第三十八話 強者
鳴が衝撃源の方に目を向けると、そこには黒づくめの男の姿があった。黒い外套をまとって、木の上に立っていた。男はただ直立しているだけだった。何かをしたというそぶりは見せなかった。
「お前ら、あの男に見覚えは?」
鳴がジェシカとルーカスに目配せして、男の素性を問うた。しかしジェシカとルーカスは口を開けて、目を見開きながらガタガタと震えている。
「あ、あいつが来ちまったよ……」
ジェシカはただそう言うだけだった。ルーカスは何も言わず、無言で立っていた。しかしその様子には明らかに恐怖の色が出てしまっていた。
二人が震えている間に、黒づくめの男が口を開く。
「皇帝陛下に念のためお前らを追尾する命を下賜されて、お前たちが裏切るはずはないと思っていたが、まさかこんなことになってしまうとはな」
「お前は誰だ?」
鳴は黒づくめの男に問う。
「今から死にゆく者に答えても意味がないだろう?」
そう言ってその男はわずかに目を見開いた。それだけで、その男は身体中から衝撃波を発した。先ほどのものは威嚇用に手加減され、当たらないように外されたものであったが、今回は違った。かなり大きい威力であるとともに、鳴、ジェシカ、ルーカスを確実に狙っていた。
直撃してしまっては二人が死んでしまう。そう直感した鳴はとっさに魔壁を張る。
「シールド!」
鳴の詠唱とともに、3人を取り巻く球状の防護壁ができる。黒づくめの放った衝撃波は鳴が生み出した魔壁によって阻まれた。これに驚いたのはジェシカやルーカスであったが、何より一番驚いたのは黒づくめであった。
「俺の衝撃波を受け止めるとは。貴様、無属性魔術の使い手だな?」
「お前に明かす必要なんてないだろう」
「いや、明かさなくてもわかるさ。俺だって無属性魔術の使い手だからな。この衝撃波は無属性だ。それを受け止められるのは無属性魔術しかない。だったらお前の生み出した魔壁は無属性に限定されてしまうからな」
黒づくめの理路整然とした説明に、鳴は呆れたように鼻で笑う。
「ああ、その通りだ。俺は無属性魔術の使い手だよ。まあ、まだつい先日に完成させたばかりだがな」
「驚いたな。俺以外に無属性魔術を使える奴が、この世界にいたなんて」
「自分の力を信じ過ぎるなよ。この傲慢野郎」
そんな二人のやりとりを見ていたジェシカとルーカスは自分たちが何をすべきなのかがわからなかった。ただ立ち尽くしているだけだった。そんな二人の現状を案じたのか、鳴が二人に指示を出す。
「ジェシカ、ルーカス、お前たちはグランヴァール王国に向かって、俺の現状を説明してくれ」
「そんなこと言っても、私たちはグランヴァール王国の重要人物の命を奪おうとしたんだ。信じてもらえるわけないよ」
「だったらこれを持っていけ!」
鳴は懐に手を突っ込み、青いピアスを取り出した。それをジェシカのもとに放り投げる。
「これは一体?」
「それは俺がグランヴァール王女、ソフィアのために購入したものだ。その事実を知っているのは俺と、俺の侍女、キャロルだけだ。キャロルを前にして、そのように説明すれば、お前たちが俺の敵ではなかったことが明らかになる」
「なるほど……。でもあんたを置いていくわけには」
「このままじゃ3人揃ってお陀仏だ。お前たちだけでも生き残ってグランヴァール王国のために尽くしてくれ」
「でも……」
「でもじゃない! 早く行け!」
「わ、わかったよ! 私たちを先に逃がしたからって、後悔するんじゃないよ! 行くよ、ルーカス!」
鳴の叱責を受けてジェシカとルーカスはグランヴァール王国へと走り出した。二人を見届けた鳴は安心して黒づくめの方に居直る。
