第三十七話 尾行者
馬車の中では、動揺が広がっていた。急に移動速度が速まったことにラッセル、フィオナ、キャロルは不安を感じたようだ。彼らがおののく中で、後ろの方からダブルオーが馬車に並走して、馬車の窓を叩く。
「何事だ?」
ラッセルは馬車の窓を開けてダブルオーに問う。ダブルオーの表情は浮かないものであった。彼は憚りながら恐る恐る進言する。
「追跡してくる敵が目視で確認できたため、このままの移動速度では追いつかれると判断して少し速めました。それでも追いつかれると判断した鳴様は、敵を食い止めるために一人で残られ、しんがりをお務めになることをお申し出になりました」
ダブルオーの驚愕の発言に、馬車内の者みんなが驚きの表情を浮かべる。キャロルは唖然として物も言えないような状況に陥っており、フィオナとしても、先ほどは威勢良く鳴を励ましたことだったが、さすがに一人で敵に立ち向かうとなっては鳴が不利だとわかった。平静さを失ったラッセルはダブルオーに喧嘩口調で問いかける。
「なんと!? なぜ止めなかったのだ!?」
「ええ、止めましたとも! しかし鳴様は、私たちがいてはかえってお互いにとって足手まといだと、そうおっしゃって一人お残りになられました!」
「なんてこと……」
キャロルは口を両手で覆い、目には涙が潤んでいた。フィオナはいつものように威勢良く振る舞おうとはしていたものの、その目は涙を流す時のように、赤く充血していた。しかし二人とも意見はしなかった。鳴は自分たちを助けるための最善の行動をとったと考えたからだ。今自分たちが助けに戻ったとしても、全員が無駄に死んでしまうだけである。二人にはそれがはっきりとわかっていた。
ダブルオーからの進言を受けて、ある程度は平静を取り戻したラッセルは決断を下す。
「今は鳴の意志に沿うとしよう。我々にできることは、この速度のまま進み、無事に国境を越えてグランヴァール王国に帰還することだ。鳴の心意気を無下にしないためにも、なんとしても我々だけでも生きて帰るぞ!」
そのまま馬車は野原を駆けていった。近くまで迫っている国境を目指して。
「久しぶりだな」
鳴が振り返った先にはジェシカとルーカスが立っていた。その後ろには何百もの兵士が控えている。ジェシカが鳴に話しかけた。
「俺としては会いたくはなかったんだがな」
「ほざけ。そんな余裕をかましていられるのも今のうちだぞ?」
ジェシカが啖呵を切る。今回は一対大多数だ。さすがに鳴を逃さない自信があったのだろう。
「すべてこちらの計算通りだよ」
「なんだと? どういう意味だ?」
ルーカスの発言に鳴は耳を疑う。その真意を明らかにしようとする。
「いいよ。もう終わったし、教えてあげる。今回の僕たちの任務はお前を生け捕って、皇帝陛下にお持ちすることなんだ。他に誰かがいたら、かえって任務の邪魔だしね。きっとお前たちは使者が殺されるのではないかと思って、その使者の命を最優先させるためにここに誰かを残すと考えられたからね。そこで、一番腕が立つお前が残ることになるって算段だ」
「ほう、なかなか面白いな。まさか目標が俺だっただなんてな」
「どうだ? 観念して捕まる気になったかい?」
ジェシカの問いかけに鳴は不敵な笑みを浮かべる。
「あいにく相手の思い通りには動きたくないタチでね」
「天の邪鬼は女にモテないぞ? お前ら、この男を生きたまま捕まえな!」
ジェシカの号令で、後ろに控えていた何百もの兵士が一斉に鳴の元に突進してくる。しかし鳴は余裕の笑みを浮かべている。二人は鳴の笑みを不審には思ったが、全く意に介さなかった。二人とも、それを往生際の悪い最後の恐れに対する笑みという程度にしか考えなかった。二人は勝利を確信していた。しかし、それはいとも簡単に覆されてしまう。
「豪火!」
鳴が魔術名を叫んだだけで魔術が行使され、あたり一面に炎が燃え広がる。クラウドがよく使う魔術を軽く使ってみただけだった。しかしその効果は絶大だった。鳴に向かってきた兵士の大半が豪火によって体を焼かれ、悲鳴をあげて次々に倒れていく。生き残った兵士もおののくことしかできなかった。ジェシカとルーカスも鳴の隠された力の強大さに驚愕していた。
「へっ、口ほどにもない奴らよ。もう終わりか? だったらこっちから行かせてもらう!」
