第四話 謁見
大きな扉が音を立てて開く。鳴の緊張は最高潮に達していた。扉が完全に開くと、部屋の中央に大きな椅子があった。これが王座と言うのだろうか。
そこに着飾った男が座っている。頭には冠をかぶり、右手には杖を持っている。年齢はやや年老いているという感じでアレクセイの少し年上のように感じられた。アレクセイ同様、顎には髭を蓄えている。
間違いない、彼がグランヴァール国王だ。鳴にはわかった。たとえ王であることを名乗られなくても、その体には王者の風格がまとわれていた。
ソフィアが王座の前へと進むので、鳴もそれについてゆく。王座の前には階段があり、その階段を登るまでに国王以外は止まる。これが身分の差を表しているのだろう。絶対不可侵領域だ。その場にソフィアは跪き、頭をかがめる。鳴も見よう見まねで同じように振る舞った。
「ソフィア=アンネリーゼ=グランヴァール、定例の周辺村落の視察よりただいま帰ってまいりました」
「うむ、大儀であった。して、その状況はいかがであった?」
「はい、以前と変わらず、村々では人々が農業に勤しみ、まさに平和そのものでした。特に問題はないと思われました」
「そうか、ならば良いのだ。アレクセイもソフィアの護衛、ご苦労であった。二人ともゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
二人は口を揃えて国王に頭を下げる。頭を下げながら、ソフィアは鳴にチラチラと目配せをする。一体何の合図なんだろうか。鳴はわからず、戸惑ってしまう。挨拶でもした方がいいのだろうか。しかし挨拶はどうするのだろうか。考え始めると、鳴はその場で身動きが取れなくなった。
「ところで、ソフィア。お主の隣の男は何者だ? 珍しい格好で、見たことのない顔だが……」
やっちまった。スキニーに白Tシャツを着ている鳴はこの世界では明らかに異質だった。第一印象から怪しまれてしまったのではないかと鳴は焦る。ここでソフィアはフォローを入れる。
「このお方は神楽鳴とおっしゃります。私の命の恩人ですわ。私が村で可愛らしいウサギを見つけて、思わずそれの後を追っていたら、いつの間にか一人になってしまって。その時に山賊に襲われてしまって、もうダメだと思ったら、鳴が颯爽と私の前に現れて、山賊を打ち倒してくれましたの。三人の山賊をたったお一人で」
「ほう……」
王はおもむろに王座を立ち上がり、鳴の元へと歩みを進める。やばい、俺なんかしたかな? 殺される? それとも牢屋行き? せめて国外追放でお願いします! 王が鳴の眼の前へと現れると、そんな鳴の不安は吹っ飛んだ。王は鳴の目線まで体を屈めて、鳴の眼をじっと見つめる。
「この度は、我が一人娘、ソフィアを救ってくれたこと、誠に大儀であった。それどころか、余は感謝すらしておる。このような愚娘をその命をかけて救ってくれたこと、感謝しても仕切れぬ」
王は深々と頭を下げる。予想外の展開に鳴は取り乱してしまう。
「陛下、お顔をお上げください! こんな私のような取るに足りない者に陛下が頭を下げてはなりません! 私は陛下に頭を下げてもらうためにソフィアを助けたのではありません! それに私は左腕に大きな怪我を負いましたが、それを治療してくれたのはソフィアです! ですからお互い様ですので、どうかお顔を……」
王は頭を上げて鳴を見つめる。
「気に入った」
「へ?」
「気に入ったと申しておるのだ! 何か褒美をつかわそう! 宝石、女、金銀、なんでも構わぬぞ! さあ言ってみるが良い!」
まさかこんな展開になるとは。鳴がソフィアの方を見ると、ソフィアは眼を輝かせて、なんでも言ってくださいと言わんばかりに鳴を見つめている。アレクセイもまた然りだ。さて、一体何を頂こうか?
