早朝の王宮の庭園に響き渡る。
二人の剣術の模擬戦は太陽が完全に上がるまで続けられる。それまではお互いに何も言わずにひたすら剣を打ち合う。野鳥の鳴き声や、鶏の朝の到来を告げる甲高い鳴き声が聞こえ出すと、それは二人の剣術の練習の終わりの合図であった。
「次で最後にしましょう」
「そうでござるな。腹も空いたことですし」
これが本日最後の模擬戦だ。ただでさえ研ぎ澄まされていた二人の集中は、この一戦に向けてさらに研ぎ澄まされる。
ふとそこにソフィアが着替えを終えて、庭園の花壇の世話をしようとやって来た。ソフィアは、庭園に入ると、そこは王宮の他の部分からは隔絶された異世界のように感じられた。静寂に包まれていながらも、二人の集中が身を刺すように感じられた。ソフィアは二人の最後の勝負に目を奪われる。
「いざ!」
先に仕掛けたのはやはり鳴だ。ソフィアには目にも留まらぬ速さでアレクセイの懐へと飛び込む。しかしそれをアレクセイは長年の経験から見切る。アレクセイは鳴の斬撃を軽々と受け止め、攻勢に転じる。鳴の縦方向の斬撃を受け止め、それを右へいなして、そのまま右方向からの斬撃を鳴に見舞った。それでも対応するのが鳴だ。ギリギリ躱せる間合いまで下がってアレクセイの斬撃を躱し、剣を構える。アレクセイの喉元はガラ空きであった。
「もらった!」
鳴は大きな声を出してアレクセイの喉元めがけて木刀を突き出す。
「なんの!」
アレクセイも急に攻勢に転じた鳴にできた隙を見逃さない。アレクセイも即座に鳴へ木刀を突き出した。
次の瞬間には、互いの木刀が互いの喉元に向けられていた。はたから見ていたソフィアには同時のように思われた。
「引き分けですね。二人とも、お見事でした」
ソフィアが手を叩きながら鳴とアレクセイの元へと歩みを進める。拍手はソフィアが二人の元へ到着するまで続けられた。アレクセイがソフィアの素人丸出しの言葉にいちゃもんをつける。
「今の戦い、わしの負けにござる」
「でも、同時じゃ……?」
「いえ、鳴殿の方がほんの一瞬、わしの喉元を制しておりました」
「確かにそうかもしれませんけど、俺だって無傷ではいられませんでしたよ。だから、この戦いはソフィアの言う通り、引き分けでしょう」
「全く、鳴殿はいつもわしを立ててくださることをお忘れになりませんな」
「年長者には恭しく振舞わなければなりませんからね。それにアレクセイさんは俺の剣術の師匠ですしね」
軽く会話を交わした後、三人は王宮へと戻る。そこでソフィアが口を開いた。
「ところで鳴。今日は月に一度の定例の村落視察です」
「ああ、覚えているよ。今日はアレクセイさんに代わって、ソフィアを護衛すればいいんだよな」
今日はソフィアの月に一度の村落視察の日だ。本来なら今日も親衛隊がソフィアの護衛をするはずだったが、最近になって、王都の治安が悪くなって来たために、親衛隊も王都騎士団の王都警備に駆り出されるようになった。そのためソフィア防衛に功績のある鳴がソフィアの護衛を任されたのだ。グランヴァール王国に来てから、鳴が大いに力をつけたことを身を以て知っているアレクセイの強い推薦と、ソフィアたっての希望があったため、実現した。
「鳴殿、姫さまのこと、お願い申し上げまする」
「ええ、命に代えてもお守りする所存です」
「もう、そんな縁起の悪いことは言わないでください」
「ソフィアの身を守るものとして当然だ。しかし、王都の治安の悪化もやはり心配ですね。何か良からぬことが起こっているんでしょうか?」
鳴は急な王都の治安悪化を危惧している。これまで騎士団の働きもあって、犯罪も非常に少なく、安定した状態であった王都が、ここ1ヶ月で、突然犯罪が増えたり、怪しいものが徘徊したりするようになったのだ。国王も、騎士団長のクラウドも頭を悩ませている。
「そうでなければ良いでござるが……。とにかく、今のわしにできることは、王都の秩序を維持することだけでござる。今はこれに精一杯取り組む他ないでしょう」
「二人とも深刻に考えすぎです。きっと大丈夫です。さあ、ご飯を食べたら、みんな仕事があるんですから、早く行きましょう」
そう言うと、ソフィアは王宮へ向かって駆け出した。鳴とアレクセイは顔を見合わせて笑う。ソフィアの笑顔で、不安など吹っ飛ばされた。二人もソフィアを追って駆け出した。
「今日もいい天気ですね! 天気のいい日は気持ちがいいです。ね、鳴?」
「そうだな。青空を見ていると、心が晴れ晴れしてくる」
ソフィアと鳴は付近の村へと繋がる道を二人で歩いていた。気持ちのいいそよ風が二人の肌を撫でる。空には雲ひとつない青空が果てしなく広がっている。こんな空を見ていると、心が洗われるようだ。これまでに抱えている悩みや考え事などがどうでもよくなる。これが大自然の力だろうか。
