第三話 王都
「ここが……、王都……」
あまりの大きさに、鳴は驚いてしまう。鳴は思わず馬車の窓から、外を張り付くように見ている。あれから一時間程度だっただろうか、しばらく馬車を走らせていると、高い城壁に囲まれた都市が見えて来た。今は、その中にいるということだ。
鳴が城門に入ってまず目に入ったのは、遠く離れた高台にある壮麗な王宮だった。ソフィアによると、あれは自宅らしい。あんなに大きいのは自宅か。俺の自宅はそれなりに大きかったが、あれの10000分の1もないぞ。鳴はそんなことを考えながら、王宮の壮大さに見入っていた。
それから街の中を進むと、賑やかな市場に出くわした。たくさんの人々が押すな押すなと言わんばかりに、人で溢れかえっている。商人たちは道の両側に出店を構え、自慢の商品を売っている。野菜や肉、果物といった食材、服やいす、食器などといった日用品から宝石や本といった嗜好品までありとあらゆる商品が揃っていた。その繁栄ぶりは眼を見張るものがあった。もしかしたら、今の日本よりも賑わっているかもしれない。まあ、消費地がここしかないということもあるが、それを加えて考えても、この賑わいぶりはやはりすごいものであった。
都市から都市を転々とする冒険者も多いようで、市場には宿屋や飲食店も揃っていた。あらゆる肌の色の冒険者たちが情報交換やら仲間探しに勤しんでいる。鳴は初めて見る光景に夢中になっていた。
「ええ、王都ヴェルタスです。驚きましたか? とても大きいでしょう? グランヴァール王国は天下に名を轟かせる大国だったんですよ?」
「本当にすごい……。俺がいたところよりも栄えているところなんて初めて見ました。ところで、グランヴァール王国は大国『だった』んですか? 大国『だ』ではなくて」
「はい、昔は本当に繁栄していたようです。まさにこの世界の覇者と言わんばかりの。しかし、ある時期の王が、無能だったようで。その時に他国との度重なる戦争によって、すっかり弱体化してしまって、今では一小国にしか過ぎません」
「へぇ」
鳴はあまりソフィアの言葉を気に留めなかった。鳴は未だに、ソフィアの言葉に耳を傾けないほど王都ヴェルタスの光景に眼を奪われていた。
市馬を抜けたあたりからは、住宅街が広がっていた。煉瓦造りの家で、屋根は木であった。整然とされた区画で、何か災害が起こっても、被害を最小限に抑えようとされており、領民の安全に配慮した整備だと言える。
人々は世間話に花を咲かせているのだろうか、楽しそうに話をしている。子供達は無邪気に走り回って遊んでいたり、飛んだり跳ねたりよくわからない遊びをしていたり、楽しそうだった。
「グランヴァール王国は良い政治を行なっているんですね」
王都ヴェルタスの平和で穏やかな光景を見た鳴が思わず口走ってしまう。
「どうしてそのように思うのですか?」
「政治の良し悪しは、その領民を見ればわかる、と言われています。王都ヴェルタスの人々はみんな笑っています。どんな人であれ、幸せそうです。どんな立派な政策をしようが、一番大切なことは、みんなが笑って暮らせること。それができていれば、その国の政治はきっと立派なものですよ」
「なるほど。そんな風に褒めてもらえたら、正直に嬉しいです。父上にもそう伝えておきますね。きっとお喜びになります」
「父上って、国王陛下?」
「はい、そうですよ」
「いや、それは言わないでください。『何も知らないよそ者が、軽々しく余の政治に評価をするな!』なんて怒られてしまったらどうするんすか。最悪死刑とかもあり得たら、まずいっすよ」
「うふふっ。ご安心ください。父上はそんな方ではありません」
ソフィアは笑いながら言った。本当だろうか。急に殺されはしないだろうか。鳴が一抹の不安を抱いた時、外の人々がこの馬車の存在に気づいたようだ。そして彼らは、この馬車に乗っている人物が、ソフィア王女だと気づく。彼らは深々と頭を下げた。よくあることなのだろうか、それに向けて、ソフィアは手を振っている。なるほど、グランヴァール王国の統治は本当に行き届いているようだ。そんな鳴の不安は、嘘のように解消された。
「王宮が近づいてまいりましたぞ!」
馬車の主をしているアレクセイの大きな声が馬車の外から聞こえてきた。
「鳴には是非父上に、いえ、国王陛下にお会いしていただきたいです。なんせ、私の命の恩人なのですから」
「会わないとダメですか?」