すごく気に入られちゃった。ソフィアもアレクセイも良かったね!と言わんばかりの笑顔でこちらを見ている。まあ気に入られたことは良かったのだが、お願いすることなんて何も決めていなかった。さあ一体何をお願いしようか? 言われた通り金銀財宝、女を要求しようか。
しかし、それはあまりにも陳腐だ。『最後の審判』の場で何でもすぐに身につけられる力を要求した鳴には、そのような選択肢はなかった。むしろここでこの力がどれほどのものかを試すために教育を受けるというのはどうだろうか。
思えば鳴は、どういうわけか、話をすることはできるのだが、先ほどから目にする文字は読めなかった。また魔術のことについても無知なので、知ることは有益だし、ソフィアの口から出た戦争など、この世界の歴史について学ぶのも悪くない。アレクセイに剣術も教えてもらおう。魔術はソフィアに教えてもらおうか。この世界のことは何もわからないし、生きて行くすべもわからない。鳴の願いことは決まった。
「それでは、私をこの王宮においていただき、教育を受ける場を設けてはいただけないでしょうか?」
「何?」
国王は予想とは違った答えが返ってきて、驚きを隠せない。あまりにも抽象的だったと思った鳴は、説明を続ける。
「実は私、このグランヴァール王国から遠くかけ離れた異国の地から参りまして、この国で生きてゆくすべを未だ見出せておりません。ですから、恥ずかしながらしばらくこの王宮で養っていただきたく存じます。もちろん、ずっとお世話になるつもりは毛頭ありません。国王陛下からの援助を得ながら、読み書き、この国の歴史、他にもあらゆる学問、魔術、剣術を学び、自立の道を探ろうと考えております。どうかこの私の願い、聞き届けてはいただけませんか?」
「ふむ……。そんなことで良いのか? 先ほども言ったが、お主は何でも好きなものを得られるのだぞ?」
「金銀や財宝など、使ってしまっては無くなってしまうもの。そんなものより、私は一生使える能力を身につけたいと考えております」
鳴が一通り話し終えると、しばらく沈黙が続いた。少し言いすぎたか? せっかく王に気に入られたのに、ここで気分を損ねられたりしたら、たまったものではない。鳴は状況の経過を一抹の不安を抱いて伺っていた。
「はっはっは! 余がお主にやれる金銀は意味がないと申すか! お主は面白いのう!」
王は一層鳴への興味を示した。不安は杞憂であった。
「いえ、決して意味がないなどとは……」
「良い良い! その願い、聞届けることを約束しよう!」
「ありがとうございます」
「うむ。ところで自己紹介がまだであったな。申し遅れた、余はクラウス=ルードヴィヒ=グランヴァールだ。王としての名は、クラウス4世だ。よろしく頼むぞ。お主は鳴と申したな。先ほどの件だが、期限は無期限、鳴が満足するまでとする。学問についてだが、誰か教師をつけようか?」
「いえ、学問に関しては、自学自習で事足りますので、この王宮の図書の使用権利をいただきたく存じます。剣術についてはアレクセイ様、魔術についてはソフィアに教授を願いたいと思っております」
鳴は思いの丈をクラウスに伝えた。もともと、鳴は勉強は先生に教えてもらうよりも、自分で参考書を見て、考えてする方がいいと考えていたし、それでうまくやってきた。多分勉強の本質は変わらないから、勉学については自習でいいとして、剣術、魔術に関しては、全くの無知だ。これはさすがに誰かに教えてもらった方がいい。教えてもらうにしても、お互いを多少なりとも見知っている人に教えてもらう方がいい。そこで剣術はアレクセイ、魔術はソフィアに師になってもらいたいと申し出た。
「わかった。鳴がそれでいいというのなら、それで受け入れよう。アレクセイ、ソフィア、それで良いか?」
「鳴殿はソフィア様の命の恩人でございますからな。私としても、鳴殿には借りがございます。それに、鳴殿が剣術を身につけられ、あわよくば親衛隊に入隊していただけるかもしれませぬ。このアレクセイ、その職務、謹んでお受けいたします」