鳴はこの程度は朝飯前だと言わんばかりに、次は手のひらに淡い白色の魔力を帯び始める。ルーカスは異変に気付いてとっさに号令をかける。
「まずい! 全員散れ!」
しかしその号令も既に遅い。鳴の手のひらには既に魔力が魔術としての形をなしていた。
「閃光!」
鳴の手のひらからは光の矢が無数に飛び出す。次々とその矢の餌食となる兵士たち。頭に、胸に、足に、腕に、次々に刺さっていく。ジェシカとルーカスはなんとかして光の矢の雨から逃れたが、そこには兵士たちの死体で溢れかえっていた。わずかに生き残った兵士たちも恐れをなして、逃散していた。
「こいつ、化け物か?」
ジェシカが思わず口に出してしまう。それほどに鳴は強かったのだ。それでも鳴は依然として微かな笑み、余裕の笑みを浮かべ続けるだけであった。
「俺は早くみんなを追わないとダメなんだ。だから早く終わらせるとしよう」
鳴は徐々にジェシカとルーカスの元へ近づいてくる。ジェシカはなんとかして突破口を開こうとして、懐から短剣を取り出して鳴へ飛びかかる。しかしこれは鳴の敵ではなかった。鳴も腰から剣を抜いて、ジェシカを軽くいなした。ジェシカをいなした後ろからはルーカスの矢が飛んできたが、鳴はいとも簡単に剣で切り落とす。いなされ、地面に倒れ込んだジェシカはさらに鳴に背後から襲い掛かるが、これを鳴は一瞥すらせずに剣で受け止める。
「以前お前たちと対峙した時は俺自身、最大限の力を発揮せずに、お前たちを泳がせておいたが、今日は違う。俺の仲間に危害を加えようものなら命を奪うことも躊躇しない」
鳴はそう言い残すと、ジェシカの喉元には剣を突きつけ、ルーカスにはわずかに魔力を帯びた手のひらを向けた。
「退いてくれ。それなら互いに損はない。俺はみんなを守れるし、お前たちは生きて故郷に帰ることができる。悪くないとは思うが?」
鳴の粋な計らいにも関わらず、二人の表情は暗いままだ。不振に思った鳴が二人に詰問する。
「引き下がらないのなら、俺はお前たちを殺すしかない。さあ、早く退いてくれ」
「できない……」
「は?」
「だから、できないって言ってんだよ!」
突如、ルーカスが大声を出して、その場に膝から崩れ落ちる。鳴は脈絡のない出来事に目を大きく見開いてしまう。
「あいつの言っていることは本当さ。本当なら、私たちだって、あんたみたいな化け物を相手にせずに、今すぐにでも逃げ出したいのさ。でも、皇帝陛下がそれを許さないさ。このままのこのこ帰っちまったら、私らはきっと国家反逆罪で処刑されちまう。そういう意味さ」
「そうなのか……」
ラマレア帝国の圧政に鳴は言葉を失ってしまう。あの繁栄の裏には皇帝独裁体制が隠れていたのだ。
暫くの間、鳴とジェシカ、ルーカスの間に沈黙が流れる。すると鳴が出し抜けに二人に提案をする。
「お前ら、グランヴァール王国に来ないか?」
「「え?」」
二人が口を揃えて疑念を呈する。
「だから、ラマレア帝国なんて見限ってグランヴァール王国に来いって言ってるんだよ。二人みたいな実力者なら、国王陛下は取り立ててくれるし、それに独裁から逃れてきた亡命者って扱いだから、きっと無下な処置はされないさ。グランヴァール王国国王の寛大さは俺が保証する!」
二人はぽかんとした表情を浮かべながら、鳴を見つめている。先に我に返ったジェシカが鳴に恐る恐る尋ねる。
「本当に大丈夫なのかい? こんな私たちみたいな身分の低い奴らを」
「貴賤は関係ないだろう?」
鳴は胸を張ってジェシカの質問に答える。さらにそれにルーカスが続ける。
「お、俺たち、読み書きできなくて、戦うしか能のない奴らだけど、本当に取り立ててくれるのか?」
「戦えること自体、立派なことじゃないか。それに、俺だって初めは読み書きなんてできなかった。グランヴァール王室の王女に教えてもらったんだ。お前たちだって教えてもらって一生懸命勉強すればできるようになるさ。そんなつまらん心配はするだけ無駄だ」
鳴の答えを聞いた二人は、表情に光が灯ったかのように、晴れやかな笑顔を浮かべる。
「じゃあよろしく頼むよ! 改めて、私はジェシカ、こっちはルーカスだよ! あんたの名は?」
「俺は鳴。神楽鳴だ。グランヴァール王国には俺が責任を持ってお前たちを連れて行こう」
そんな甘い時間が3人の間に流れていた。しかし、その甘美なる時間を打ち破る衝撃が3人を襲う。それに鳴は気づいて衝撃源の方を見た。