今日の鳴はソフィアの護衛としてふさわしい服装でいる。騎士が着る服で、全体的に白を基調とした、少しブレザーの丈が長いスーツを着ていた。胸元には貴族のようにネクタイが巻かれている。袖や襟、ブレザーの折り返しの部分など、ところどころに赤の柄が織り込まれていて、白によく映えていた。白Tシャツにジーンズといういつものカジュアルな服装とは対照的であった。
「その服装、よくお似合いですよ」
「お世辞をどうもありがとう」
「お世辞なんかじゃないです! 本当に思っているんですからね!」
ソフィアの率直な鳴の服装への評価に対し、鳴はあまり真に受けずに適当に返答する。その鳴の態度に、ソフィアは口に空気を含め、頬を風船のようにぷっくりと膨らませる。もちろん、ソフィアは本気で怒っているわけではない。こんな感じで他愛もない会話がなされ、今日も良い1日になりそうだと、ソフィアは心の中で思った。
「あっ! リスさんがいます!」
リスが木陰から姿を現す。小さくて、ふさふさした毛並みを持って、まん丸とした体をしており、その手にはどんぐりのような木の実を抱えていた。ピンと立った耳と丸っこくて大きな目がその可愛らしさを一層引き立てる。ソフィアはまるで不可抗力のようにリスの元へと駆け寄る。
「ああ、なんて可愛いんでしょう……」
リスにうっとりとした顔を向けるソフィアの元に、鳴も遅れじとついてゆく。
「ソフィア、あまり急な行動はとらないでくれ。常に俺の手の届く範囲にいてくれないと。ソフィアはグランヴァール王国の王女なんだ。何かあったら大変だろう?」
「大丈夫ですよ。そんな堅いことを言わないでください。もしかして父上やお兄様から厳しく言われたのですか?」
「まあそれもあるが……」
鳴の意見はもっともだ。普通の護衛役なら、一国の王女が傷物になってしまったとあらば、厳罰を免れないだろうことを危惧する。実際国王やクラウドやアレクセイにも護衛をしっかりと頼まれていた、しかし鳴にとってそんなことはどうでもよかった。大切なことはソフィアが傷つかないことだ。ソフィアとて一人の女性だ。体に一生消えない傷が残ったりしたら、きっと辛いだろう。鳴には、それが起こることの方がよほど辛かった。
「とにかく、極力俺からは離れないでくれ。前も勝手にアレクセイから離れたから山賊に襲われたんだろう?」
「もう、わかりましたよ。鳴のそばにいればいいんでしょう? 鳴のそばにいれば!」
ソフィアは半ば不機嫌な感じで鳴の意見に従う。鳴としてもこのような形でソフィアの行動を規制するのは不本意であったが、ソフィアの安全のためには仕方がなかった。
そのまましばらく二人は無言で歩いた。ただ風が草木を揺らす音だけが辺りに広がる。ソフィアとは初めてこのような気まずい状況に陥ってしまった。
「すまんな」
鳴はこの気まずい状況を打開しようと、言葉に力なくソフィアに謝る。
「私の方こそ、わがままを言ってしまってすみませんでした。鳴はきっと、私の安全を確保するために、気が進まなかったにもかかわらず、私に厳しく言ってくれたのですよね。そこまで意識が回らず、お恥ずかしい限りです。許してくれますか?」
「ああ、もちろんさ」
「よかった! このままずっと話さずに、二人で歩くことになったら、どうしようかと悩んでいたところでした!」
仲直りができて、ソフィアは無邪気にはしゃぐ。そんなソフィアを見て、鳴もなんだか嬉しくなって、思わず笑顔を浮かべてしまう。そこから二人は、他愛もない話をしながら集落へと歩みを進めた。
もうそろそろだろうと、集落に近づいてきた頃、鳴とソフィアの目が二人の子供を捉える。
「あそこにいるの、子供だよな?」
「ええ、そうだと思います。一体どうしたのでしょうか?」
「心配だ。とにかく行ってみよう」
鳴が子供の心配をして駆け出す。鳴は昔から子供が大好きで、迷子になって泣いている子供や、怪我をして泣いている子供などを放っておくことはできなかった。たとえ自分がなんの役に立たないとしても、見過ごすことはできなかった。今回も気づいたら鳴は駆け出していたのだ。
鳴とソフィアが二人の元へ到着すると、遠くから見た子供と思われた二人は女の子と男の子だった。そのうちの10歳にも満たないだろう男の子の方が大きな声を上げて泣いている。女の子の方はお姉さんだろうか、弟と思わしき男の子を心配そうに見つめている。
「どうしたんだ?」
鳴がこの状態に至った経緯と現在の状況の詳細を二人の子供に尋ねる。姉と思わしき女の子は、突然現れた見ず知らずの青年と淑女に初めは怯えていたが、ソフィアに面識があったのだろうか、何も言わずにソフィアをしばらく見つめていた。ソフィアも何も言わずに少女を微笑みながら見つめている。