アレクセイは快諾してくれた。親衛隊長のアレクセイが直々に剣術の師匠となってくれるのは、実に心強いことだ。対するソフィアは少し暗い顔をしている。
「どうしたのだ、ソフィア?」
「はい、私は確かに治癒魔術なら自信がありますが、攻撃魔術については、素人に毛が生えた程度のものです。ですから治癒魔術に関してはその職をお受けすることができますが、攻撃魔術に関しては私では力不足かと」
「ふむ、それでは攻撃魔術の師は別に用意する必要がありそうじゃな。鳴、それで良いかな?」
「はい、身に余るご厚意、ありがとうございます」
ことは鳴の思い通りに運んだ。ソフィアの暗い顔の理由も自分が治癒魔術しか使えないから
治癒魔術しか教えられないということだ。治癒魔術だけでも十分だというのに何を落ち込む必要があるのだろうか。
しかし、問題は攻撃魔術についてだ。一番学びたいものの師が未だに決まっていない。やはりまともな人に教えてもらいたいし、できることならグランヴァール王国随一の魔術師にでも教えを請いたいところだ。
かと言ってそんなに都合のいいことがそうそう怒るわけがない。この国に来ていいことしか起こってないことがすでに奇跡なのだから。あまり高望みをしてはいけない。鳴にはそのように思えた。
「しかし攻撃魔術の師はどうしたものかのう……」
王も頭を悩ませているようだ。王としても、鳴はソフィアの命の恩人なのだから、できる限りいい形で願いを叶えてやりたい。しかしなかなか適任の人間が見つからない。
ソフィアは自分が攻撃魔術にも精通していれば、と悔やんでいた。確かに自分は治癒魔術への適性の方が高くて、攻撃魔術からは逃げ続けていたが、肝心の時に恩人に満足のいく形で恩を返せないのが歯がゆかった。
アレクセイには魔術の素養がなかったので、この話については全くのノータッチであった。
場の空気が徐々に滞っていく中で、その停滞を打ち破るように後ろの扉が大きな音を立てて開く。鳴とソフィアは思わず扉の方を振り返る。そこには一人の若者が立っていた。
貴族風の身なりをしており、腰に剣を差している。ソフィアと同じように、髪の毛は金髪で、目の色は青色であった。アレクセイのように筋肉質というわけではなく、細身であったが、その目からは何か威厳のようなものが感じ取られた。
青年が王の方へと向かって歩みを進める。鳴たちの元へとたどり着くと、王の前で跪き、頭を屈める。
「クラウド=ガブリエル=グランヴァール、ただいま王都ヴェルタス視察の任から戻りました」
ソフィアや王と同じ形式の名前だ。おそらく彼も王族なのだろう。出で立ちや容姿から判断して、彼は王子だろう。どの程度の王子かはわからないが、とにかく、その体からは威光があふれ出ていた。
「おお、クラウド、大儀であったな。今日もヴェルタスは平和であったか?」
「はい、大方は平和そのものです。しかし、中には盗みや傷害を働く者もおりまして……。王都騎士団長という立場から、やむなく攻撃魔術を行使する場面もございました。もちろん相手には大きな傷は与えておりません」
攻撃魔術を行使した? なんだ、王族に攻撃魔術を使える奴がいるじゃないか。これは再びラッキーの予感がする。
「おお、そうであった! クラウドは攻撃魔術が得意であったな! すっかり忘れておったわ!」
「そうですわ! クラウドお兄様がいたではありませんか! これで一件落着ですわね、鳴!」
クラウドは突然の出来事に戸惑っている。王やソフィアから突然自分が攻撃魔術を使えることをとりだたされたのだ。クラウドにとっては攻撃魔術など生活の一部であった。それを今更なんのことだ、という感じだった。
「あの、父上? 一体これはどういう? それと、このソフィアの隣にいる、怪しげな方は?」