「無駄なことよ。貴様を殺して、後を追い、あいつらも始末するだけよ」
「そううまくいくかな?」
「ほざけ!」
黒づくめはそう叫んで目を見開く。それと同時に、再び黒づくめの全身から衝撃波が放たれる。鳴もこれを防ごうとして再び魔壁を張ろうとする。しかし今度の衝撃波は先ほど以上の威力であった。黒づくめはさらに衝撃波の威力を強めてきたのだ。先ほどとは違って、力も、速さも段違いに強力であった。鳴の魔壁形成は衝撃波が鳴を襲うまでに間に合わなかった。衝撃波が鳴の体を切り裂く。
「ぐっ!」
鳴はなすすべもなく、無力に後ろに吹っ飛んで、仰向けになって倒れ込んだ。身体中に傷を負って、全身から血液が溢れ出ている。黒づくめは鳴の様子を見て、やや目元を緩める。
「やはり口ほどにもなかったか」
「そ、それはどうかな……?」
「ふっ、最後の負け惜しみか」
ゆっくりと黒づくめが鳴に近づこうとしたが、鳴は得意の無詠唱魔術で全身の治療を開始する。鳴の全身が淡い緑色に包まれ、みるみるうちに鳴の傷は治療されていく。この様子を見た黒づくめは驚き、思わず足を止めてしまう。鳴は治療を完了し、そのまま立ち上がった。
「へへへ、ちょっと死んだかと思ったけどな」
「無詠唱魔術か。貴様、一体何者だ?」
「誰だっていいだろう? 今度は俺の番だ!」
鳴は即座に手のひらに全属性魔術をまとわせ、それらを融合する。この流れは一瞬で行われた。そのまま鳴の手のひらには巨大な無属性魔弾が生成された。
「これでも喰らえ!」
鳴は勢いよく、まるで先ほどの黒づくめから受けた鬱憤を晴らそうとするかのように黒づくめに放り投げた。魔弾は黒づくめに命中した。
「やったか!?」
黒づくめの周りには衝撃のせいで煙が立ち込めていた。しばらくしてその煙が晴れると、そこには、相変わらず黒づくめの姿があった。
「なかなかの魔術師だな。お前、見所があるぞ? 俺と皇帝陛下にお仕えしないか?」
「生憎だが、俺はグランヴァール王国の人間だから、それは出来ない相談だな」
「残念だよ。これで俺はお前を殺さなければならなくなった」
そう言い終えた黒づくめの身体中に魔力が立ち込める。ただならぬ雰囲気に、鳴は妙な胸騒ぎを覚えた。今、この世界に来て初めて、自分を凌駕する存在に出会おうとしているのだ。鳴には黒づくめが、次にどのような行動をとるのかが全く読めなかった。鳴はただただ立ち尽くすことしかできなかった。
「もう一度問おう。俺とともに皇帝陛下に尽くす気はないか? 皇帝陛下はお前の力を高く買っている」
「忠臣二君に仕えず、だ。答えは変わらない」
「そうか。お前のような逸材を殺すのは俺としても少々遺憾だが、やむを得まい」
次の瞬間、黒づくめは全身に纏わせた魔力を一瞬にして解放した。それは攻撃魔術ではなかった。黒づくめ自身の身体能力を向上させる補助魔術であった。鳴が気づいた時には、黒づくめはすでに鳴の目の前に移動していた。そして次の瞬間、鳴の胸に短剣が突き立てられる。鳴の胸部からは真紅の液体が噴水のように溢れ出た。鳴はほのかな温もりを自分の胸部に感じていた。鳴は『死』の感覚をその身をもって感じていたのだ。黒づくめが鳴の胸部から短剣を引き抜くと、鳴は後ろに倒れ込んだ。そしてそのまま静かに目を閉じた。黒づくめは短剣に付着した血液を拭き取り、それを懐にしまうと、帝国側に向かって歩き始めた。
「思いの外、時間を取られてしまった。あの二人の取り柄の一つは移動速度だ。これほどの時間を二人に与えてしまっては、俺が追いつくことは不可能だろう。今日のところは帝国に帰るとしよう」
そう言いながら、黒づくめは帝国へと帰った。その場には鳴だけが取り残された。