「ソフィア王女様?」
「ええ、いかにも私がソフィアです。前の視察の時にもしかしてお会いしましたか?」
「はい! 以前お姿を拝見させていただきました!」
どうやら少女はソフィアと面識があったようだ。少女は恭しく挨拶をする。しかしそんなことをしている場合ではない。男の子は依然として大声で泣いている。ソフィアは少女に状況を詳しく聞いた。
「そうですか。そんな事より、彼はどうしたのですか?」
「実は、木の実を採ってくるようにお姉ちゃんにおつかいを言いつけられて、近くの森まで行ってきたのですが、帰る途中で私が弟の心配をせずに、少し速く走ってしまったら、弟は私に追いつこうとして無理をしてしまって、石で躓いてしまったんです。それがとても痛いらしくて」
「ちょっと見せてもらえますか?」
ソフィアは少年の赤く腫れた右足を見る。間違いない。骨が折れている。腫れ方がおかしいのだ。これまで多くの人々を治療してきた経験から、ソフィアは足の骨が折れていると、腫れを見ただけで直感した。
「足の骨が折れていますね」
「えっ!?」
衝撃の事実を知らされた少女は、自分が走ったせいで弟の骨が折れたと責任を感じたのだろうか、目が真っ赤になり、今にも泣き出しそうな様子である。
「大丈夫ですよ。すぐに治療しますからね」
ソフィアにとっては足の骨の骨折の治療など朝飯前だ。ソフィアが治癒魔術の準備に入ろうとすると、これまでずっと蚊帳の外にいた鳴がふと声を上げる。
「俺にやらせてくれないか? 練習がてら、治癒魔術がちゃんと使えることを確認したい」
「わかりました」
ソフィアは快諾し、その場を鳴に譲る。少年の骨の折れた右足の前に鳴は座り、手をかざした。大丈夫、初めての実践だが、落ち着いてやればきっとうまくできる。鳴は緊張を落ち着けるために深呼吸をする。そのまま鳴は腕に力を込めた。骨の骨折となれば、初級魔術の治癒では足りないだろう。そこで鳴は、中級治癒魔術の高位治癒の使用を試みる。
鳴は無詠唱ができる。だから詠唱はしない。それでもその手からはほのかに明るい、緑色の光が放たれ、その光が少年の右足の患部を優しく照らす。次の瞬間、少年の足の赤い腫れは瞬時に引き、痛みも消えた。少年の涙は止まった。
「まだ痛むか?」
鳴は恐る恐る少年に質問する。自分の魔術がうまく起動したかどうかを気にかける。そのまま少年は笑顔になる。
「うん、もう痛くないや! ありがとう、ソフィア様のおむこさん!」
「お婿さん!? いや、違いますよ!」
少年の予想だにしない言葉にソフィアは顔を赤らめて、慌てふためく。一方の鳴は子供の戯言だとして、軽く受け流す。
「た、確かに鳴は能力に満ち溢れていて、心優しい素敵な男性です。しかし、そう思うことと鳴と結婚するかどうかはまた別の話でして、ご冗談はやめていただきたくて。かと言っても、私としても鳴のことを少なからず思っているわけでして、いやそれでも……」
ソフィアは顔を打ち赤らめたまま、両手を頬に当てて体をくねらせながら、ブツブツと独り言を言っている。その頭上からは恥ずかしさのあまりに、湯気が出ているようであった。このソフィアの姿に鳴も少年少女もただただぼんやりと見るしかなかった。
「おい、ソフィア。そこまで誰も聞いてないから」
「はっ!」
鳴の冷静な一言によってソフィアはハッと気づく。
「違いますからね! 鳴のことは確かにすごいと思いますけど、結婚なんて、まだ……」
「わかったから。落ち着け」
「落ち着けって……。どうして鳴はそんなにも冷静でいられるんですか!? 鳴がそんな無感情だなんて、幻滅しました!」
「何言ってんだよ?」
鳴とソフィアが夫婦漫才のような会話を繰り広げる。はたから見ていた姉弟はあまりのおかしさに笑ってしまう。ソフィアは自分のおかしさに気づいて、大きな咳払いをした。
「とっ、ところで、お二人はどこの子達かしら?」
「私たちはこの道を進んだところにある、ドルチェ村に住んでいます」
「ドルチェ村といえば、私たちの今日の視察の目的地ですよ。よかったら、案内してもらってもよろしいですか?」
「もちろんです! だって弟の恩人ですもの! 申し遅れました、私はパルと言います! そして弟のガルです! それでは私たちについてきてください!」
鳴とソフィアはパルとガルに連れられて、ドルチェ村へと向かった。今回起こったのは鳴が魔術を使っただけであった。しかし、鳴にとっては非常に大きな出来事であった。自分にも魔術が使えた。そう確認できた鳴にとっては大きな収穫であったのだ。鳴は悠々とドルチェ村へと向かった。