鳴はまだ尻込みしている。それも当然だろう。元いた世界では身分の差なんてなかったのに、ここにきて急に国王やら王女やら言われても全く実感がわかないし、戸惑いすら感じる。
「私の残念に思う顔を見てもいいんでしたら、お会いしなくても結構よ?」
「それは会えって言ってんのと同じっすよ。ソフィアさん」
「うふふっ。会ってくれるんですね。やはり、鳴は優しいですね」
鳴はため息をついてやむなくグランヴァール国王に謁見することを受け入れた。
王宮に到着した。遠くから見ていても、その雄大さには圧倒されたのだ。まして、こんなにも近くに立って、圧倒されないわけがない。鳴はまるで高層ビルを見上げるかのように巨大な王宮を見上げる。
「さあ、参りましょう」
ソフィアとアレクセイに先導されて、鳴は王宮の入り口に続く道を歩いた。入り口に着くまでの間に鳴は王宮を細かいところまで見る。
王宮はどちらかと言うと、城に近い構造をしていた。中央に大きな基礎となる建物があり、それの四隅には円柱状の塔が立っており、その先端には円錐型の屋根がついていた。別棟のようなものも存在しており、実に興味深いところだった。
あまりに王宮を見ることに夢中になった鳴は、歩くことに意識が向かない。ぎこちない歩き方となっている。
そうこうしているうちに、王宮の入り口に到着した。前を歩いていたアレクセイが止まる。それに気づかずに鳴は王宮に注目し続けていたため、アレクセイの背中にぶち当たる。
「おわっ!」
ぶつかった衝撃で鳴は後ろに倒れこむ。なんて衝撃だ。ただぶつかっただけなのに、こんな勢いで後ろに跳ね飛ばされるなんて。それなりに体を鍛えており、筋肉には自信のあった鳴は驚かざるを得ない。自分の筋力がいかに矮小なものであるかを思い知った。
「大丈夫でござるか? いくら王宮が素晴らしい作りだからと言って、それに見とれすぎて、歩くことがおろそかになってはいけませんぞ? わしはいくらぶつかられてもなんともござりませぬが、ソフィア王女に命の恩人である鳴殿に何かあってはいけませぬから、何卒お気をつけくだされ」
「鳴はグランヴァール王国のすべてに興味津々ですわね。興味があるのはいいことですから、そんなに鳴にきつく言わないであげて。きっと鳴はとても賢いのですね。それゆえに、普通のことを忘れてしまうほどに、一つのことに集中できるのですね」
「褒めてんのか、バカしてんのかどっちなんすか」
「もちろん前者ですわ」
ソフィアは尻餅をついた鳴のところまで歩いてきて、立ち上がれるように手を鳴に差し出す。
「そりゃどうも」
鳴は褒められたことと、手を貸してもらったことの両方のお礼を言った。鳴はソフィアの手を取り、立ち上がる。
「それでは、王宮に参内すると致そうか」
アレクセイの勧誘に従って、鳴とソフィアの二人は王宮の入り口へと向かった。
「これはソフィア王女にアレクセイ親衛隊長。ソフィア様にとってはここがご自宅ですからともかく、アレクセイ殿は一体どういうご用件で?」
「ああ、ソフィア様を無事救出できたことを陛下に報告しようと思ってな」
やはり王宮の警備は厳しいようだ。門の前には警備兵が二人立っていた。怪しいものが入らないように常に目を光らせている。国王の家臣であってもその都度用件を聞かれるようで、厳重であった。というか、ソフィアは救出対象だったようだ。大方一人で歩いているところを暴漢に見つかったようだ。そもそも一国の王女が一人で外を出歩くことなどできるのか? 鳴の中に疑問が渦巻く。
「して、後ろのみすぼらしい男は?」
やはりな。鳴の予想は的中した。この二人がいたとしても、こうも警備が厳重であれば、自分の存在が見過ごされるわけがない。
鳴が大きくため息をついて説明をしようとすると、ソフィアが鳴の前にずいっと出てきて、警備兵の前に立った。
「控えなさい。このお方は神楽鳴様。私が窮地に陥ったところをどこからともなく現れ、助けてくれた、私の命の恩人です。この王宮の警備のためとはいえども、グランヴァール王女の名において命じます。このお方をお通ししなさい」
「しかし国王陛下が……」
「聞こえませんでしたか? 王女命令です。すべての責任は私が負いますゆえ、何もご心配なさらずに」
警備兵の二人がソフィアの言葉に圧倒されている。警備兵達は怯えているようだ。彼らにとっては国王の命令に従うことの方が重要なようだ。鳴を通すかどうかを決めかねている。