「ああ、この男は神楽鳴と言ってな。視察していたソフィアが窮地に陥ったところを身を呈して助けたそうなのだ。ソフィアが命の恩人と言って大層ご執心でな。そこで余は何か一つ願いを叶えてやることになってな。しかしこの男、このグランヴァール王国からとても離れたところから来たとか、それでかろうじて会話はできるものの、読み書きはできないそうなのだ。そこで独り立ちできるまではここに置くことになったのだ。それに伴って、剣術と魔術も学びたいと言ったのだが、攻撃魔術を教えるものがいなくてな。そこでクラウドに白羽の矢が立ったというわけだ」
「もう、私は執心などしておりませぬ。適当なことを言わないでください」
ソフィアの反論が少し邪魔になったが、国王の懇切丁寧な説明により、クラウドは何が起こっているのかを理解したようだ。無言で頷く。
「なるほど、ソフィアの命の恩人であったか。怪しげなものなどと評を下したこと、お許し願いたい。さて、攻撃魔術教授の件について、ご勅命とあらば、このクラウド、謹んでお受けいたしましょう」
やった。鳴は心の中で大喜びした。しかし悟られては何か不都合が出てしまうかもしれない。今は無表情でいる。なんだか物事がトントン拍子で進んで、本当にこれでいいのかという感じがした。普通ならもっと苦労するのではないかと考えてしまうのだが、幸運はありがたく享受しておこう。
「しかし条件があります」
鳴が思っているよりも、やはりことはうまく進まなかった。王もソフィアも目を見開いてクラウスに注意を向ける。
「お兄様、いったいそれはどのような条件ですの?」
「そうだクラウド、彼は妹の命の恩人なのだ。恩を返すのが、兄としての義務ではないとは思わぬか? 義に厚いお主なら、快諾する思っておったが……」
「そうしたいのは山々にございます。その願いが、攻撃魔術を学びたいという願いでなかったならば、何としても恩を返していたことでしょう。しかし、攻撃魔術の話になれば別です。攻撃魔術は人を守るものでありながら、人を傷つけるものです。それは人の心次第により、大切な人を守る正義にも、弱者を痛めつける悪にも転じます。攻撃魔術を学ぶということは、力を持つということです。いま、独り立ちをしたいということなのでしたら、攻撃魔術など必要ないはず。ですから、誰彼構わず攻撃魔術を教えるわけには参りません」
至極真っ当な意見だ。鳴はとにかく興味本位で攻撃魔術を使ってみたい、などと考えていたことを深く恥じる。同時に、国王とソフィアも深くそれに納得する。
「そうか……。お主のその強い信念があるのなら仕方あるまい。鳴よ、許してくれ」
「いいえ、謝らせていただくのはこちらの方です。攻撃魔術と聞いて、どんなにかっこいいものだろうかと、興味だけで、軽率に学びたいなどと申し上げ、大変申し訳ございません。クラウド殿下も、どうかお気を悪くしないでいただきたいです」
鳴は自身の軽率な言動を深く反省する。その鳴の元にクラウドが近づく。どんな文句を言われるのだろうか。そう恐れていた鳴へクラウドは話しかける。
「いえ、気を悪くなどはしていません。ただ、鳴殿も私の信念を理解してくださったようだ。まだしばらくここにとどまるおつもりですよね?」
「ええ、当分の間、お世話になると思います」
「それでは、その間に、私は鳴殿を見極めさせていただきます。鳴殿が私の信念に従う心の持ち主かどうか。それで攻撃魔術を教えるかどうか決定させてもらってもよろしいですか?」
クラウドの口から発されたのは予想外の言葉であった。鳴は抱いていた不安を全て喜びへ昇華させた。可能性はゼロではなくなったのだ。
「はい、喜んで!」
この様子を見ていた国王はその口角に笑みを浮かべる。ソフィアもことが穏便に進んで安心している様子だった。
「それではこれにて終わりとしよう。鳴よ、返す返す、ソフィアの命を救ってくれたこと、本当に大儀であった。お主の部屋を用意する故、今宵はしっかり休んでくれ」
グランヴァール国王のクラウス4世、その王子、クラウド殿下も、皆人当たりのいい人だ。謁見前に抱いていた不安は全て解消された。国王陛下への謁見は滞りなく終了した。