「ここはソフィア様のお言葉を信じてはくれぬか?」
アレクセイが追い打ちをかけるように警備兵に迫る。警備兵達も仕方ないと観念したようだ。
「お二人がそうおっしゃるのなら……。しかし、国王陛下に弁解のほどをお願い申し上げます」
「ありがとうございます。あなたがたに危害はないよう、陛下にはしっかりと事情を説明いたしますので、大丈夫です」
「それでしたら……」
警備兵は渋々門を開く。ゆっくりと開く門の間から、高い城壁に囲まれた秘密の園の正体があらわになる。
鳴は好奇心であふれた様子で隙間からなんとか内部を見ようとする。徐々に開く門。中が十分に見えるくらいにまで門が開かれると、そこには立派な庭園が広がっていた。まるで世界史の資料集で見たヨーロッパの庭園の写しがそこにはあった。大きな邸宅へと続く一本道を対称線として全く同じ植物や建物が存在している。メイドや執事と思わしき人々が庭を掃除したり、草木の手入れをしていた。
道の先にある邸宅は実に壮大なもので、王族が住むにふさわしい荘厳さをも兼ね備えていた。その荘厳さゆえに、グランヴァール国王も厳格な人のような気がして、鳴は先に待つ謁見に一層緊張した。
ソフィアが歩みを進め、アレクセイもそれにつづいた。鳴は慣れない足取りで二人の後を追う。一本道なので、このまま歩いていればすぐに邸宅についてしまいそうだ。
鳴は刻々と迫り来る謁見のイメージをする。グランヴァール国王はどんな人なのだろうか? 厳格な人だろうか? それとも打ち解けやすい人だろうか? もちろん校舎を望むが、もし厳格な人だったらどんな対応をすれば良いのか? 自分のことについて質問されたら、なんと返答すればいいのか?
あれこれと考えを巡らせているうちに、邸宅の玄関に到着してしまった。いよいよ謁見だ。心臓の鼓動が早くなっているのが身にしみてわかる。
「お帰りなさいませ、ソフィア様」
「ええ、ただいま」
玄関に控えていたメイドが頭を下げてソフィアを迎え入れる。頭を上げたメイドは、アレクセイはともかく、普段見慣れない存在に思わず注視してしまう。
「この殿方は?」
「私の命の恩人よ」
「そうなのですか!? これはとんだ粗相を失礼しました!」
いや、お前なんもしてねえじゃん。見てただけじゃん。絶対俺のこと恐れてるじゃん。それも無理はないだろう。この王宮にいるのはほとんどが女性のメイドだ。アレクセイは頻繁に出入りしているようだが、やはり新たな男が入ってくることは珍しいようだ。怯えられるのも仕方のないことだろう。
「いえ、大丈夫ですよ」
一応社交辞令として、鳴は謝罪されたことに対して、問題はないと返答しておく。
「今父上はいらっしゃいますか?」
「はい、いつもの部屋に」
「そう、ありがとう。さあ鳴、ここが私の家です。どうぞおあがりください」
ソフィアはそう言って邸宅へと入る。鳴もそれに続いて恐る恐る足を踏み入れた。
そこには見たこともない家の姿があった。真ん中に赤い絨毯がひかれており、それは二階へと登る階段へと続いている。左右には何十もの部屋があり、その階段を登った二階の壁にもいくつもの扉があった。入り口から見て左右には廊下が伸びており、さらに続いているようだ。
そしてひときわ目を引くのは、階段を登ってすぐのところにある大きな扉だ。他の素朴な扉に比べて、華美な装飾がなされており、重厚さを伴っていた。あそこに国王がいるに違いないと思わせるほどの印象を鳴は抱いた。
「父上はあの大きな扉の向こうでお待ちです。参りましょう」
案の定、ソフィアが指差した扉は、鳴が国王の居場所に通ずると踏んだ扉であった。ソフィアはすでに歩みを進める。鳴は戸惑いながらもそれについていく。
ついに謁見の時が来た。鳴はまたごちゃごちゃと考えるが、今度もそのうちに扉の前についてしまった。
ここまで来たらもう腹をくくろう。落ち着いて話せばいいだけだ。普通にしていればいいんだ。
よし、心の準備はできた。ソフィアは鳴を見つめている。鳴が準備できたことがわかったようだ。ソフィアは扉をノックする。
「ソフィアでございます。入ってもよろしいでしょうか?」
「入りなさい」
心の準備はできたと言っても、やはりそれは頭の中での話だ。鳴の心臓の鼓動は先ほど以上に激しくなっていた。国王はどんな人なのだろうか? 鳴の想像が膨らむ。いよいよ謁見だ。




